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Friday, 25 September 2020

行かない云ひ訳

国立民族博物館の梅棹忠夫展に行きたいが、さりとては、大阪は遠すぎる。
四連休のうちに行かうかと思つてゐたが、各地で人出が増えたといふし(みんぱくはどうだか知らないが)、後半は体調がすぐれなかつたので見送つた。
まだ行けないこともないが、どうしたものか悩んでゐる。

『知的生産のすすめ』は高校生の時に読んだ。
多分にもれず、その後京大カードを買つたクチである。
買つたものの、京大カードは自分にはすこし大きすぎるやうに感じた。
一枚につき一内容として、あのカードに一行だけ書いておしまひにするのはなんだかもつたいない気がしたからだ。
もちろん、一行書いておいてあとから書き足して行けばいいのかもしれないが、その時はさうは思はなかつた。
また、カードの利点としてたくさんカードを並べてああでもないかうでもないと並べ換へられるといふことがある。
だが、京大カードでは大きすぎて場所を取る。
一覧性にも劣る。

そんなわけで、先に使ひ方を覚えた5x3カードを一時はよく使つてゐた。
5x3カードは二、三年前もちよつと使つてみて、やはり自分には向かないかもしれないと思つてやめてしまつた。
カードを書くのはいい。
それを見返してゐる時間がない。
また、これといつてまとめたいこともないので、カードの内容が散漫になつてしまひがちだつた。
おそらく、あることについて突き詰めて考へたい人には向いてゐるのかもしれない。
本からの書き抜きなども、カードに書いて折にふれて並べ換へてみるのがいいとわかつてゐても、自分はやはり綴じノート向きなのかノートに書いてしまふのだつた。

ところで、梅棹忠夫にそんなにdevotedでない理由は、梅棹忠夫がローマ字推進派だつたから、といふのがある。
はじめて読んだときも思つた。
そんな無謀な、と。
つまり、ひらがなだけで文章を書けといふこととなんら変はらない。
ひらがなだけの方がまだマシだ。
ひらがなの方が空白の入れ方に悩まなくていいし、ヘボン式だの訓令式だのどれを使ふか考へなくてもいい。
それに、漢語には同音異義語が多すぎる。
おそらく、日本語の表記がひらがなだけとかローマ字にならないのはそれがあるからだ。
さらには、ローマ字表記を正式に取り入れたら、それでなくても読みづらい古典がますます読めないものになるぢやあないか。

さういふこと、考へてみない人だつたんだらうな、と思つても仕方がないと思ふ。
ひとつ変更した結果、どういふ影響があるか、どれくらゐ波及するのかといつたことを考へなかつたのだらう。
日本語はひらがな・カタカナ・漢字(時に英語のアルファベット)を駆使して書かなければならない。
これが煩雑だ、といふのはわかる。
だからタイプライターが普及しないのだといふのももつともなことだ。
でも、ローマ字表記を正式なものにした場合、人は次第に過去の書物が読めなくなつていく。
読むのにえらい苦労をしなけれけばならなくなる。

旧字旧仮名の本が読みづらくて仕方がなくてかういふ仮名遣ひをするやうになつたやつがれが云ふのだ。
ほぼ間違ひないと思ふ。

そんなわけで、梅棹忠夫には相反する思ひを抱きつつ、それでもやつぱりみんぱくには行つてみたい。

ただなあ、四連休の人出がすごかつたことや十月からGo Toキャンペーンとやらが東京にも適用されることを考へると、やはり行かない方が正しいのではないかといふ気がしてならない。
生きてゐればいつか見られる日もあらう。
と打つて、ちよつと自信がないけれど、さうやつて自分を納得させてゐるところだ。

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