ネクタイと替襟
先週の金曜日、Eテレで『RBG 最強の85才』の後篇をみた。
ルース・ベイダー・ギンズバーク(RBG)自身が替襟について語つてゐる場面も出てきた。
曰く、法服といふのは男の人のためにできてゐて、襟元からネクタイが見えるやうになつてゐる、そこでサンドラ・デイ・オコナー判事(米国史上初の最高裁女性判事)と考へた、と。
映画から受けた印象では、ギンズバークは男のやうにならうとしたわけではないといふ気がする。
男ばかりの世界に分け入つていくのだが、でも男のするやうにはしない。
ほんたうのところはどうだつたかはわからない。映画だけではね。
男の世界に入つていくには女である部分を殺して男になるしかない。さういふこともいくらもあつたのではないかとも思へる。
それぢやあ人は幸せにはなれないんだけどな。
もちろん、幸せになれる人もゐる。
でも、女の人が政治家や会社役員、裁判官や医師になるだけではダメなのだ。
政治家も家庭の主婦も等しく尊くすばらしい。
さういふ世の中が望まれるんだと思ふ。
平等といふのは、非力な人に怪力の人とおなじやうに重たい荷物を運ばせることではない。
また、非力だから怪力だからといつて差別を受けてはいけない。
それが平等といふことなのだと思つてゐる。
ただ、政治家も家庭の主婦も等しく尊くすばらしいといふ世の中を実現するために、みづからの生まれ持つた特質を捨てて持たぬものを身につけながら相手の世界に入つていく人たちが必要なのだらうとは思ふ。
RBGもまたさうした人のひとりだつたのかも、とかね。
といふわけで、タティングレースの替襟が進んでゐのかといふとさにあらず。とほほ。
現在デンマーク風ショールにかかりきりで、タティングはあまりしてゐない。
替襟に取りかかる前にリハビリが必要かもな。
さう思つて、いろいろ物色してゐるところだ。
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