多幸感はよいけれど
新型コロナウィルスに感染すると酸素飽和度が下がり、多幸感を覚えるやうになつて症状に気づくのが遅れることがあるのださうな。
この年末年始のあひだ、常にない多幸感にみまはれてゐた。
なんだかよくわからないが、日々気持ちが穏やかでいつものふさぎの虫も顔を出さず、いい感じで過ごしてゐた。
だが、サチュレーションが下がつてゐるのとおなじ状態だといふことに気がつき、「も、もしかしたら感染してゐるのかも」と不安を覚えたこともたしかである。
出かけなくていいし、したくないことはできるだけしない。
今回は休みに入る前に年賀状も投函した。
毎日その日の内に布団に入りもした。
結果、いつになく安定した心持ちでゐられたのだらうと思ふ。
実際は、一月一日の朝目が覚めたときにはもう「……仕事、行きたくないな」と思つてどんよりした気持ちになつたりはしたけれど。
出かけなくていい、他人と会はなくていいといふのは、精神的にいいものなのだなあ。
自分にとつては、だけれども。
しかし、新型コロナウィルスに感染した時の状況に似てゐるといふのは困りものだ。
そういえば、三年前だつたらうか、インフルエンザにかかつた時もこんな感じだつたな。
五日間自主隔離で、外に一歩も出られないやうな状況で、でも落ち込んだり気分が沈んだりといふことはなかつた。
有給休暇が足りないかもといふ不安はあつたが、天下御免でこもつてゐられるといふのがよかつたのかもしれない。
自主隔離期間が終はらうといふころ、具合が悪くなつてきたのもさういふことだつたと考へることもできる。
世の中、外に出たい人間ばかりぢやないんだよなあ。
さういふ人間のことしか考へてもらへない世の中だけどさ。
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