楽しい索引作り
『マルジナリアでつかまえて』を読んで、「さうか、索引は自分で作ればいいのか」と思ひ至つた。
それで、『泣き虫弱虫諸葛孔明』第伍部の文庫版を読みながら索引を作成した。
おほよその流れは知つてゐる話だし、単行本で出たときに読んでゐたからできたのかなとも思ふ。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』で作りたいと思つてゐたのは、引用元の作成だ。
たとへば第壱部には「残酷な天使のテーゼ」からの引用があるし、「徐庶の奇妙な冒険」は云はずと知れた『ジョジョの奇妙な冒険』だし、さうしたことをすべて拾つてみたいと思つてゐた。
正確には、「誰か拾つてくれないかなー」と思つてゐた。
だつて、やつがれ、ヲタクぢやないし。
そつちの方面の知識に自信がない。
自信のある知識なんてないのだが、酒見賢一のくりだすあれやこれやをすべて拾へる自信もまたない。
誰か詳しい人或は人々がさういふ索引を作つてくれたら。
ずつとさう思つてゐた。
コミックマーケットに行けばさうした薄い本があるのかな、といふ気もしないではない。
でも、有明とか行かないしなー。
さうかうするうちに『泣き虫弱虫諸葛孔明』は完結し、文庫版まで出てしまつた。
仕方がない、自分の乏しい知識を総動員して、少しでもひつかかることがあつたら索引にしやう。
さうして本を読み終はつて思つた。
否、読んでゐる最中から思つた。
索引作りつて、楽しい。
なぜ楽しいのか。
思ふに、索引を作らうといふ意図があるから、本の読み方が変はるのだ。
読書といふのは受け身なものだと思ふけれど、そして索引を作るからといつて受け身であることには変はりはないけれど、でも、やはり、どこか能動的になる。
ことばは悪いかもしれないが、鵜の目鷹の目で読むやうになる。
さうすると、いつもだつたら読み飛ばしてゐるやうなところ、大して大事だとは思はないやうな部分にも目が行き届く。
おもしろい本だからといふこともあるけれど、索引作りをしながら読むのはおもしろさ倍増だ。
自分がなにに興味があるのかもよくわかるしね。
この点については、つづく『銀河英雄伝説』で強く感じたことだ。
『銀河英雄伝説』の索引なんて、もう出てゐるだらうし、さうでなくても百科事典的な本があるはずだ。
#すまん、調べてなくて。
だから、索引を作るとしたらどうしたつて私的なものになる。
自分が作つて楽しくて、あとから見返してもおもしろいもの。
さう考へながら本を読み、「これは索引として項目を立てやう」と思つたことを書き出す。
楽しい。
なんでこんなに楽しいのだらう。
さうして読むと、自分がなにが好きでなにに興味があるのかとてもよくわかる。
そこにウソはつけない。
もちろん、なにに興味がないかもわかるのだが、銀英伝の場合は登場人物の名前や地名を逐一拾つていくと大変なことになるといふこともある。
勢ひいまは大したことをしてはゐないけれどあとでまた出てくる人とか、もの、土地の名前を拾つていくことになる。
他人には決して作れない、自分の自分による自分のための索引。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』も『銀河英雄伝説』も一度読んでゐるから索引を作れたのだと思ふ。
初見で作ると、あとから「あ、あれは索引の項目にしておくのだつた」といふことが何度も起こるのぢやないかなあ。
まあ、それもまた楽しいのかもしれないけれど。
今回索引を作つた本はいづれも文庫本だ。
最終ベージにMIDORIのMDふせん紙
本と索引とがバラバラにならないやうにと考へたつもりだ。
いづれほかのノートに書き写すか、或はMacBookに打ち込むか、それはまたあとで考へることにしたい。
いまは、銀英伝の三巻を読みつつ索引を作つてゐる。
先はまだ長い。
だといふのに、もう「次はなにを読みながら索引を作らうか」とか考へてゐる。
まだ索引を作つてゐない『泣き虫弱虫諸葛孔明』の第壱部から四部にするか。
それともなにか別の本にするか。
これを考へるのもまた楽しい。
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