楽しさの背徳感
タティングレースの替襟は、結局昼休みに作つてゐる。
お弁当を食べ終へてあまつた時間にせつせと結んでゐる。
出勤するやうになるととみに眠い。
それでなくてもいつでも眠たいのに、通勤時間で睡眠時間が削られるからよけいに眠たい。
昼休みは足りない睡眠を補ふ時間にしたいと切実に思ふ。
実際、在宅勤務のときは昼休みをまるまる睡眠時間にあてることもあるほどだ。
だが、その一方で、せつかくの自由時間なのだから、やりたいことをしたいといふ気持ちも強い。
それでタティングをしてしまふわけだが、休み時間に休んでゐる人が少ないとちよつと気が引ける。
それともみんな休んでゐるのだらうか。
どうもあまりさういふ感じがしない。
Webサイトを閲覧する程度であんなにキーボードをカチャカチャ打つわけがないし。
なにかしら作業をしてゐる人が多いのではあるまいか。
気のせゐなのかな。
気にし過ぎなのだらうか。
そんな気もする。
そんなわけで、タティングにいそしみ、糸を結ぶことを楽しいと思ふ一方で、自分はすべきでないことをしてゐるのではないだらうかといふ良心の呵責的なものに悩まされてゐることも事実だ。
それでなくとも自分が好きなことをするといふことにはいくばくかの罪悪感が伴ふものだといふのに。
さう、自分が好きなこと、やりたいと思ふことをするときのあの罪悪感といふのはなんなのだらう。
これが「原罪」といふアレかと思つたりもするのだが、原罪といふのはもつと違ふもののやうだ。
なすべきことをなしてゐないからだらうな。
しなければならないことをしてゐないから、自分の好きなこと、やりたいこと、楽しいことをしてゐると罪悪感を覚えるのだ。
それではその義務や責務を果たせばいいではないか。
さうなのだけれども、それつてなんなのだらう。
たとへば部屋の片付けをするとか?
それをしてゐたら一日あつといふ間に終はつてしまふ。
だからいけないんだけどさ。
さうしたつまらない思ひとは別に、タティングレースの替襟は少しづつではあるものの完成に近づいてゐる。
多分。
さう思ふことにしたい。
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