銀英伝にはマーラーがよく似合ふ
土曜日に秋葉原UDXシアターの『銀河英雄伝説』の上映会に行つてきた。
この日上映されたのは俗に石黒版と呼ばれてゐる以前のアニメの外伝にあたる作品三作だ。
上映順に『第三次ティアマト会戦』『わが征くは星の大海』『新たなる戦いの序曲』である。
あとの二つは先月もおなじ場所で見たんだけどさ。
石黒版とはあまり相性がよくない。
『わが征くは星の大海』を映画館に見にいく前、あまりにも情報がなかつた。
考へてみればアニメ雑誌、特に徳間なんだから『アニメージュ』でも見ればよかつたのかもしれないが、その時にはさういふ発想がなかつた。
『ぴあ』などを見ると、出演者のところに「富山敬」とあるばかりだつた。
あともう一人くらゐ名前が書いてあることがあつたけれど、記憶にあるのは富山敬だけである。
見て、「ヤンだつたらヤだなー」と思つた。
自分のイメージとまつたく違ふからだ。
それに、富山敬の演じる役で好きなものがタイムボカンシリーズのアナウンサくらゐしかなかつた。
『キャンディ・キャンディ』のテリーなんかも全然イメージと違つた。
で、実際に見て、やつぱりヤンで、なんか違ふんだよなー、と思つてしまつた。
その後、続きを見ることもあつたけれど、ユリアンに対して意見するところなんかがひどく説教じみてゐて、それがまたイヤだつた。
ヤンは説教しても説教めいたところがない、あつてもほんのわづかだらうと思ひながら読んでたからさ。受け入れ難かつたんだよね。
先月見たときは「記憶にあるほどイヤぢやない」と思つたから、思ひ込みといふのはおそろしいものではある。
まあでも、石黒版がダメな理由はそれではない。
マーラーの交響曲第六番のせゐだ。
マーラーの六番はマーラーの交響曲の中で一番好きな曲だ。
それを、憂国騎士団に使つたんだよ、石黒版は!
それも、第一楽章だけならまだしも第二楽章(ときに第三楽章)までも!
許しがたいだらう?
とても許せなかつた。
たとへば。
第一楽章でも第二主題を使つたとか、第二楽章でものちに第二楽章になつた方を憂国騎士団に使つたといふのなら、「すごい!」と思つたに違ひない。
あまりにも安易だよ。
とはいへ、『わが征くは星の大海』をはじめて見たときに、「マーラーは銀英伝に合ふなあ」と思つたことも確かだ。
冒頭いきなり第三番のファンファーレが鳴り響く。
いいんだよなあ。
銀英伝を読んでゐるころは、マーラーのブームがきてゐたやうに思ふ。
TVコマーシャルにも「大地の歌」を使つててゐたり、CDの普及もあつたりして、マーラーの曲が広く知られるやうになつてゐた。
当時、『わが征くは星の大海』を見て、「ワーグナーを使はなかつたのはさすが」みたやうな意見があつた。
さうかなぁ。銀英伝にはワーグナーよりマーラーの方が絶対合ふし、使つちやつてるぢやん。
その意見を見てさう思つた。
ワーグナーはそののち使つてゐるけどね。
『新たなる戦いの序曲』でも「ジークフリート牧歌」や『ローエングリン』の第三幕への前奏曲を使つてゐる。
でもどちらかといふと、ファーレンハイトが出撃を告げるところにガンと入つてくる「巨人」の第四楽章なんかがとてもいいんだよなあ。
しびれる。
しかも、ファーレンハイトの「何をしてゐやがる」で一旦切れる。
いいなあ。
といふ感じで、いくらでも語れてしまふのだが、ほんとに書きたいことにたどり着く前にこんなことになつてしまつた。
今週の土曜日はおなじ場所でノイエ銀英伝の一挙上映があるのださうだ。
見たいなー。
でもその日はもう先約があるのだつた。
残念。
石黒版に受け入れられない点があるのと同様、ノイエにも「それつてどうよ」と思ふ点はいくつかある。
でもそれはなににでもあると思ふのだ。
AにはAのよいところ、BにはBの長所といふものも確かにある。
さういふことだと思ふけどな。
石黒版は、本篇のあと外伝がつづいて最後がもともとは『第三次ティアマト会戦』だつたのだといふ。
最初が『わが征くは星の大海』だから、円環になつてゐたわけだ。
おもしろい。
ノイエはどうなるんだらう。
つづきが楽しみだ。
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