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Monday, 30 November 2020

編みかけでもあたたかい

馬蹄型のショールは6玉中5玉目の毛糸に入つた。
背中の一番長い部分がだいたい55cmくらゐだらうか。
編み方には編み終はつたらガーター編みのうねを開くやうにしつかり整形することと書いてあるので、いまの状態よりは長くなる可能性はある。
もちろん、そんなに風にきちんと整形できれば、の話だ。

そんなわけで編み地が大きくなつてきたので、編んでゐる最中に膝にのせてゐるととてもあたたかい。
編み地をちよつとのばして膝を覆ふやうにするとあたたかさ満点だ。
去年はヴェストを編んでゐて、やはりこんな感じだつた。
編み地がだんだんのびてくると膝に乗るやうになつて、あたたかい。
それでますます編むやうになつたりもする。

今年はここまで結構あたたかかつたのでさうでもないが、冷えてくるといいんだよなあ。
編まないときでも膝に乗せてしまつて、うつかり編み始めてしまつたりもする。
もう一段の目数が多いからなかなか進まないのだが、そんなわけで進んだりもする。

編み方では、4-plyの糸を1040mくらゐ使つたとある。
中細毛糸50g玉を5玉強といつたところか。
いま編んでゐるのはローワンのフェルテッドツイードで、合太でだいたい一玉175mあるといふから、6玉編んだら1050mといつたところか。
糸の長さはおなじでも太さが違ふからもうちよつと大きくなるかと思つたけれど、どうもさうはいかないやうだ。
まあ、できあがつてみないとわからないけれどもね。

そんなわけでできあがるのが楽しみなのだが、なにしろあまつてゐる毛糸を使つてゐるので色合はせがすごいことになつてゐる。
有り体にいつてありえない。うつくしくないことこの上ない。
でもあたたかければいいかなと思つて編みつづけてゐる。

だからもう一枚編みたいかな、といふ欲もわくわけだが、ひたすらひたすらガーター編みだからなあ。
次はちよつと模様のあるやうなものが編みたいなあ。

Friday, 27 November 2020

ハンドドライヤーよりハンカチを

ハンドドライヤーといひジェットタオルといふ。
商業施設や公共施設のお手洗ひに設置されてゐることのある手を乾かす機械のことだ。
新型コロナウィルスの感染拡大に伴ひ、使用が禁止されてゐた。
なぜ禁止されてゐたのか。
やつがれの理解では、濡れた手に強い風があたるとウィルスのついた水が飛沫となつてあたりに散乱するからだ。
洋式便器なども水を流すときは蓋を閉めるやうにと云はれてゐる。やはり細かい水滴があたりに飛び散るからだ。

そのハンドドライヤーを使つてもいいといふ話がある。
経済産業省が経団連から云はれて許可を出さうとしてゐるのだとか。それとももう出たのだらうか。
なぜ経産省? なぜ経団連?
どちらも衛生問題に関してはズブの素人だらうに。

なぜ使つても問題ないのかといふと、これもやつがれの理解では、きちんと手を洗つてゐれば水滴にウィルスはほとんどゐないはずだからだ。
さう、あくまでも「きちんと手を洗つてゐれば」だ。
今年の二月三月や緊急事態宣言が出たころの話では、きちんと手を洗ふには石けんを使用して満遍なく手を洗ふ、このときに20秒はかける、そして石けんを水で流す、これにも15秒はかけるといふことだつた。
最近の話では、石けんを使用して満遍なく手を洗ふこと10秒、水で流すこと15秒、これを2回くり返すのが「きちんと手を洗ふ」なのださうだ。
職場でも歌舞伎座その他の出先でも、そんな風に手を洗つてゐる人にはほとんどお目にかからないんですけどねえ。
石けんを使ふ人はまだマシな方で、水だけ、ときには片手だけで出て行く人もゐる。むしろさういふ人の方がmajorityだ。
そんな人たちがハンドドライヤーを使つたらどういふことになるか。
想像するだにおそろしい。

とはいへ、手を洗つたらきちんと乾かすことも重要だ。
流感ウィルスは湿気を苦手とする一方で、菌やウィルスといふものは濡れてゐるところを好むものだからだ。
しかし、なぜか世の中の人はハンカチを持ち歩いてゐないことが多い。
Twiterでは、「きちんと手を洗ふ人はハンカチを持ち歩いてゐる率が高い。だからハンドドライヤーは使用禁止でいいと思ふ」といふ呟きもいくつか見かけた。
そのとほりなんぢやないかなあ。
かくいふやつがれも別段衛生問題に詳しいわけではないし、感染症の専門家といふわけでもないけどさ。

ハンドドライヤーの再稼働より、ハンカチを持ち歩くことを奨励した方がいいと思ふがなあ。
どこにでもハンドドライヤーがあるとは限らないし。
それに、施設ではハンドドライヤーを使はないことで電気代が節約されていいと思つてゐるところもあるんぢやあるまいか。
電気代が節約されるといふことは二酸化炭素排出量も減るだらうし。

それではどうしたら人はハンカチを持つやうになるだらう。
ひとつ考へられるのは、有名人や人気者、誰かの俗に云ふ推しがハンカチを持ち歩くことを奨励することだ。
自分はどこのブランドのハンカチを毎日持ち歩いてゐるとか、自身のグッズにハンカチを加へるとか、できることはいろいろあると思ふ。
さうすれば、推しとおなじハンカチを持たうとか推しのグッズのハンカチを使はうとかいふ人も増えるんぢやないかなあ。

ファッション業界でも「ハンカチを持つのが最先端」といふ風にすればいいのにと思ふ。
トップモデル・スーパーモデル(つて今いふのかね?)の人々が普段からハンカチを持ち歩いてゐる姿を公開するとかね。
ファッション雑誌でも「いまはハンカチをかばんに忍ばせておくのがin」と云つてみるとか。

老人向けにはTVがいいだらう。
再感染が心配とか後遺症がどうとか云つてゐるひまがあつたら、正しい手の洗ひ方やハンカチを持ち歩くことを訴へたらどうかと思ふ。
あとはドラマね。
ハンカチが取り持つ縁、みたやうなドラマを作るとか。
ドラマの登場人物、中でも一番魅力的だと思はれる人にハンカチを持たせるとか。

さういやその昔「ハンカチ王子」とか呼ばれてゐた野球選手もゐた。
いまその人にどうかうしろとは云ふつもりはもちろんないが、王子はともかく人気者がハンカチを持ち使つてゐる姿を報道するのは意味のあることだと思ふ。

ハンカチを持つことを強制しても意味はない。
持つ人はそれで持つかもしれないが、反発する人・無視する人もたくさんゐることだらう。
それよりは、ハンカチにまづ興味を持つてもらふことが一番だと思ふんだよなあ。

いづれにしても、どうといふことのないやうに見えることが大きな意味を持つんぢやないか。
新型コロナウィルスの感染予防についてはそんな気がしないでもない。
手洗ひ・うがひ・人との接触を避けること。
かうした一見効果の見えないこと、効果のないやうに思へることが重要なんぢやあるまいかなあ。

Thursday, 26 November 2020

捨てられない病

キーケースを買ひ換へた。
これまで使つてゐたCOBUのキーケースからorbitkeyのKey Organiser (zぢやなくてsなところがいい)にした。

COBUのキーケースはナガサワ文具センターで買つたと記憶してゐる。
革製で水色のケースで、COBUの製品についてゐるウサギの刻印がある。ファスナーで開け閉めするタイプで、中にカラビナのやうなカニカンのやうな金具が三つついてゐる。
中は全然問題ないのだが、外がもうダメだ。
外には長方形の金具がついてゐてほかのリングなどにつなげるやうになつてゐたのだが、これが取れてしまつた。
この金具をつなぎとめてゐた革が切れて分解してしまつたからだ。
糸がほつれてゐるから縫つてあつたんだらう。生憎切れた革の部分はなくしてしまつたので詳細はわからない。
もう一度金具をつけやうかとも思つたが、ちよつとやつがれの手には負へさうにない。
せめてファスナーの引き具に穴が空いてゐたらそこになにか通して使へるんだけど、残念ながら空いてゐない。

外の革もだいぶボロボロだし、これは買ひ換へ時か、と、外の金具が取れた時に思つた。
しかし、捨てられずに使ひつづけてきた。

このキーケースの何がいいかといふと、飯田の川本喜八郎美術館をはじめ博物館や美術館、或は歌舞伎座や国立劇場などでロッカーを借りた際、ロッカーの鍵を入れるのにちやうどよかつたからだ。
キーケースに鍵を入れる。
これならどこにロッカーの鍵を入れたか忘れずに済む。
だから次に買ふとしてもおなじやうなタイプのキーケースにしたいと思つてゐた。

気分なんてあてにならないものだな。

orbitkeyのKey Organiserは、細長い革を半分に折つた形で、両端をつなぐネヂがついてをり、鍵の上の方についてゐる穴にネヂを通して使ふやうになつてゐる。
……これでわかるかなあ。
細長い革で鍵を包み、鍵と革とは足の長いネヂでつながつてゐる。
そんな感じのキーケースだ。
ネヂを開け閉めしないと鍵のつけたりはづしたりができないので、借りたロッカーの鍵などはその場で即追加するのはむつかしい。
そこでおなじorbitkeyのringを買つた。
このringはちよつとおもしろい機構になつてゐて、わりとかんたんに鍵をつけたり取つたりできる。
ファスナーを開けて鍵を入れてファスナーを閉める方がずつとかんたんだが、まあ、なんとかなるんぢやないかな。
その前に、展覧会や芝居に今後どれくらゐいくのかといふ話もあるし。

そんなわけで、キーケースは新しくなつたのだけれども、例によつていままで使つてきたキーケースを捨てられずにゐる。
完全にダメになつてしまつたわけではないしなあ。
それよりも、いままで世話になつたのにゴミとして捨てるなんて、といふ思ひの方が強い。
なぜ命のあるないに関はらずものといふのはダメになつてしまふのか。
使ひ方が悪かつたから? それはあるかもしれないけれど。
壊れなければ、或は壊れてもなほせればずつと使つていけるのに。

資本主義には向かないのかもしれないけれどね。

Wednesday, 25 November 2020

役に立たないTracker

Bullet Journal には Tracker を設けてゐる。
四月はとてもよくできて、その後もまあまあ埋まつてゐたのだが、先月後半からだんだんダメになつてきて、今月は躰を動かす系のことはほとんどできてゐない。
Twitterで朝活書写もやつてゐたのだが、それも今月半ばくらゐからふつつりとやめてしまつたやうな状況だ。
最初はやめる気はなかつたのだが、腱鞘炎もだいぶよくはなつたもののその後一進一退といふ感じだし、リハビリとしては朝活書写は向かないかなと思つて以来、つづいてゐない。

以前もここに Tracker のことは書いた。
前にも Bullet Journal に Tracker を追加したことがあつた。
でも、やつてもつけなかつたりするし、Tracker がなくても続けていけることがわかつたのでやめてしまつた。
Tracker といふのは、おそらく習慣づけたいことを日々行ひ、その記録を残すことでやる気の糧にする、そんなやうなものだらう。
ダメなんだな。
毎日できてゐて、それを記録して、でもそんなものは全然やる気の糧にはならない。
多分、自分はさういふタイプの人間なのだと思ふ。

毎日できてゐても「自分つてすごーい」とか思ふことはないしね。
どちらかといへばできなかつた時の気分の落ち込みの方が問題だ。
さう、習慣づけしたいことつて、続けていくことも大事だけど、続けられなかつたときにどうするかも大切だと思ふんだよね。
そこで挫折してしまふか。
それとも一度は記録が途切れたけれど、そこからまた続けていくか。
どうやらやつがれは続けていける方らしい。

さうすると、Tracker つてどうなのよ、と思つてしまふ。
そもそも自分はすでに習慣化してしまつたことの記録を取つてゐないだらうか、とかさ。
それは意味があるのか。
毎日歯を磨いてゐて、「朝も磨いた」「昼も磨いた」「夜も磨かなきや」とか、さういふのつて、意味があるのかなあ。
まあ、病気をしてゐてそれで絶対忘れてはならないとかいふのだつたら話はまた別だけれども。

Tracker を続けるには、いやさ、Tracker を使ふなら、なにか習慣づけたいことがないといけないのかもしれない。
習慣づけたいこと……なんだらうなあ。
いま項目としてあがつてゐることがさうだつたはずなんだけれど。

今年も残すところわづか。
年内はこのまま Tracker を続けるつもりだけれど、来年はわからない。
またやめちやふかもしれないな。

Tuesday, 24 November 2020

タティングと通勤

タティングレースの替襟はちまちま進んでゐる。
例によつて出勤した日の昼休み、食後に作つてゐて、進んでゐるやうなさうでもないやうな、だ。
しかし、一目作れば父のため……ぢやなくて一目作ればその分進んでゐると思ふことにしてゐる。

進まない理由には、出勤がつづくとなんとなく気分がすぐれなくて、七宝模様の一部を作つただけでやめてしまふこともしばしばだから、といふこともある。
疲れちやふんだよね。
疲れてしまふのは通勤しなければならないからだとずつと思つてゐた。
いまとなつてはその統計が正しいのかどうかわからないが、都心(これまた曖昧な概念だ)で働く人の平均通勤時間は片道一時間を切るのだといふ話を聞いたことがある。
えっ。
どういふこと?
一時間ぢやとてもとても職場になんてつかないんですけど。
といふことは、三十分くらゐで職場にたどり着く人もゐるといふことか?
まあ、統計といふのはさういふものではないけれども、ありえないことではない。

さういやイギリスでの調査だつたらうか、通勤時間が片道十五分を超える人はストレスがたまりやすいみたやうな結果を見かけたやうにも思ふ。

疲れてゐるのは通勤時間のせゐ。
だつて在宅勤務なら通勤時間なんてないんだもの。

だが待てよ。
遠因は通勤時間かもしれない。
でもこの疲れはおそらく寝不足のせゐだ。
通勤時間が長い分、睡眠時間を削らねばならないからだ。

せつかく在宅勤務で規則正しい生活ができるやうになつたといふのに。
通勤することでそれががらがらとくづれていく。
これからどんどん寒くなるといふのに、風邪でも引いたらどうしやう。
それでなくても新型コロナウィルスに感染する危険もあるといふのに。

結局、通勤つて躰に(精神にも)悪いんだよな。

早く規則正しい生活が送れるやうになりたい。
さうしたらタティングももうちよつと進むやうになるんぢやないかなあ。

Monday, 23 November 2020

未来を見るあみもの

せつせと馬蹄型ショールを編んでゐる。
ひたすらメリヤス編み(すなはちガーター編み)なので、心穏やかに編めるときと飽きてしまふときとがある。
昨日がわりと心穏やかに編めた日で、今日はちよつと飽きがちだ。
毎日おなじことばかりするのがよくないのかもしれない。
或は、今日は明日が出勤だといふのでなんとなく気持ちがすぐれないのかも。
こんな調子でできあがるのかなあ。計算でいくと、まだ毛糸は半分も使ひきつてゐないといふのに。

編んでゐると、あまり過去のことは考へない気がする。
ひたすら未来のことばかり考へてゐる。
そんな気がする。
これが編めたらどうしやうか、とか。
いつになつたら完成するんだらう、とか。
次はなにを編まうかな、とか。
どれも未来のことばかりだ。
自分はどちらかといふと後ろ向きで過ぎ去つたことばかり考へてゐるたちだ。
どちらかといふと、ぢやないか。どこからどう見ても、か。
だが、編みものをしてゐるときはさうではないやうだ。
タティングレースもおなじかな。

たつた今のことを考へることはもちろんある。
いま何段目を編んでゐるんだつけか、とか。
いま編んだところはほんとはかけ目ではなかつたか、とか。
ここで模様編みかな、とか。

来し方を考へるのは、どれだけ編めたか見返すときかな。
でもそのときも「あとどれくらゐ編めば完成するか」といふ視点があると思はれるので、同時に行く末のことも考へてゐる。
不思議なものだ。

未来なんてやつて来ないかもしれないのに、それでもせつせとショールを編んでゐる。
編んでも編んでもまだまだ編まねばならないショールを編んでゐる。
さういふものなのかもしれないな。

Friday, 20 November 2020

ほどよく使ふ ISAR S

かばんがきれいに見えるのは、5割方中身を入れたときだと思ふ。
すべてのかばんがさうとは云ひきれないし、さうでないかばんもあるかもしれないが、なんとなく感覚的にそんな感じがする。
だいたい、あまり重たい荷物を入れるのはかばんにもよくない。
いつも満杯に入れてゐるとそれだけかばんが傷むのも早い気がする。
でもいつも満杯にしがちなんだよなあ。
それで、ときどき無理やり小さいかばんに必要最小限と思はれる荷物を入れて持ち歩くやうにして、しばらくたつてから大きめのかばんに入れ替へるといふことをすることがある。

かばんの中にはゆとりがほしい。
さうしたらちよつと買物をしたときにも入れられるしさ。
余裕のある方がものも探しやすい。
わかつてゐるんだけどなあ。

さういやISARのSサイズにはそんなに満杯にものを入れてゐないな。
すぐ取り出すものはotona-sagariなどのポーチに入れてゐるといふこともあるけれど、もともと大容量だからといふのも大きい。
Sサイズだけど、ものすごくたくさん入るのだ。
メイン部分にはストラップがついてゐて厚みの調整ができるやうになつてゐるのだが、去年の暮れに入手して以来最大限にしたことはこれまで一度しかない。
職場で使つてゐた膝掛けを持ち帰つたときで、ちよつとかさばつたんだよね。
いつもはストラップは一番短くしてゐて、それで問題はほぼない。

Sサイズでも1kg弱あるといふのに、手に提げたり背負つたりすると軽いしなー。
ノートPCを入れるとさすがに重たいけれど、いろいろと考へられた作りなんだらう。
去年買つたときは、まさかこんなことになるとは思つてゐなかつたので、ノートPCなどそんなにしよつ中持ち歩くことはなからうと思つてゐた。
今年は在宅勤務をしたり出勤したりでノートPCを持ち歩くことが多い。
ISARを買つておいてよかつたなとしみじみ思ふ。

ノートPCを入れる部分は背面に近く、メイン部分とはわかれてゐる。
ほんとはMacBookを入れるんだらうなあと思ふが、まあ入らないこともないからと別のマシンを入れてゐる。
いま使つてゐるMacBookより小さいのに厚みがあるからちよつと入れづらいんだよね。
さういやまだMacBookを入れたことはない。
旅行にでも行けば持ち歩くこともあるかもしれないが、今年はそれもなかつたしなあ。
今後あるのだらうか。
あるとして、MacBookを旅先に持つていくだらうか。

それはさておき、そんなわけでPCを入れる部分にはちよつと負荷がかかつてゐるかもしれないが、その他の部分はそれほどでもない。
無理せずに使つてゐる。
今後もさうやつて使つていけるといいな。

Thursday, 19 November 2020

とかくこの世は住みにくい

職場で「承知しました」と云ひたくない。
電子メールにも書きたくない。
お恥づかしい話だが、働いてゐて長いこと「目上の人間に「了解」といふことばを使つてはならない」「「承知」といふべき」といふことを知らなかつた。
はじめて聞いたときに真つ先にしたことは辞書を引くことだつた。
辞書にはそんなことはひとことも書いてない。
どちらかといへば「了解」の方がいいのではないかと思ふ語釈を載せてゐる辞書もあつた。

しばらくして、「承知」の方が尊敬の意があると云ひだしたのは誰でいつのことかといふことを調べた人がゐることを知つた。
その人の調査したことを読んで、「承知」の方が「了解」より敬意を表することができると思つてゐる人間は自分で考へることもしなければまづ辞書を引くことも知らないのだな、と思つた。

それでも、世の中では「承知」の方がよく使はれてゐる。
悪貨は良貨を駆逐する。
考へなしに行動する人間の方が多いのだ。仕方がない。
老兵はただ立ち去るのみ。

話によると、「承知」には「承る」といふ字が入つてゐるから謙譲語(とは今は云はないのらしいが)なのらしい。
だつたら「了承」はいいのかといふと、「了承」も目上の人間には使つてはいけないのだといふ。
バカなのか。
バカなんだらうな。
そもそも、「承る」といふ字が入つてゐるからといつて「承知」といふことばに謙遜する意味はない。

そんなわけで、日々「承知」も「了解」も「了承」も使はずに過ごしてゐる。
なんでこんな苦労をしなければならないのだらう。
いざこざの起こることを見越して「了解」も「了承」も使はないことにしてゐる日和見な自分がいけないんだけどさ。
自分一人が「了解」や「了承」を使つたところで世の大勢は変へられないし。
新明解国語辞典などはもう「ビジネスの場では「承知」を使ふ」とか書いてゐるのかもしれないしな。

なぜこんなに「承知」にこだはるのか。
別に「承知」が悪いわけではない。
ことばの遣ひ方を窮屈にされるのがイヤなだけだ。
「了解」でもいいところを確たる理由もなく「失礼だから使ふな」とか云はれるのがどうしても承服しかねる。
あ、「承服」。今後は「承服」でいくかな。

かくいふやつがれも、云はれてそのまま受け入れてしまふことくらゐいくらでもあるけどさ。

Sustainable Theatregoing (STG) のこと

Sustainable Theatregoing、略して STG について考へてゐる。
定期券代が出なくなるので芝居見物に行けないと嘆いてゐたのが金曜日のこと。
その後も日々嘆いてゐるし、考へただけで気が滅入る。
さう。STG のことも考へるだけで気が滅入る。
だがさうも云つてゐられない。
なんとか芝居通ひをつづけていく道はないものか。
それが STG、即ち「つづけていけさうな芝居見物」だ。

持続可能? なにそれ、おいしいの?
といふか、持続可能つてなんだか頭悪さうに聞こえませんか。
持続可能といひ脆弱性といひ、もつとまともな日本語はなかつたのかと思つてしまふ。
かといつて、「サステイナブル(時折「サスティナブル」といふ表記も見るが、なんて読むんですか?)」とか「ヴァルナラビリティ」とかは云ひづらかつたのだらう。
「ファシリテーション」とは云ふくせにね。

とりあへず、電車の回数券は買ふ。
ただどこまで買ふかが問題だ。
職場と歌舞伎座と国立劇場に行くことを考へて、そのどこにも使へる区間の回数券を買つて、あとは毎回清算するか。
清算かー。
いまの職場のある駅はもともと出口が一箇所だつたのだが、もう一箇所増やした。職場はあとにできた出口側にある。
こちら側には清算機が一台しかない。
しかも、自分が出たい側ではない方にある。
時間かかるだらうなあ。

回数券を使ふといふことは、改札口も紙の切符に対応したところから出入りしなければならない。
これも案外手間だ。
近づいてみないとどの機械が紙の切符に対応してゐるのかわからないことが多いからだ。
普段、意識してないもんなあ、何番目の機械が紙の切符に対応してゐるか、なんて。

共通区間の回数券とは別にそこから先職場の最寄り駅までの回数券を別に買ふといふ手もある。
この場合は駅から出るときは毎回駅員のゐるところから出るやうだ。
問題は、なにかトラブルがあつて客の列ができてゐたりすることだが、さういふあまりなささうなこと(でもないやうな気がするが)は考へなくてもいいかなあ。

また、芝居見物に行く際には他社路線に乗り換へるといふ手もある。
片道二百円近く安くなる計算だ。
その代はり三十分は余計にかかることになる。
時間を取るか、お金を取るか。
ここでもやはり悩むことになるのか。

肝心の芝居は可能な限り通しだらう。
いまの歌舞伎座の四部構成でそれをするのはかなりつらい気がする。
さうすると、やはり見る部を減らすしかないかな。

鉄道各社はすでに定期券収入が激減してゐることだらうと思ふ。
大打撃だらうが、その打撃を被るのはなにも鉄道会社だけではない。
おそらく、映画館や劇場、博物館や美術館も対象になるのではあるまいか。
外食業や各種店舗もさうかもしれない。

企業は安易に定期券代支給をやめることで自らの保身をはかりながら、自身の収入の道を狭く細くしてゐるのかもしれない。
どうしてさういふ深謀遠慮が働かないのか不思議でならないが、だからシステム思考なんぞといふものがもてはやされたりするのだらう。
#え、してない?
#こりやまた失礼。

Tuesday, 17 November 2020

昔の記録に教はる

タティングレースの替襟は出勤したとき昼休みのあまつた時間に作つてゐる。
すなはちあまり進んでゐない。
考へてみたら家にゐるときも結べばいいのだが、なかなかそれができずにゐる。
なんか、本読んだりしちやふんだよね。
職場ではあまり本は読まない。
なんでだらう。
周りの人が読んでないからかな。
もひとつ考へてみれば、本を読みながらでもタティングできないこともない。
でも最近は本を読みながら線を引いたりツッコミを入れたりしてしまふので(Kindleで読んでゐるからね)、ながら読みがむつかしいのだつた。

はたして替襟はできあがるのか。
結んでゐるときは楽しいんだけどねえ。
実際にはじめてみないとやる気が出ないといふのはほんとのことなんだな、と思ふ。

ところで、先日デンマーク風のショールを編みたいと思つたのは十二年前のこと、といふやうなことを書いたやうに思ふ。
Evernoteに記録を残してゐたのでわかる。
Evernoteもいろいろな使ひ方を試してゐて、一時は Get Things Done 用にしやうと思つてノートブックを使つてゐたこともあつた。
が、ご多分にもれず GTD には挫折して、ノートブックだけが残つてゐるといふ状態だ。
その残骸のやうなノートブックをのぞいてみたら、あつたね、どーも。
作るつもりでゐたドイリーやらモチーフやらが。

記録しておくつて大事ね。
忘れてゐてもかうして思ひ出すことができる。

とはいへ、替襟の次は記録されてゐたドイリーやモチーフを作るとは限らない。
ドイリーは作りたい気がしてゐるけれど、なんだかビーズをあしらつたものを作りたい気がするんだよね。
最後にビーズ・タティングをしたのもずいぶん前のことのやうな気がするし。

現在 Evernote は新聞の切り抜きのスクラップブックのやうになつてゐる。
あと Twitter でつぶやいたことと、日々何時に起きて何時に出かけて何時に帰つてきて何時に寝たといふやうないはゆるライフログの記録か。
それだけでずいぶんなデータ量になるからこの上なにかを記録するのもどうかとは思ふけれど、新しいアカウントでも作つてそちらは手芸用にしてもいいかもしれない。
Evernote がずつと続くとして、だけど、まあローカルにも残るからいいかな。

Monday, 16 November 2020

速く編むには

馬蹄型のショールをせつせと編んでゐる。
ローワンのフェルテッドツイードをひたすらメリヤス編みで編む。
両面ともメリヤス編みだからガーター編みといふべきかもしれない。
1目だけ、毎段最初の目を裏メリヤス編みをするやうにすべり目にする。
編み方には毎段最後の目を裏メリヤス編みにして、最初の目をメリヤス編みを編む要領ですべり目にするとある。
どちらにしても、まあ、だいたいおなじやうな仕上がりなのでどちらにするかは好き好きだ。
ガーター編みだから裏表があるぢやないしね。

メリヤス編みばかりしてゐると、編む速さが気になつてくる。
現在のところ、全部で306目ある。
1目/秒として、1段編むのに5分以上かかるといふことだ。
実際のところ、1目を1秒で編めてゐるかどうかあやしいから、6分は確実にかかつてゐるんだらうと思ふ。

以前、世界一速編みの人の動画を見たことがある。
編む動作、即ち針を編み目に入れて糸をかけて引き出す動作が1拍のやうに見えた。
やつがれはどうかといふと、2拍だ。針を編み目に入れるのに1拍、糸をかけて引き出すのにもう1拍といつたところ。
ギネス世界記録は118目/分だといふ。ほぼ2目/秒だ。
世界一の人といふのは、云はば100mを9秒台で走る人のやうなものだ。
さういふ人と自分とを比較するのもどうかとは思ふが、まあしかし、参考にはなるだらう。

針の動きだけで速く編めるやうになるわけではない。
左右の針にかかつた編み地の捌き方がかなり重要だ。
編んでゐるあひだ左右にわかれた編み地を送りつづける、この動作にやつがれは難がある。
これで時間がかかつてゐることがしばしばあるからだ。

また、左手に糸をかける方法で編む場合は糸がどのあたりにかかつてゐるかも重要だ。
Twitterでは自分の糸のかけ位置にはそんなに問題はないといふやうなことを呟いたけれど、おそらくこの糸のかけ位置があまりよろしくないので針の動きが2拍になつてしまふのではないかといふ気もする。

毛糸玉から毛糸がスムースに出ないと話にならないことは云ふまでもない。

とはいへ、必ずしも速く編む必要はないともいへる。
えうは楽しければいいのであつてさ。
編むことで生計を立ててゐる場合はさうも云つてゐられないが、そんなにうまいわけぢやあないからなあ。
快適に編めればいい。
快適に編めてゐればおのづとスピードもついてくる。

などと云ひつつ、このショールはよささうな感じがするので、すでに次の一枚も編みたい気がしてゐる。
まだいま編んでゐるのができあがつてみないとわからないけどね。
でも編むとしたらスピードが必要になるんだらうなあ。

Friday, 13 November 2020

定期券がない

来月から定期券がなくなる。

在宅勤務が増えてゐるので、職場から定期券代が支給されなくなるからだ。
自前で買へばいいのだが、平日は毎日出勤するのならいざ知らず、さうとも限らない現状ではとてもとても購へるものではない。
何日通へば元が取れるのかと考へたが、なんだかさもしい気がしてしまつてさらに落ち込んでゐる。
先代の桂文治だつたらうか、協会から支給されて定期券を買つてゐたのだらうが高座に向かふとき以外は使はなかつたといふ。
文治はケチだつたといふ話も聞いたことがあるやうな気がするのでもしかしたら別の噺家だつたかもしれないが、いづれにせよさういふ料簡の噺家がゐたのだらう。
自身もさうありたいと願つて、未だ果たせたことがない。

定期券がなくなるといふことは、公共交通機関を利用する機会が減るといふことだ。
我が家から歌舞伎座まで、往復で二千円弱かかる。
いまの七倍相当だ。
それだけで一度幕見ができてしまふ。
考へるだけで気分がふさいでしまふ。

ことは歌舞伎だけではない。
近所には書店がない。
図書館もない。
パン屋や洋菓子店もない。
映画館もない。
手芸屋はもとよりない。
すべて最寄駅まで出ないとない。
映画館と手芸屋はさらに電車に乗らないとない。
そして最寄駅までは往復で五百円以上かかるのだつた。

歩いて行けばいいではないかといふ話もある。
歩くとやつがれの足で片道一時間半ではつかない。
毎日歩いてゐれば、やがて足が慣れて一時間半を切る日もくるかもしれないが、天気のいい日ばかりとも限らないしな。
それに、一時間半もあればほかにいろんなことができるのぢやあるまいか。
時間を取るか金を取るか。
これもまた究極の選択だらうか。

いづれ定年を迎へて退職したらおなじ状態になることはわかつてゐた。
だから芝居見物もそれまでのお楽しみだと思つてゐた。
本屋や図書館にしても片道は歩くやうだらうなと考へてゐた。
それまで足腰を鍛へてをかないと、と我にもあらず思つてもゐた。
それが少し前倒しされただけ。
さう考へることもできる。

いづれにせよ、「文化的」生活とはおさらばだ。
本や毛糸、食料品にしても通信販売で買ふといふ手はある。
送料を払つても、実際に店舗に出向くよりその方が安くあがるだらう。
行ける範囲の書店や手芸店を応援しなければとここ数年はつとめてきたが、それももうできなくなつてしまふ。
出かけたくない質だからそれでもいいんだけどね。
考へてみれば芝居にしても行かない云ひ訳ができたといふ話もある。

定期券代については、各公共交通機関はすでに打撃を受けてゐることだらう。
この三月あたりから在宅勤務をする人が増えてゐるといふ。
定期券を買はない人も多からう。
その分の埋め合はせとして、今後運賃をあげるといふこともあるのぢやあるまいか。
さうしたらますます出かけられなくなつてしまふ。

日々家にこもり、歩いて行ける範囲のところに行つて暮らしていく。
それが分相応といふものなのかもしれない。
芝居見物は自分には過ぎた趣味なのではないかと悩むことも多かつた。

かう書きながら、やはり芝居は見にいくだらう。
映画はちよつとわからないけれど、でも見たいものがあつたら見にいくに違ひない。
ただ、これまでよりは行く機会も減るし、それなりの覚悟をして行くやうだけれど。

Thursday, 12 November 2020

好きなことには時間を作る?

お気に入りのペンは何本もある。
だが一度に使へるのは一本だけだ。
もちろん、両手に一本づつ持つて書くとか、利き手に何本か持つて書くといふ手もないわけぢやない。
でもそれは曲芸の部類だらう。
きちんと書きたいと思つたら、やはり利き手に一本きちんと持つて書く或は描く。
さうするのが正しいと思ふし、正しくなくてもさうしたい。

だが、実際にはさうする時間がなかなか取れない。
これは云ひ訳なのだらうか。
以前、いまの市川猿翁が猿之助だつたころ、TVコマーシャルに出て云つてゐた。
人間、ほんたうに好きならどうにかして時間を作るものなんですよ、と。
猿之助にさう云はれると、さうなのだらうと思はざるを得ない。
さういふ力が三代目にはあつた。
いま思へば、それは猿之助だから云へたことだつたのぢやあるまいか。
やはり凡人にはむつかしい。
そんな気がする。

凡人だから、やらない云ひ訳はいくらでも出てくる。
時間がない。
睡眠時間の方が大切だ。
仕事に差し支へる。
日々の生活をまともに過ごすことにしたい。
それができてはじめて趣味のことをするべきだらう?

さうやつて日一日と過ぎてゆき、今年ももうすぐ終はる。
What have I done?
や、「なんていふことをしてしまつたのだ!」ぢやなくてさ。
ま、それでもいいか。

Wednesday, 11 November 2020

孤独の芝居見物

芝居を見てゐると「孤独だなあ」と思ふことがある。
以前もここに書いたやうに、周りが大熱狂の嵐のときにひとり何がいいのかわからず、とてもとても拍手なんてする気にならないときとか。
最近はあまりないかな。
以前はたまにあつた。
最年少子獅子の連獅子の時とかね。
おなじ年に2度目に見た『敵討天下茶屋聚』の時とか。
何度目かの『荒川の佐吉』の時とか。

あまりにもをかしくて笑ひ出しさうになつたのに周りがしーんとしてゐる、なんてなこともある。
『幻想神空海』のときに舞台のど真ん中にデカデカと「楊貴妃之墓」と書かれた墓石とおぼしきものが出てきて思はず笑ひさうになつた。
をかしいだらう? 「楊貴妃之墓」だよ。ありえないよ。逆だよ。ドリフだよ。
しかし、客席はしーんとしてゐた。誰も笑つてなどゐなかつた。もしかしてみんな眠つてゐたのかな。
『幻想神空海』といへば「曹操様」にも笑ひさうになつた。
云はないから。「曹操様」とか。「様」をつける相手に「曹操」は不敬の極みだらうよ。
でも誰も笑つてなかつたなー。をかしいなー。

『幻想神空海』といふと、この「楊貴妃之墓」と「曹操様」と、あと歌六と又五郎とがキョーダインだつたなー、といふことが痛く記憶に残つてゐる。
だが、キョーダインにうなづいてくれた人はゐない。
えー、すっごくキョーダインだつたぢやーん。
もちろん歌六がスカイゼルで又五郎がグランゼルだ。
なんでだれもうなづいてくれないのー(/_;)。全然そんなことはなかつたからだらうか。
さうかもしれない。

こんな感じでとても孤独なのだつた。

今月、国立劇場で「俊寛」がかかつてゐる。
見てゐると、時折「成経は自分の父親がどうなつてゐるのか、この時点では知らないんだよなあ」と思つて不憫になることがある。
今回国立劇場でかかつてゐる部分の後段で、成経の妻になるはずの千鳥は大活躍のあと命を落とす。
その時点でも、まだ成経は自分の父・成親がどうなつてゐるのか知らない。
流されたことくらゐは知つてゐて、でも悲惨な最期を迎へたことは知るよしもない。
まあ、成親の最期については諸説あるので実際のところよくわからないといふこともあるけれど、幸せとはとてもいへなかつたことは確かだ。
成経は、自分も許されたし、もしかしたら父も許されてゐるかもしれないくらゐのことは考へてゐたんぢやないかなあ。
さうすると、あまりものごとを深刻に考へないお坊つちやまに見える成経だが、なんだかかわいさうになつてきちやふんだよなあ。

といふやうな話はあまり聞かないし、やつぱり「芝居を見てもひとり」とか思つちやふんだよね。
秋のせゐかな。

Tuesday, 10 November 2020

ボビンがない

ボビンがない。

いや、ないわけがない。
ボビン入れが足りないほどあるのに、糸を巻いてゐないボビンがないのだ。
すなはち、空のボビンがない。
それで余計にレース糸を巻いておけないのである。

タティングレースの替襟は、タティングシャトルAerlitを使つて作つてゐる。
Aerlitはボビンに糸を巻いて使ふシャトルだ。
替襟はそれなりにレース糸を消費するので、予備のボビンにレース糸を巻いておくと糸を使ひきつたときに即次のボビンに付け替へればよい。
それが、余分なボビンが少ないのでしよつ中糸を巻いてゐる。

ボビンを買へばいいではないか。
さういふ意見もあらう。
不思議なことにボビンは買つても買つても十分といふことがない。
この前買つたばかりなにのに、気がつくとどのボビンにも糸が巻かれてゐる。
ミシンを使ふ人もおなじやうなのではあるまいか。
ボビンはあればあるだけ使つてしまふ。
さういふものなのだと思ふ。

以前こんな話を聞いたことがある。
机が狭くて作業ができないので、さらに広い机を使ふやうにしたら、最初のうちこそよかつたものの、気がつくとやつぱり狭いと思ふやうになつた、といふ。
似たやうな経験はある。
持ち歩きたい荷物に比してカバンが小さいのでさらに大きいカバンを使ふやうになつた。
最初のうちはよかつたのに、気がつくとそのカバンでも物足りなくなつてゐる。
それとおなじことだなと合点してからは、カバンが小さいなもつと大きいカバンがほしいなと思ふやうになつたら、敢て小さいカバンを使ふやうにして持ち歩くものを減らすやうにしてゐる。
それで出先で必要なものがなくて困ることもないわけぢやないが、余分なものを持ち歩かなくなることも確かだ。
それで慣れてきたらもう少し大きいカバンにする。カバンには余裕があつた方がいいと思ふからだ。

ボビンもそれと一緒……とはいかないんだよなあ。
ボビンの数が少なかつたら少ないなりに工夫はするとは思ふけれど、それでカバンのやうにものごとが解決するかといふとしない気がする。
現に汲々としてゐるわけだし。

思ひきつて使つてゐないボビンの糸を捨ててしまふといふ手もあるんだけどね。
どうしたものかなあ。

Monday, 09 November 2020

また無駄なものを編み始めてしまつた

また新たなものを編み始めてしまつた。
ひとつ完成させてから次のものにうつるやうにしてゐたんだがな。

ものは more than a triangle shawl。馬蹄型になるショールだ。
糸はローワンのフェルテッドツイード。別のものを編んであまつた毛糸だまを発掘してきて編んでゐる。
いい糸だし、ちやんとなにかにしたいと思つてとつてあつたんだよね。
なんかいいものになるといいと思つてゐる。

このショールを編み始めたのにはわけがある。
寒かつたからだ。
馬蹄型のショールは大きく編むと羽織つたときに前に垂れる二本の先を背中に回して結べるやうになる。
そこまで長くならなかつたら先に紐を編みつけて結べるやうにしてもいい。
これはデンマーク風のショールの羽織り方といふので、以前からやつてみたいと思つてゐた。
記録を見たら2008年の夏とある。
Evernoteに写真とURLが残つてゐる。
もう12年も前の話か。

去年、Dane Shawlを編んだ。
これも馬蹄型のショールで、大きく編めば背中で結べるやうになるのだが、そこまで大きくはできなかつた。
くつ下毛糸1玉だけだつたからな。だいたい400mくらゐか。
more than a triangle shawl の編み方には中細毛糸を1040m使つたとあるから、50gで200mとして5玉ちよいか。

フェルテッドツイードは50gでだいたい175mとある。
糸の太さとしては並太くらゐありさうだから、かなり編みではある。
半端にあまつてゐる毛糸は6玉あるから、それなりに大きいショールになるんぢやないかなあと期待してゐる。

問題は、半端な毛糸だから色がものすごいことになるといふことだが、まあ、家でしか使はないことにすればそれでいいかなとも思ふ。
寒さがしのげれば御の字だからね。

Friday, 06 November 2020

惰眠を貪る

最近、やたらと寝てしまふ。
起きてゐてもいいことないし。
だつたら普段から足りない睡眠を補つておくか。
それくらゐの気持ちだ。

三原順のまんが『はみだしっ子』に、眠り姫が眠つてゐたのはなにかいいことが起きるまで寝てゐたいから、みたやうな話があつたやうに思ふ。
なにかいいこと起きるまで。
ないな。
なにかいいことなど起きるはずがない。
だから寝てしまふ。
さういふ面もある。

単に眠いといふ話もある。
夜になると明日はあるひは週末は映画にでも行かうといふ気になる。
まだ『テネット』を見てゐないし、週末からは神保町シアターで成田三樹夫特集がある。
見に行きたい。
だが朝起きるととてもとてもそんな気にはならない。
映画館、遠いしな。
行つて帰るのに時間がかかりすぎる。
食事もどのタイミングでとつたらいいのかよくわからない。
食べなくてもいいけれど、映画を見てゐる最中におなかが鳴るのも申し訳ない気がする。
生理現象なんだからいいぢやない、とも思ふのだが、芝居を見る人は結構さういふところにうるさいんだよね。
「お前の腹は鳴らぬのか!」と思ふこともあるけれども、仕方がない。

今日ももうすでに眠い。
だいたい眠たくないときがない。
眠たくないのは眠らなければならないときくらゐだ。すなはち夜、もういい時間になつたころ。
どうしてかうなんだらうね。

睡眠は死の予行演習なのかなと思ふこともある。
世の中いいことがない。
眠つてしまはうか。
なにかいいこと起きるまで。

Thursday, 05 November 2020

展覧会に行きたい

上野の森美術館で開催されてゐる「キング&クイーン展」に行きたいと思つてゐる。
Horrible Histories を見てゐると行きたくなるんだよね。
おかげでウィリアム一世からエリザベス二世まで英国王・女王の名前も覚えたし。

と思つたら、肖像画があるのはテューダー朝以降だといふ話を聞いた。
さうなのか。
リチャード三世とかゐないのか。
もしかしたら生前に描かれた肖像画だけ、とかなんとか、さういふ縛りがあるのかな。
それともナショナル・ボートレート・ギャラリーにはヘンリー七世からあとの肖像画しかないとか。
まあ見に行けばわかるか。

問題は、COVID-19の騒ぎからこのかたまだ展覧会の類には行つたことがないことだ。
どんな感じなんだらう。
もちろん、展覧会によつても違ふだらうし日時によつても違ふだらうけれど。
「キング&クイーン展」は一応時間帯によつて人数をしぼつてゐるやうだけれど、よく展覧会に行く友人の話だと展覧会によつて混み具合はまちまちだといふ。
時間によつて人数をしぼつてゐるはずが、かなりこみあつてゐることもあるといふ。
さうなのかー。それはちよつと怖いな。
混んでゐるといつても去年行つたナショナル・ギャラリーくらゐならいいのだけれど。
あのときはボートレート・ギャラリーには行かなかつたんだよね。疲れ切つてゐたからといふこともある。

今回はそれも心配だ。
最近あまり歩いてゐないから、展覧会では途中で力尽きてしまふかもしれない。
ジョージを四人も見たらもうその先は見られないかも、とか。

あと、Horrible Histories を見てゐるせいで、「Monarchs Song」とか Georges の「Born to Rule」とかを歌ひ出してしまつたりしないかとか、いろいろ心配は尽きない。

でも、行つてみやうかなあ。
今年はまだ一度も展覧会に行つてゐないし……と思つたら、二月にクイーン展に行つたんだつた。
また英国か。クイーンか。
さうも思ふが、ちよつとチケットの残り具合を見てみるか。

Wednesday, 04 November 2020

まつたく知らない『鬼滅の刃』

先日映画『鬼滅の刃 無限列車編』を見てきた。
舞台挨拶中継のある日だつたやうで見たい人はそちらに殺到したせゐか、やつがれの見た回は話に聞くほど混んではゐなかつた。
背後が通路の席の通路際の席を選んだら周囲には誰もゐなかつたしね。
映画館はすでに全席売り出してゐる場合が多いが、ひとつ置きよりもなほ疎といつたところだつた。

これまで、少年ジャンプのまんがはちやんと知らなくてもなんとなく知つてゐるものが多かつた。
『ONE PIECE』とか『NARUTO』とか『銀魂』とか、『ジョジョの奇妙な冒険』でさへそんなによくは知らない。
でもなんとなく知つてゐる。
全国的に有名つてさういふことだと思つてもゐた。
たとへばレコード大賞を取るやうな曲は、とくに好きな歌手やグループのものでなくても知つてゐて当然、みたようなね。
まあそんなことはもう前世紀末にはなくなつてゐたやうに思ふけれども。
なにしろ、SMAPが解散するときに騒ぎになつて「え、あんな過去の人々のことで?」と思つたり、「国民的歌手」といふ惹句を耳にして「え、嵐つて歌歌つてたの?」と思つたりする人間のいふことだと思つてもらへるとありがたい。
#一応関ジャニ∞まではメンバの顔と名前とは一致するのだが……

そんなわけで『鬼滅の刃』についてはなにも知らなかつた。
連載が終はつた、といふことくらゐかな。
そもそも「鬼滅」はいいとして、「刃」はなんと読むのかわからなかつたくらゐだ。
「ハ」なのか「ヤイバ」なのか。バランスからいつて後者かな、くらゐだつた。
主人公の名前だつて、最初の字は音読みするのか訓読みするのか悩んだなー。どつちもいけさうぢやない?

なんでかうなつてしまつたのか。
年をとつたから、といふのが正解だらうと思ひつつ、やはりTVを見なくなつたからかな、とも思ふ。
『ONE PIECE』も『NARUTO』も『銀魂』もTVで見たものな。
『ジョジョ』だけはTVで見なくてもなんとなく知つてゐて、なるほど、人気があるとかある種の教養の一部であるといふことはかういふことなのか、とも思ふ。
かういふのつて単なる人気だけぢやないところがある。
たとへばある種の人々には必ず『究極超人あ〜る』の話が通じる、とかね。
世代によつては『宇宙家族カールビンソン』とか、吾妻ひでおの一連のまんがとか、なぜか話が通じることがある。
『ジョジョ』はそれに近くて、でももつと広範にいろんな人が知つてゐるといふ感じかな。
『鬼滅の刃』はまださうはなつてゐなくて、もしかすると今後さうなるのかもしれないし、ならないのかもしれない。

で、まあそんな状態で映画を見に行つて、もちろん謎なことはたくさんあるんだけど、内容がわからないかといふとそんなことはなく、これまで見聞き読みしてきたさまざまなまんがやアニメや小説などのおかげで楽しめたといふところか。

謎なところね。
なんであの三人は一緒にゐるのか、とかね。
#そこからかっっ!
鬼滅隊にはどうやつて入るのかとか。
どこでさまざまな呼吸法を身につけるのかとか。
大正時代といふ話だけれど、刀はどこで入手するのかとか。
鬼滅隊に入るともらへたりするのか知らん。
「柱」にはどうやつてなるのか誰が認めてくれるのか何人ゐるのかとか。

考へてみたら、去年はなんにも知らないのに『刀剣乱舞』の映画を見に行つてゐるので、謎があつても見ちやふ体質なのかもしれないと思はないでもない。
なんといふか、疑問を覚えない体質といふかね。
ものごとをあまり深く考へない体質といふか。

映画の『鬼滅の刃』を見て謎はいろいろあつたけれども、ぢやあ原作を読んだりTVアニメを見たりしてその謎を解かうといふ気にはならない。
そのうち明らかになるのではないかな。
人気があるつてさういふことだと思ふし。

Tuesday, 03 November 2020

楽しさの背徳感

タティングレースの替襟は、結局昼休みに作つてゐる。
お弁当を食べ終へてあまつた時間にせつせと結んでゐる。

出勤するやうになるととみに眠い。
それでなくてもいつでも眠たいのに、通勤時間で睡眠時間が削られるからよけいに眠たい。
昼休みは足りない睡眠を補ふ時間にしたいと切実に思ふ。
実際、在宅勤務のときは昼休みをまるまる睡眠時間にあてることもあるほどだ。

だが、その一方で、せつかくの自由時間なのだから、やりたいことをしたいといふ気持ちも強い。
それでタティングをしてしまふわけだが、休み時間に休んでゐる人が少ないとちよつと気が引ける。
それともみんな休んでゐるのだらうか。
どうもあまりさういふ感じがしない。
Webサイトを閲覧する程度であんなにキーボードをカチャカチャ打つわけがないし。
なにかしら作業をしてゐる人が多いのではあるまいか。
気のせゐなのかな。
気にし過ぎなのだらうか。
そんな気もする。

そんなわけで、タティングにいそしみ、糸を結ぶことを楽しいと思ふ一方で、自分はすべきでないことをしてゐるのではないだらうかといふ良心の呵責的なものに悩まされてゐることも事実だ。
それでなくとも自分が好きなことをするといふことにはいくばくかの罪悪感が伴ふものだといふのに。

さう、自分が好きなこと、やりたいと思ふことをするときのあの罪悪感といふのはなんなのだらう。
これが「原罪」といふアレかと思つたりもするのだが、原罪といふのはもつと違ふもののやうだ。

なすべきことをなしてゐないからだらうな。
しなければならないことをしてゐないから、自分の好きなこと、やりたいこと、楽しいことをしてゐると罪悪感を覚えるのだ。
それではその義務や責務を果たせばいいではないか。
さうなのだけれども、それつてなんなのだらう。
たとへば部屋の片付けをするとか?
それをしてゐたら一日あつといふ間に終はつてしまふ。
だからいけないんだけどさ。

さうしたつまらない思ひとは別に、タティングレースの替襟は少しづつではあるものの完成に近づいてゐる。
多分。
さう思ふことにしたい。

Monday, 02 November 2020

指定糸のない悲しみ

この秋冬三枚目の巻物をぼちぼち編んでゐる。
先日、まづパーツから編んだと書いた。
現在は本体をちまちま編んでゐる。

本体は筒状で、表になる部分はメリヤス編みと裏メリヤス編みの地模様で裏になる部分はメリヤス編みのみだ。
パビーのNew4Plyを二本どりにして編んでゐて、いまは二本ともおなじ色だが途中から別の色の糸同士にしやうと思つてゐる。
といふか、思つてゐた。






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ところが思つたより同色二本の部分が長くなつてしまつて、このままだと違う色同士の二本どりに変へたときに唐突で妙な感じになりさうなのだ。
困つたなあ。
まだもう二巻同色の毛糸を買つてあるからそれを使へばいいのだけれど、違う色同士をひとつの毛糸だまにしちやつたんだよね。
うーん。
違う色同士の糸は別なものを編むのに使ふか。
あるひは巻物の端の部分に使ふか。
端ならそこはちよつと褪色してきてゐるんですよ、といふやうな塩梅にできないかなあと思つてゐる。
ムリかな。

指定糸が手に入らないとかういふ苦労もある。
考へるのは楽しいんだけどね。
うまく合はないとチトつらい。
いづれにせよ、使ふことはないかもしれない巻物なので、妙になつてもいいかな。
試し編みといふことにしてもいいかもしれない。
作品は仕上げることが大事、といふ話もあるしな。

10月の読書メーター

10月の読書メーター
読んだ本の数:3
読んだページ数:947
ナイス数:26

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読了日:10月22日 著者:Tim Harford

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