イカサマと工夫
イカサマにはつくづく感心する。
イカサマといつても『ガンバの冒険』のイカサマではなく、正真正銘、賭事におけるイカサマのことだ。
なぜ人はイカサマをするのだらう。
違ふか。
なぜイカサマをする人がゐるのだらう。
いけないことと知りつつ、バレたらとんでもない目に遭ふと知りつつ、イカサマをする人がゐる。
といふか、ゐるといふ。
実際にイカサマをしてゐる人を見たことはないし(しててもわからなかつただけかもしれない)、したことがあると云ふ人に会つたこともない。
博打といふのは、基本的には親が勝つことになつてゐるといふ。
なので親がイカサマをするといふのは変な話だが、親がイカサマをすることもある。
すくなくともTVの時代劇などを見てゐるとそのやうだ。
そこまでして勝ちたいのか。
勝ちたいのだらう。
あるひは、客を勝たせたくないのかもしれない。
どちらの気持ちが強いのだらう。
自分が勝ちたいといふ気持ちか。
相手を勝たせたくないといふ気持ちか。
人によつて違ふのかもしれないが、親の気持ちとしては相手を勝たせたくないといふ方が強いのかもしれない。
客はどうか。
客がイカサマをするのは、「博打とは基本的に親が勝つもの」と知つてゐるからだらう。
それでもなんとか勝ちたい、勝たうとするうちイカサマにたどりつくのかもしれない。
よんどころのない理由で、すなはちこの勝負に勝たないと夜逃げするしかないとか首をつるしかないとかさういふ理由でイカサマに手を出す人もあらう。
だが、追ひつめられてゐるとどうも小手先の細工といふのは働かないもののやうに思はれる。
それもわからないくらゐギリギリの状態といふこともあらうが、さういふのつてうまくいかないんぢやないかな。
まあ、やつてみたことがないからわからないけれど。
なんかかう、もつと、「なんとかしてみたい」といふ気持ちでするイカサマといふのもあるんぢやあるまいか。
工夫したい、とか。
なんとか勝つことはできまいか、と工夫する。
工夫する場所が間違つてゐるぞ、とも思ふが、賽子に細工して出る目を操作するとか、花札やトランプのカードに細工して自分の思ふとほりのカードが出るやうにするとか、なんか「すごいな、人間つて」と思へてならない。
バレたらヤバいとわかつてゐて、それでもイカサマをしてしまふのは、自分で工夫した細工を試してみたいからだらう。
そこには「バレやしまい」といふ楽天的な認知バイアスのやうなものが働いてもゐるのだらうけれど、自分で作つたものが動くかどうか確かめてみたいといふのは人情だ。
ドキドキだね。
ワクワクだよ。
もう自分で工夫したイカサマをやつてみるといふことだけで脳内麻薬がインフレーションを起こしさうな勢ひだ。
そもそも博打をするといふこと事態、「およしよ」案件なのだが。
そこを突破してしまふとイカサマをしたくなるのは、不便なことに対してはなにかしら工夫したくなる人間の業のやうなものなのかもしれない。
博打しないから推測にしか過ぎないけれど。
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