イヤな事実に目を向ける
あみものはちよこちよこ再開したものの、タティングレースは作りかけの栞をはふつたままだ。
思ふに、いまタティングで作りたいものがない。
作れば栞でもモチーフでもドイリーでも楽しいだらうとは思ふ。
だが、はじめる気にならない。
それは気分の波の問題、と、やる気にならないときにいつもここには書いてきた。
そのうち怒涛のやうに結ぶ日がやつてくる。
それはおそらく正しいのだが。
結局、いまだけでなく、タティングで作りたいものがないといふのがやる気の出ない理由なのではあるまいか。
タティングレースをはじめたきつかけは、これで人形用の服につけるレースが作れるやうにならないだらうかと思つたからだ。
そのころ毎週土日になるとせつせとリカちやんやジェニーの服を縫つてゐた。
もともと裁縫は苦手だし、服を縫つたりその他小物を縫つたりするやうな趣味がなかつたので、手元にはまつたく布地や材料になるやうなものがなかつた。
布地は、パッチワーク用の端切を買つてゐた。あとはちよつと華やか過ぎて使ひづらいやうなハンカチを使つたこともある。
スナップもないとどうにもならないので買つて、しかし、レースがなかなか手に入らなかつた。
これ、と思ふやうなものが店頭にないのだ。
あつたとしてもちよつと手が出ないやうな値段だつた。
あみものはできないことはないけれど、レース編みはしたことがなかつた。
自分には向かないものだと思つてゐたからだ。
レース編みをするやうになつたのは、人形の服を編むやうになつてからだ。
レース針でレース糸を編んでみたら編めた。
こんな細い針でこんな細い糸が自分にも編めるなんて。
我ながら驚きだつたよなあ。
しかし、あみもののレースではちよつと違ふんだよなあ。
自分で編めるやうなレースでは人形用には大きすぎる。
模様がざつくりし過ぎる。
さういふ服もおもしろいかもしれないが、毎度毎度さうなつてしまふのはどうよとも思ふ。
そんなときに「かわいいタッチングレース」といふ本に出会つた、といふ話はここにも何度も書いてゐる。
しかし、タティングもまた人形向きの素材を作るにはチト向かないレースだつた。
タティングレースでバービーやジェニーの服を作つたものを見たことはあるけれど、自分が求めてゐたのはさういふものではない。
でもタティングは気に入つた。
なぜといつて、おそらくタティングをしてゐる自分が好きだからだらう。
こどものころから親にさんざん不器用だと云はれつづけ、学校の家庭科の授業でも努力点を超えることは決してなかつた自分でもレースが作れる。
つまりはさういふことだ。
タティング自体が好きといふよりは、タティングをしてゐる自分が好き。
なんてこと。
あみものもそんな気がするんだよな。
ちよつと自分より不器用な人間を見たことがない、そんな自分があみものをしてゐる。
自分にも編むことができる。
さう思ふことが好きなのだらう。
この点については、これまでできるだけ考へないやうにしてきた。
だつてさうしたらこれまで買ひ求めた毛糸やレース糸、お道具の数々の立場がないぢやない。
もつといふと、さういふものを買つた自分の立場がない。
これまであみものやタティングに費やした糸や時間も無駄になる。
まあ、無駄ではないかもしれないけれど、なんかそれつて違ふ気がするんだよね。
でもいま、この問題と向き合つた。
この先すこし違ふ展開になるといいのだが。
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