Introvertsなど
先週の金曜日、Eテレで『RBG 最強の85才』の前篇をみた。
「前篇」とは書いたが、実のところはひとつの映画だ。ドキュメンタリである。
先年亡くなつたルース・ベイダー・ギンズバークについての映画である。
これ、映画館で見たかつたんだけどね。
なぜといつて、RBGのことをよく知らなかつたからだ。
いまでも知つてゐるとは云ひ難い。
これまた去年、『ブックスマート』といふ映画を見に行つたら、主人公の部屋にRBGの写真が飾られてゐた。
知つてゐるとしたらそれくらゐだ。
法曹界で頭角をあらはしたいといふ野心に燃えた女子の部屋にポスターの飾られるやうな人。
それがRBGだ、といふことだ。
実際に映画を見てみると、RBGといふのはおとなしい感じの人だといふことがわかる。
おとなしいといふと控へめではづかしがりやといふ印象も伴ふ。
それも間違つてはゐないとは思ひつつ、「おとなしい」はちよつと違ふ気もする。
『Quiet: The Power of Introverts in a World That Can't Stop Talking』といふ本で、スーザン・ケインはローザ・パークスについて「内向的な人(introvert)」だつたと書いてゐる。
ローザ・パークスは1955年の公営バス・ボイコット運動のきつかけになつた人物だ。
当時、アラバマ州モンゴメリーの公営バスには白人の座る場所と黒人の座る場所とがあつて、それとは別に黒人は白人に席を譲らねばならないといふ決まりがあつた。
1955年のある日、ローザ・パークスは白人に席を譲らなかつたことで逮捕される。バスの運転手が譲れと命令してもきかなかつたから、といふ理由で。
これがきつかけとなつてバスのボイコット運動が起こり、公民権運動へとひろがつていく。
『Horrible Histories』にもローザ・パークスを扱つた作品があつて、そこでのローザ・パークスはどこからどう見てもoutgoingではきはきとものを云ふ外向的な人(extrovert)だ。
たぶん、バスの逸話を聞いて、そしてその後の活動を知つて人のイメージするローザ・パークスとは、さうした姿なのだらう。
スーザン・ケインはさうではないと云つてゐる。
たぶん、RBGもさうした人物なのぢやないかなあ。
往々にして、人はいきなりものごとを変へたいと思ふ。
ミャンマーのクーデターもさうだらう。
待つてゐられないのだ。
いや、当事者は十分に待つたと思つてゐるのかもしれない。これ以上もう待てないと堪忍袋の尾を切らした状態なのだらう。
あるひは地球温暖化に対する運動だ。
人は即目に見える結果をほしがる。
即目に見える結果といふのは、極端なものだ。
これまでと突然がらりと変はつた印象を与へるのは極端なものだらう。
津波によつてなにもかも流されてしまへば誰でも気がつくが、海岸線が一年に一センチメートル浸食されたからといつて、気づく人はほとんどゐない。
でも、大切なのは、目には見えないかもしれないやうなわづかな変化を少しづつくり返しつづけていくことなのだ。
といふやうなことを『RBG』では感じた。
少しづつならちやうどいいところでやめることもできる。
いきなり大きく変へてしまふともとに戻すのが大変だ。
さういふことでもあるのだらうと思ふ。
といふのはタティングレースでもおなじことで、たとへばリングを一つ作つた時点で間違ひに気がつけば修復は容易だが(I know, I know. It's still heart-breaking, right?)、五つも作り途中にチェインもあるとなつたら修復の手間は大きい。やつがれならあきらめちやうな、正直のところ。
少しづつ、ちよつとづつ、確実に。
わかつてゐてもなかなかできないんだけどね。
ところでRBG追悼ではじめた替襟はそれほど進んでゐない。
これも少しづつちよつとづつ作つていかうと思つてゐる。
あまりにもタティングからはなれてゐたこともあるし、慣らし運転からはじめるのもいいかもしれない。
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