Never Say "Bah! Humbug!"
この時期になると『クリスマス・キャロル』を読むことがある。
別段好きといふわけではないが……それとも好きなのかな。まあいいや。
この話にはひとつ気になることがある。
それは、スクルージが先に死んでゐたら、マーレイが主人公になつてゐたのか、といふことだ。
そして、マーレイにもまた、スクルージのやうな悲しい過去があるのだらうか、といふこと。
あら、ふたつだね。
#Nobody expects the Spanish Inquisition!
歳をとつたせゐか、スクルージのこどものころやわかいころの逸話はときに堪へ難いことがある。
だからといつてああなつていいわけではないかもしれないけれど、でもさー、仕方ないなつて気がして来ないか? 来ないかな。
スクルージのもとにマーレイの幽霊があらはれるのは、スクルージにはまだ救ひがあるからだ。
救ひぢやないか。
取り返しがつく点があるからだ。
スクルージはなにも昔からヤなやつだつたわけではない。
おさないころからのあれやこれやがつもりつもつてああなつてしまつたわけだ。
でもスクルージにも思ひやりのある時期があつた。
そしてそれを取り戻せる可能性もある。というか、あるから
物語を読んでゐると、スクルージはさみしい死に方をしたくない、死んでから悪く云はれたくないから改心したとも思へる。
でもさうならいきなり第三夜だけ見せればいいわけで、第一夜第二夜の意味がなくなる。
おそらく、最初から第三夜を見せられてもスクルージはたいして怖い思ひ悲しい思ひをしなかつたらう。
第一夜でみづからの来し方をふり返り、第二夜で甥やクラチェット一家のやうすを見、それで第三夜がよけいにおそろしいもののやうに思はれたのぢやあるまいか。
と、スクルージの話はとりあへずいい。
さういふ話だね、だ。
これがマーレイであつても、おなじやうな展開になつたのだらうか。
スクルージの幽霊があらはれて、同じやうに三人の幽霊があらはれて、そしてマーレイは改心したのだらうか。
物語の中には出て来ない(と思ふ)けれど、マーレイは幽霊となつてスクルージのもとにあらはれて、それで許されたのではあるまいかと思ふときがある。
だつて、そんな義理はないわけぢやない?
スクルージはマーレイの葬式のときだつて出ししぶつたわけだしさ。
「お前、このまんまだと俺のやうになるぞ」なんぞと教へてくれるなんて、いい人ぢやん、マーレイ。
もちろん、「スクルージのところに行けばいまの状況から救つてあげますよ」とか誰かに云はれたといふ可能性もあるけれど。
でも、マーレイにもなにか救ひが、といはうかみどころがあつたんぢやないかなあ。
などと書いてゐたら気になつてきた。
今年は『クリスマス・キャロル』を読むかな。
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