毎朝一枚
毎朝、タロットカードを一枚引く。
実際にではなく、iPhoneのアプリケーションで一枚だけ引けるものがあるのでそれを使つてゐる。
やたらと「VI 恋人」が出るといふ話は以前書いたやうに思ふ。
あのあと、毎回同じ位置のカードを開けるやうにしたらそんなことはなくなつた。
十月はまだ一度も見てゐない。
おそらく日付や時刻を使つて乱数を作つてゐるのぢやないかと思ふ。
毎朝一枚引くといふのは、米光一成の『思考ツールとしてのタロット』にあつた。
最近のタロット占ひは、悪い意味を持つカードはないといふのが主流なのださうである。
だから死神だとか悪魔だとか塔だとかを引いても悪い意味にとらず、この本によれば死神は「リセット」、悪魔は「抑圧したエネルギー」、塔は「からをやぶつて」みたような意味といふ解釈をしてゐる。
さはさりながら、やつぱり塔とか出るといい気持ちにはならない。
塔はやつがれにとつては魔獣なので身近といへばさうなのかもしれないが、さういへば最近師匠とも疎遠だ。
師匠は愚者なのだけれども、あまり冒険とかびつくりするやうなことをすることがないので話すことがないのだ。
弱つたなー。弱つてゐるのは師匠の方だらうけれど。
それはさておき。
でも、毎朝一枚引くのは占ひのためではない。
なにかあつたときに判断の材料にするために引く。
たとへば今日は「II 女教皇」が出た。
知性とか直感とか知つてゐるけど秘密にしておくとかいふやうな意味のカードだと思つてゐる。
そんなわけで、今日はあることをしたけれど誰にも云つてゐないことがある。
話したものか否か悩んで、「さういや今日は女教皇を引いたな」と思つてだまつてゐることにした。
自分としては誰かに話したいんだけどね。
でもそこは我慢することにした。
それで吉と出るか凶と出るかはわからない。
これも占ひなのだらうか。
自分はさうは思つてゐないのだけれどもね。
だつてこのまえも「XVI 塔」を引いたけれど、これといつてショッキングなこととかなかつたしね。
あつたとしても「いままでのことはなかつたことにして何か新しいことをはじめやうといふことだらう」くらゐに思へばいい。
さうわかつてゐても、やはり伝統的な「XVI 塔」の意味にとらはれてしまひがちではあるんだけどね。
今後はもうちよつと連想を働かせていきたいと思つてゐる。
『思考ツールととしてのタロット』には「コレポン」といふことばがでてくる。
コレスポンデンスの略で、カードからいろいろ連想してみませう、といふことだと理解してゐる。
いはゆる「腐女子」はこのコレポンが得意なのだといふ。
残念ながら「野にして卑だが腐ではない」のでそこんとこが弱い。
今後の課題である。
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