今年の顔見世には行かない
今年は京都南座の顔見世には行かないつもりだ。
そんなに長くない芝居見物歴の中で、これまでも行かなかつたことがある。
大幹部連がひとりまたひとりとゐなくなり、顔見世とは思へないやうな演目配役が並んだころのことだ。
京都の顔見世のチケット代は高い。
一年分の赤字をこれで解消するのだといふ話を聞いたことがある。
それがほんたうなら上方の人は普段は芝居を見る習慣がない人が多いのだらう。
上方といへば芸事、といふのは、もう過ぎた昔の話なのかもしれない。
いづれにせよ、だつたら代金に応じた見世物がないとね、といふのは人情だと思ふ。
お大尽で芸事への援助を惜しまないといふのならいざ知らず、日々の暮らしに汲々としてゐるやうだとどうしても了見がまづしくなる。
南座の顔見世に行かうと思つたのは、十三代目片岡仁左衛門が見たいと思つたからだ。
いはゆる追つかけのやうなものだ。
松嶋屋は当時もう高齢だつたから、東京・京都・大阪に行つてゐればなんとかなつた、といふこともある。
「八陣守護城」は三階席の上手袖から見た。
気がつくと、背後に片岡秀太郎が立つてゐた。
パイプ椅子ではあつたけれど係員の方が席をゆづらうとすると、しづかに笑つて断つてゐた。
あの舞台、家族は孫くらゐしか出てなかつたんだよね。
明けて一月の歌舞伎座には闘病生活を終へた片岡孝夫が出演して、親子で「芝居前」に出るはずだつた。
そのはずだつたんだけどなあ。
その「芝居前」は夜の部で、昼の部には「野崎村」がかかつた。
予定では尾上梅幸のお光に四代目中村雀右衛門のお染、市村羽左衛門の久作に三代目中村鴈治郎の久松、片岡我童のお常といふ配役だつた。
羽左衛門と我童とが休演して、それぞれ市川左團次と澤村藤十郎が出た。
我童は新装なつた南座で見て、それが最後だつた。
さう思ふと、やつぱり見に行かねばならぬか、と思つたりもする。
これで最後になつてしまふ役者もゐるかもしれない。
縁起でもないと思ひながらもさう思ふ。
それに、なんかものすごくいい芝居が見られるかもしれないし。
などと卑しい根性でゐるのがよくないのかな。
行きたいと思つても、今年は上演期間も短く座席数も少なさうだから、そもそも席が取れない可能性が高い。
こんなご時世だし、我慢した方が世の中のためでもある。
云ひ訳だけは得意だな。
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