方言に悩まされる
先週からMarkdown記法を学んでゐる。
これまで避けてきたのだが、学んでみたら案外かんたんだし、らくちんだし、これいいぢやんと思つてゐる。
が、自分では記法にしたがつてきちんと書いてゐるつもりなのに、ちやんと変換されないのがはがゆい。
Markdown記法を覚えやうと思つたのは、Tumblrで採用してゐるからだ。
Tumblrのエディタでは、リッチテキスト/HTML/Markdownの三種類が選べるやうになつてゐる。
……などとここでTumblrの話をするのもなんだが、まあいいとするか。
ちなみにTumblrのエディタはベータ版が後悔されてゐて、こちらには上記の選択肢はないやうだ。
残念。
Markdown記法といふのは、「HTMLで書くの、めんどくさいよね。なんかもつとかんたんに書けないかな」といふことで生まれたものと理解してゐる。
だから見出しの場合はかう、箇条書きの場合はかう、改行したいときはかう、といふ感じで書き方が決まつてゐる。
これがかんたんでいいんだよね。
見出しだつたら「#」を使ふ。「#」が「見出し1」に、「##」が「見出し2」に相当する。
いちいちタグと閉じタグを意識して書く必要がない。
また、いざといふときはHTMLのタグを入れてもいいのらしい。
いいぢやあないかー。
しかし、そのMarkdown記法もこの世に生まれてからだいぶたつてゐる。
便利でみんなが使ひ出すとどうなるかといふと、方言が生まれる。
それぞれ「こつちの方がもつといいんぢやね?」といふ感じで規則にはない書き方が出回るやうになる。
さうすると、その新しい書き方を知らないと困つたことになつたりする。
トランプ・ゲームに「大貧民」といふゲームがある。
これ、シンプルに遊べばどうといふことはないのだが、世の中には「革命」といふルールがあつたりする。
#ない場合もあるんですよ、念のために書いておくと。
この「革命」といふルールが、人によつて違つたりするんだな。
ローカル・ルールがあつたりするのだ。
ほら、困るでせう。
といふわけで、Markdown記法もかうなつてくると便利なんだか不便なんだかわからない状態だな、と思つたりもする。
もしかしたらTumblrでうまく変換されないのはそのせゐなのかも?
あるいは単にWebブラウザによつて見え方が違ふとか、さういふ話なのかも?
でもまあ、せつかく覚えたんだから使ひたいわけですよ。
ダニエル=クルーガー効果といふものが世の中にはある。
知識の乏しい人ほど自分は優れてゐると考へがち、といふものだ。
でも、思ふのである。
ちよつと知識をつけたところで、いろいろ試してみる、さういふ期間を指すのではないか、と。
さう思つてゐたら、先日おなじやうなことをつぶやいてゐる人がゐた。
で、その乏しいながらもいまある手持ちの知識や経験で「自分はできるんだ」と思ひこんで試行錯誤していくうちに、さらに知識と経験をつけていくのぢやあるまいか。
人間はさうして生きてきたのぢやあるまいか。
さう思ふのだ。
つまり、自分のMarkdown記法に関する知識も経験も乏しい、といふことなんだけれどね。
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