長居できない
外出して長居できるところがなくなつてしまつた。
たとへば図書館だ。
地元の図書館では長居を禁じてゐる。
おそらくどこの図書館でもさうだらう。
図書館でぼんやり棚を眺めて、「こんな本があるんだ」「あんな本もか」「この棚の並びはおもしろいな」とか考へるともなく考へる。
来るまでは存在も知らなかつた本に出会つて、しばし座つて眺める。
借りたいと思へば借りればいいし、ほしいと思つたら本屋に行けばいい。もう店頭になささうな本ならWeb検索するといふ手もある。
時間も決めずにただただ図書館にゐつづける。
さういふことができなくなつてしまつた。
もしかしたらできるのかもしれない。
図書館員はそこまで気にしてゐないかもしれない。
でも図書館側がさうするなと云つてゐるのだ。
それに従はない理由はない。
あるとしたら、「自分はずつとここにゐたいから」といふわがままだけだ。
喫茶店もさうだ。
喫茶店でコーヒーを頼み、図書館で借りてきたばかりの本や読みさしの本を読む。
読みながら気になつたことは書き付ける。
ときには考へる方に夢中になつて読書がおろそかになることもある。
時間は気にしない。
気にするとしたら店の混み具合くらゐで、それすら気にする必要がない場合もないわけぢやない。
これができなくなつてしまつた。
図書館のそばにあるお気に入りの喫茶店では長居をやめてほしいと云つてゐる。
COVID-19対策としては、至極当然のことかと思ふ。
これがいはゆる「新たな生活様式(なんかもつといい日本語はないものかと思ふが、これが "New Normal" をさすのだらう)」のひとつなんだらう。
どこに行つても長居はしない。
するとしたら自宅か職場か学校か。
職場や学校には何時間でもゐてもいいのに、図書館や喫茶店ではいけないだなんて、なんだか納得がいかないが。
不特定多数の人間が立ち寄るところだから仕方がないのだらう。
職場や学校ならば誰かが感染すれば周囲にほかの誰がゐたかはだいたいわかるのだらうし。
出かけるのはそんなに好きではない。
だからなんとかなつてゐるけれども。
出かけずにはゐられない人にはほんたうに住みにくい世の中なのだらうなあ。
と、あそこでもここでも長居できなくなつて思ふ。
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