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Wednesday, 14 October 2020

人間らしさとは その二

文章を読んでゐても全然内容が理解できない。
頭に入つてこないとはかういふ状態かと思ふ。
かうして打つてゐる文章も果たしてちやんと読めるものかどうかいまは定かではない。

とくにわからないのは、自分の知らないことについて述べた文章か自分とは意を異にする文章のやうだ。
過去に読んでわかつたことは大丈夫なやうである。
といふのは、さつき「ヴェトナム戦争のときの死体の数理論つてなんだ?」と思つて以前読んだものを読み返したところ「ああ、マクナマラの云つてたアレか」とわかつたからだ。敵兵の死体の数だけで勝敗が決まるなんてことはないだらうと思ふにも関はらず。
わかつたから、といふよりは思ひ出したから、といふのが正しいかもしれない。
といふことはやはり読めてゐないわけだ。

そんな中、「ロジハラ」といふことばを見かけた。
読んでも理解できないからやはりこのことばのことも理解できない。
正論を云ふことの何が悪いのか。
先日もここに書いたが、真の人間らしさとは道筋だつた考へ方ができることではあるまいか。
いまのところ人間以外の生き物でそれができるものがゐるといふ話は聞いたことがないし。
巷間「人間らしい」と云はれてゐることは哺乳類のある種の動物はする。
あるひはそれに近いことをする。
それを「人間」らしいといつていいのか。

わからないなりに読んでゐると、「ロジハラ」とはかういふやうなことを指すのらしい。
部下が失敗した。
上司はなぜ部下がその失敗を犯したのかをわかつてゐて、部下にその理由を云はせやうとする。
これが上司による部下への「ロジハラ」なのださうだ。

え、ロジックはどこにあるの?
ないでせう?
それともやつぱり読めてないのかな。
読めてないのかもしれない。
ちやんと寝直してもう一度読み直さう。

このブログエントリもな。

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