中庸のススメ
木に関する本を読んでゐる。
ピーター・ヴォールレーベンの『The Hidden Life of Trees』 といふ本だ。
きつかけは、スザンヌ・シマールを知つたことだつた。
森の中には母木とでもいふやうな木があつて、子どもの木に栄養を送つたりしてゐる、といふ話だつた。
それでシマールの著作などないだらうかとWeb検索したところ、ヴォールレーベンの本に出会つた。
早川書房から翻訳が出てゐると知つたのは、半ばに達したころだつたらうか。
早く云つてよ。
この本やシマールの話を読んでゐると、あらためて植物も生きてゐるのだなと思ふ。
なにをいまさらといふ向きもあるかもしれない。
でも、菜食主義者の中には肉食は可哀想とかいふ人がゐるぢやありませんか。
植物はいいの? 植物だつて生きてゐるのに。
いつもさう思ふ。
地球上の動物は、少なくとも人間はほかの生きものを食べないと生きていかれない。
植物は苦しまないからいいとか、殺してないからいい(え、殺してるでせう?)といふ人は、それは個人の自由だからかまはないけれど、人に押しつけないでほしいんだよな。
個々の人々は好きにしてゐてかまはないので他人を巻き込まないでほしい。
肉食は、動物を矯めることになり、それは人間の身勝手だから、といふのならヴォールレーベンの本を読むといい。
植物に対してだつて、人間は勝手な栽培をして植物本来の生き方を矯めてゐる。
野菜が苦いことがあるのは、害虫をふせぐためだといふ。
それを甘くして、害虫を呼び寄せてゐるのは人間だ。
そして害虫を駆除するために防虫剤を使用する。
すべて人間の身勝手から生じてゐることだ。
牛の吐く息からメタンガスが出てそれが地球温暖化につながる?
たぶん、ハーバー=ボッシュ法について学んだ方がいいと思ふ。
もしかしたらいまの肥料作成にはこの方法を使つてゐないのかもしれないが、いづれにしても、肥料を作るにはなにかしら環境を害する副産物がでることだらう。
さらにいへば、動物が可哀想だから菜食主義にするといふ人は「自分にわからなければいい」といふ姿勢が問題なのではないかと思ふ。
木は、人間とはいはゆるライフ・サイクルが異なる。
木の時間は人間のそれに比べてゆつたりと流れてゐる。
ゆゑに、木は人間には聞き取れないやうなスパンで「話してゐる」といふことも考へられる。
あるひは人間には聞こえない音域で「話してゐる」かもしれない。
時々思ふのだが、地球上の生きものとさへ意思を通はせることができないのに、どうして宇宙人とはできると思ふのか、不思議でならない。
木でさへ何を考へてゐるのかわからないといふのに。
木は考へない? ほんたうにさうかな。
ヴォールレーベンの本を読んでゐると、木には木の生存計画のやうなものがあるといふことがわかる。
それつて、考へてゐるつてことなんぢやないだらうか。
本能だけで生きてゐる?
それだけで生き延びていけるのだらうか。
人間のする「考へる」こととは異なる「考へる」ことを木はしてゐるのぢやあるまいか。
いづれにしても、環境のことを考へたときに、「肉食をやめればいい」とか「二酸化炭素を減らせばいい」とかいふのは偏つた考へ方で、それだけだと極端から極端に振れるだけでなにもよくならないのではないかといふ気がする。
いまが極端な状況なのだから逆の極端な手段を取るしかないのだといふ人もゐるかもしれない。
しかし、極端な手段を取つた場合、ちやうどいいところで止めるのはむつかしいと思ふ。
たぶん、いつどうなつたらちやうどいい状態になるのか、決められる人はゐないしわかる人もゐないのぢやないだらうか。
さうやつて、わかりやすい手段に訴へつづける限り、環境は悪くなる一方だと思ふし、そもそも人間はなにをしたつて環境を破壊する存在であると認識した方がいいと思ふがなあ。
自分は悪い存在だと思へないんだらうな。あるいは思ひたくないのかもしれない。
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