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Wednesday, 30 September 2020

少女まんがと銀英伝

脳内に倉多江美の絵で『銀河英雄伝説(以下、銀英伝)』が進行してゐる。
銀英伝といへばどちらかといふとこつてり系の物語だと思ふ。乱暴承知でさう思ふ。
だつて出てくる人出てくる人みんな劇的だもの。
セリフもなんだか凝りまくつてゐるし。
加藤直之とか道原かつみとか藤崎竜とか小林智美(その昔、今はなき『SFアドベンチャー』の増刊号の銀英伝特集に小林智美の描く帝国の人々の絵が掲載されてゐた)とか、いづれもとつてもあふと思ふ。

だといふのになぜか倉多江美なのだつた。
倉多江美といへば橋本治が『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で水分が足りないと評した絵柄作風のまんが家だ。
『コミックトム』でフランス革命のころのまんがを描いてゐたけれど、やはり全体的になんとなく水分が足りない。それでゐてマリー・アントワネットやナポレオンはちやんと豪奢だつたりなまぐさかつたりするのがおもしろかつたのだけれども、それはまた別の話。

現在銀英伝を読み直してゐて、出てくる人出てくる人みんないろいろ抱へてゐるし、どろつとした部分を内に秘めてゐたりするのだけれども、倉多江美の絵で想像するヤン・ウェンリーは「もしかしたらヤンつてほんとはこんな人物だつたのかも」と思ふし、オーベルシュタインに至つてはこれしかないのではと思ふやうな出で立ちだ。
アンネローゼとラインハルトはもちろんきらきらしてるしね。

なにせ自分の脳内にしかないのでお見せできないのが残念でならないが、水分の足りない人々の銀英伝は、これはこれでとてもおもしろい気がする。

さういへばロイエンタールの生ひ立ちを読んでゐて思ひ出したまんががある。
大和和紀の『KILLA』だ。
確か『はいからさんが通る』の次の連載だつたのではないかと思ふ。
『はいからさんが通る』とはうつてかはつてギャグ顔ギャグ絵のひとつも出てこない、とてもシリアスなまんがだつた。
主人公の名前がキラ・クイーンといふのがいま思へば笑ふところだつたのかもしれない。
キラは複雑な生ひ立ちで、友人といつて目の不自由なチェスマスターであるアレク・フリードキンしかゐない。
アレクが目の見えないわけは母親にある。
アレクは実は不義の子だつた。
生まれてきた我が子の目が密通相手のそれにそつくりで、錯乱した母親が赤子の目を針でついてしまふ。
アレクはそのときの空の色を覚えてゐて、あれは母親の目の色だつたのではないか、と述懐する。

まんがについていふと、キラは俳優として名を成したあと自動車産業の世界でのしあがつていくのだが、唯一の聖域であるアレクに手が及び……みたやうな話になる。
さういへばこのまんがにも「聖域があるのは危険」みたやうな話が出てくるな。
大和和紀の銀英伝……大河ドラマつぼい。

さう考へるとおもしろいな。
一条ゆかりの銀英伝とか。
森川久美の銀英伝とか。
坂田靖子の銀英伝とか。

まんが化作品もアニメ化作品も複数あるから想像できることだらう。

Tuesday, 29 September 2020

再開

TwitterのTimeLineに「RBG RIP」の文字が並んだのが今から十日ほど前のこと。
ルース・ベイダー・ギンズバーグのことはよくは知らない。映画も見そびれた。
替襟で有名といふことくらゐしか知らない。
裁判官の着るローブに替襟はよく似合ふ。
時に目を疑ふやうな奇抜なデザインのものを身につけてゐたこともあつたやうに記憶するが、よく見かけるのは普通にdaintyなレースの替襟のやうに思ふ。
RBGの替襟をモチーフにしたブローチなどのアクセサリもあつて、こちらもどぎついものではない。

さうだ。レースの替襟を作らうかな。
十日前にはまつくた考へたこともないことだつた。
昨日、突然頭に浮かんだ。
替襟は、以前から作りたいと思つてゐた。
かぎ針編みでは作つたことがある。
スーパードルフィーのショールにちやうどいいサイズに仕上がつて、替襟としては使つたことはない。
でも作つてゐるときには替襟のつもりで作つてゐた。

ひとつ、作りたい替襟がある。
藤戸禎子のデザインで、『華麗なるレース タッチングレース』に掲載されてゐた替襟だ。
指定では絹穴糸で作ることになつてゐるが、替襟を作るに足るやうな絹穴糸は持つてゐない。
ここはDMCのコルドネスペシャル#40でどうだらうか。

といふわけで、作り始めてみた。

実は作りはじめる前にちよつとリハビリもしてみた。
タティングシャトルを使つてゐても、手が痛くない。
それくらゐ、腱鞘炎が快復してきたやうだ。
編み針だとまだちよつと痛くなるときがある、とは昨日も書いたとほりだ。
右手だからね。利き手のせゐかなかなかよくならない。
もつとも左手の時も半年くらゐかかつたから、右手はもつとかかつても仕方がないかもしれない。
でもシャトルを使へるくらゐにはよくなつてきたやうだ。

替襟は作つても使はないと思ふ。
替襟をつけて映えるやうな服を持つてゐないからだ。
見れば見るほど、裁判官のローブに替襟は映える。
替襟をつけるためにデザインされたかのやうだ。

RBG追悼の記事を読んでゐると、替襟はRBGにとつて武器でもあつた、みたような話があつたりする。
強いけど、繊細な美しさも求める、みたような話だ。
でもさー、もう何世紀も前のことだけど、男の人だつてレースびらびらだつた時代があるぢやん?
三銃士とか見てたらみんなレースびらびらぢゃん?
男の人もまたレースを身につけるやうになつてもいいんぢやないかな。

替襟は使ふ予定はないが、タティングレースのスカーフはまた作つてみたいと思つてゐる。
さういやRBGの写真にもレースとおぼしきジャボといはうかスカーフといはうか、そんなものを首に巻いてゐるものがあつたやうに思ふ。
さういふの、作つてみたいなあ。

Monday, 28 September 2020

編んだり休んだり

涼しくなつてくるとやはり編みたくなる。
Kingswood Neckwarmer をせつせと編んでゐる。
去年のいまごろはすでに Danish Shawl ができあがつてゐたのだが、とは先日も書いたとほりだ。
今年はなにを云つても腱鞘炎があるからな。
しかし、その腱鞘炎もやつと恢復の兆候が見えてきた。
バネ指はなくなつた。
朝起きたときにこはばりはするけれど、以前よりは軽くなつた。
拳も力を入れなければ握れるやうになつた。

ただ、編み針をずつと使つてゐるとちよつと痛くなる。
痛くなつては休み、痛みがとれたらまた再開をくり返してゐるところだ。
痛くなるんだからやめれば、とも思ふが、うまいこと痛くならないままずつと編めることもある。
力の入れ加減だつたり編み針のちよつとした握りの違ひだつたりで変はるやうだ。
あみものが原因なわけぢやないしなあ。
や、はつきりとはわからないけれど。
でも腱鞘炎になつたときになにかをそんなにガンガン編んでゐたといふ記憶はない。
どちらかといふとキーボード入力のせゐだと思ふんだよな。
それでわざわざHappy Hacking Keyboard を買つたんだし。
いまもHHKBで入力してゐて、とても快適だ。
早く買つておけばよかつた。
キーボードは筆記用具とおなじで好みがあるから万人に向くとはいへないけれど、少なくとも自分にはあつてゐる。

そんなわけで、Kingswood Neckwarmer ももうすぐ編み終はる。
編み終はつてもまだ使へないなー。
それともとつとと寒くなつてしまふのだらうか。

次に編むものも考へないといけないのだが、しばらくはタティングに精進しやうかと思つてゐる。
が、それはまた別の話。

Friday, 25 September 2020

行かない云ひ訳

国立民族博物館の梅棹忠夫展に行きたいが、さりとては、大阪は遠すぎる。
四連休のうちに行かうかと思つてゐたが、各地で人出が増えたといふし(みんぱくはどうだか知らないが)、後半は体調がすぐれなかつたので見送つた。
まだ行けないこともないが、どうしたものか悩んでゐる。

『知的生産のすすめ』は高校生の時に読んだ。
多分にもれず、その後京大カードを買つたクチである。
買つたものの、京大カードは自分にはすこし大きすぎるやうに感じた。
一枚につき一内容として、あのカードに一行だけ書いておしまひにするのはなんだかもつたいない気がしたからだ。
もちろん、一行書いておいてあとから書き足して行けばいいのかもしれないが、その時はさうは思はなかつた。
また、カードの利点としてたくさんカードを並べてああでもないかうでもないと並べ換へられるといふことがある。
だが、京大カードでは大きすぎて場所を取る。
一覧性にも劣る。

そんなわけで、先に使ひ方を覚えた5x3カードを一時はよく使つてゐた。
5x3カードは二、三年前もちよつと使つてみて、やはり自分には向かないかもしれないと思つてやめてしまつた。
カードを書くのはいい。
それを見返してゐる時間がない。
また、これといつてまとめたいこともないので、カードの内容が散漫になつてしまひがちだつた。
おそらく、あることについて突き詰めて考へたい人には向いてゐるのかもしれない。
本からの書き抜きなども、カードに書いて折にふれて並べ換へてみるのがいいとわかつてゐても、自分はやはり綴じノート向きなのかノートに書いてしまふのだつた。

ところで、梅棹忠夫にそんなにdevotedでない理由は、梅棹忠夫がローマ字推進派だつたから、といふのがある。
はじめて読んだときも思つた。
そんな無謀な、と。
つまり、ひらがなだけで文章を書けといふこととなんら変はらない。
ひらがなだけの方がまだマシだ。
ひらがなの方が空白の入れ方に悩まなくていいし、ヘボン式だの訓令式だのどれを使ふか考へなくてもいい。
それに、漢語には同音異義語が多すぎる。
おそらく、日本語の表記がひらがなだけとかローマ字にならないのはそれがあるからだ。
さらには、ローマ字表記を正式に取り入れたら、それでなくても読みづらい古典がますます読めないものになるぢやあないか。

さういふこと、考へてみない人だつたんだらうな、と思つても仕方がないと思ふ。
ひとつ変更した結果、どういふ影響があるか、どれくらゐ波及するのかといつたことを考へなかつたのだらう。
日本語はひらがな・カタカナ・漢字(時に英語のアルファベット)を駆使して書かなければならない。
これが煩雑だ、といふのはわかる。
だからタイプライターが普及しないのだといふのももつともなことだ。
でも、ローマ字表記を正式なものにした場合、人は次第に過去の書物が読めなくなつていく。
読むのにえらい苦労をしなけれけばならなくなる。

旧字旧仮名の本が読みづらくて仕方がなくてかういふ仮名遣ひをするやうになつたやつがれが云ふのだ。
ほぼ間違ひないと思ふ。

そんなわけで、梅棹忠夫には相反する思ひを抱きつつ、それでもやつぱりみんぱくには行つてみたい。

ただなあ、四連休の人出がすごかつたことや十月からGo Toキャンペーンとやらが東京にも適用されることを考へると、やはり行かない方が正しいのではないかといふ気がしてならない。
生きてゐればいつか見られる日もあらう。
と打つて、ちよつと自信がないけれど、さうやつて自分を納得させてゐるところだ。

Thursday, 24 September 2020

In Retrospect...

そろそろ手帳を使ひ終はるので、頭からパラパラめくつてみた。
手帳はRollbahnのTagebuch+Notizbuch Lサイズで、七月からBullet Journal形式で書いてゐる。
七月はまだ涼しかつたからそれなりにちやんと食事を作つてゐたつもりだつたが、さうでもなかつた。
案外八月の方ががんばつてゐる。
九月前半は八月下旬の流れをくんで滅茶苦茶で、最近やつと文化的な食事になつてきたやうだ。
かういふのも記録をつけてゐるんだからもつと見直した方がいい。
さうしたら「八月になつても頑張つてゐたんだからそれをつづけやう」とか反省できたはずだ。

七月八月はちよこちよこ映画を見に行つてゐた。
九月も前半は行つてゐたが、全席販売をはじめた館が多くてここのところ行つてゐない。これは今後も続くかもしれないな。
TOHOシネマズがまだ一席置きに販売してゐるやうだが、これもいつまで続くことやら。
映画館は、工場の次くらゐには空調機を入れた場所だといふから空調に気を遣つてゐるといふ話を疑ふぢやないが、まだ新型コロナウィルスの感染はつづいてゐるし、ワクチンができたわけでもない。発症したあと効く薬といふのもなささうだ。
さう考へると、まだ全席販売の映画館はおそろしい。
それを云ふなら一席置きだつてそんなに変はらないのではとも思ふが、実際に映画館に行くと前後左右が空いてゐるとかなり間隔が広い気がする。
映画館の経営状況が苦しいことは理解しつつ、だいたい元々飲食物などの売り上げがないと成り立たないといふ話も聞いてゐたし、仕方がないこととは思ひつつも、病もまた怖いのだつた。

七月や梅雨明け直後はまだ過ごしやすかつたらしく、読書メモが多い。
読書メモについてはBullet Journalに書くよりは外出しした方が見やすいしもつと読み返すやうになるのではないかと思つてゐるとは先日書いたとほりだ。
次の手帳からさうするつもりでゐたが、肝心の読書用手帳といふかメモといふかが決まらない。
DIALOG NOTEBOOKか測量野帳にしやうかと思つてゐるのだが、チト悩んでゐる。
もうちよつと大判のノートの方がいいかな、とか。
読書メモを外出しにすると、少し手帳の消費量が減るかな。
さうしたらRollbahnでなくてもいいかなあ。
などと云ひながら、もう九ヶ月分の手帳を買つてはあるのだが。
ここにも書いたやうに、ほぼ日手帳WEEKS MEGAが気になつてゐる。
ちよつと試しに使つてみるかなあ。

Daily Logsには日々の記録以外にその時思ひついたことなども書いてある。
こんなこと考へてゐたんだ、と、つひ二ヶ月ほど前のことなのにすつかり忘れてゐることばかりだ。
せつかく書き留めてるんだから、これもなんとかしたいよなあ。
Reviewが足りないんだらうなあ。
できるだけ、前日・一週間前・一ヶ月前の記録を確認するやうにしてゐるのだが、つひうつかり忘れてしまふことも多い。
なんとかこれを日々できるやうにして……さうしたところでどうなるんだらう。
なにかいいことがあるとはあまり考へられないんだよなあ。
上に書いたやうに食事の記録やTrackerなどは見直して日々の生活を改善することもできさうな気がするのだが、思ひついたことのメモとか、どうすればいいのやら。

来月から忙しくなりさうだし、思ひついたことのメモも減るかもしれない。
などと打つてゐたら虚しくなつてきた。
せめて新たな手帳くらゐはちよつと楽しげなものにしたいな。

Wednesday, 23 September 2020

まぼろしのからっぽペン

どの文房具店にもない。
さう、呉竹のからっぽペンのことだ。
東京にはさすがに行けないけれど、最寄駅付近の文房具店を新旧あちこち回つてみたが、ない。
なかには老舗の品揃へのいい店も二店ほどあるにも関はらず、だ。

からっぽペンとはもしかしたらネット上にしか存在しないまぼろしの筆記用具なのかも。
さう思ひかけてゐたところ、Twitterで「なかなか実店舗には出回らないのだ」と教へてもらつた。
ありがたいことである。

そこであきらめればよかつたのだが、ネット上には存在するので買つてしまつた。
そして、インキを買つたまま、たまにガラスペンにつけて使ふくらゐになつてしまつてゐる秘色と水沙蓮とを入れてみた。

ほそふで芯はとても書きやすい。書いていくとますます書きやすくなる気がする。適度に摩擦といふか抵抗がある感じだ。
ただインキが若干薄い気がする。
もともとそんなに濃い色のインキではないのだが、ガラスペンで書いた印象からだともうちよつと濃く出てもいいのではないかといふ気がする。
純正のインキぢやないから仕方がないのかな。
からっぽペンの注意書きにそんなことが書いてある。
蛍光ペンがあまり好きではないのは色がどぎついからだ。
さういふ自分には向いてゐるかもしれない、と手帳に書き込んだ文字に下線を引いてみて思つた。

純正インキでは混色をして自分の好きな色を作り、それを芯に染み込ませて使ふことができるのださうな。
それも楽しさうだなと思ひつつ、なぜか心にゆとりがない。
色を混ぜて好みの色を作る余裕がない。
混色つて案外むつかしいんだよね。
さう思ふのは小学校のときの図画工作の印象か。
不透明水彩絵の具を混ぜていくと、ある時点で色が濁る。
三色までだつけか、大丈夫なのは。

また、さまざまな色に染めた羊毛を混ぜて別の色の毛を作る場合もいろいろむつかしかつた。
絵の具だとこの色とこの色とを混ぜればあの色になるはずなのにならない、とか。
青つぽい色を作りたくても、ほんのわづかだけ赤い色を混ぜないと思つた色にならない、とかね。
この時は羊毛の混色にはまつたのだが、その後ぱたりとやめてしまつてゐる。

インキの混色にもさうしたむつかしさがあるだらうことは容易に知れる。
インキ、なあ。
「富嶽三十六景」の「甲州三蔦越」みたやうな青がほしいと思ふことはある。
北斎をイメージしたインキはあるけれど、この色はないと思ふんだよなあ。
あと、たまに「あ、この色のインキがほしい」と思ふことがあるけれど、すぐ忘れてしまふ。
だいたい変はつた色のインキといふのは使ひづらい。
結局ブルーブラックやロイヤルブルーに近いやうな色ばかり使つてしまふことになる。
その反動で手帳には普段使はないやうな色のインキを使つてしまつたりはすることもあるけれども。

からっぽペンに入れた秘色と水沙蓮とは、下線や傍線を引くのに使つたりするやうかな。
手帳への追記などにもいいかもしれない。
インキ自体は引き続きガラスペンでも使ふやうだらう。

いづれにせよ、新しい文房具は楽しい。

Tuesday, 22 September 2020

暑さと湿気と

腱鞘炎はよくなつてきたが、タティングレースはなにもしてゐない。
でもこれもそのうちはじめるのではないかといふ気がしてゐる。
万年筆にインキを補充する気になつてきたからだ。

夏のあひだ、万年筆のインキを補充することはあまりなかつた。
お気に入りの中でも特にお気に入りの10本くらゐを使つてゐて、それがインキ切れを起こしたら補充してゐたけれど、普段使ひのカクノ(これだつてお気に入りなわけだ)はほとんど使ふこともなく放置してゐた。
今日確認したら、すべてのカクノのインキが切れてゐた。
明日、補充しやう。
さう思へる。
明日からは使つていかう。
さうも思ふ。

これまではそんな気にまつたくならなかつた。
暑さと湿気とによる消耗つてこんなに激しいんだな、と思ふ。
梅雨が明けて最初の一週間は暑いとはいへ、それでも明ける前とおなじくらゐあれこれ書いてゐた。
一週間くらゐたつたところで、夜眠れなくなつた。
暑いし蒸してゐるからだ。
それが少しよくなつてきたのが八月末だつたかな。もうほとんど九月といふころだ。
九月に入つてからはかなり書けるやうになつてきた。
だが、最初のうちはまだ紙の上に置いた手が汗ばんでゐた。
それももう、だいぶおさまつてきた。

タティングも、八月の終はりごろにちよつとやつてみやうとした。
無理だつた。
手がすぐ汗ばんでしまふのだ。
空調つて大事。
しみじみさう思ふ。

やうすを見て仕掛かり中の栞を取り出す予定だ。

Monday, 21 September 2020

去年の方がはかどつてゐた理由

腱鞘炎がだいぶよくなつてきた。
とりあへず手が握れるやうになつた。
まだ力を入れると痛いし、たまに指を折つただけで痛いこともあるけれど、たいした進歩だ。

そんなわけで、あみものはちよこちよこ進んでゐる。
去年の今頃にはおなじ日に編み始めたショールがとつくに仕上がつてゐたといふのにねえ。
去年は出勤してゐたのに、よくそんな編んでゐる時間があつたものだ。
出勤してゐるあひだは空調がきいてゐて躰が楽だつたから帰つてきてからでも編む余裕があつたのかなあ。
それとも、去年は睡眠時間を削つてゐただけだらうか。これはありうる。
去年のショールもいま編んでゐるネックウォーマもレース模様の一種で、どちらも一度覚えれば編み図を見なくて済む。
メリヤス編みの多い分ネックウォーマの方が楽なはずだが、ネックウォーマは段々目数が減つていくのでそのたびに一応編み図を確認するから遅いのかな。
ショールは最初は目数が少ない分、早かつたのかもしれない。

いづれにしても、いまできたところで出番はもつと先だ。
だいぶ涼しくはなつたけれどね。
あれだけ喧しかつたセミはどこに行つたのだらうと思ふほどだ。
秋の虫の声がするから雨が降つてゐるわけではないことはわかる。
日の暮れるのも早くなつたし、秋なのかなあ。

このネックウォーマを編んだあと、おそらく毛糸があまるはずだ。
お揃ひの色で指なし手袋でも編むかな。

Friday, 18 September 2020

楽しい索引作り

マルジナリアでつかまえて』を読んで、「さうか、索引は自分で作ればいいのか」と思ひ至つた。
それで、『泣き虫弱虫諸葛孔明』第伍部の文庫版を読みながら索引を作成した。
おほよその流れは知つてゐる話だし、単行本で出たときに読んでゐたからできたのかなとも思ふ。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』で作りたいと思つてゐたのは、引用元の作成だ。
たとへば第壱部には「残酷な天使のテーゼ」からの引用があるし、「徐庶の奇妙な冒険」は云はずと知れた『ジョジョの奇妙な冒険』だし、さうしたことをすべて拾つてみたいと思つてゐた。
正確には、「誰か拾つてくれないかなー」と思つてゐた。
だつて、やつがれ、ヲタクぢやないし。
そつちの方面の知識に自信がない。
自信のある知識なんてないのだが、酒見賢一のくりだすあれやこれやをすべて拾へる自信もまたない。

誰か詳しい人或は人々がさういふ索引を作つてくれたら。
ずつとさう思つてゐた。
コミックマーケットに行けばさうした薄い本があるのかな、といふ気もしないではない。
でも、有明とか行かないしなー。
さうかうするうちに『泣き虫弱虫諸葛孔明』は完結し、文庫版まで出てしまつた。
仕方がない、自分の乏しい知識を総動員して、少しでもひつかかることがあつたら索引にしやう。
さうして本を読み終はつて思つた。
否、読んでゐる最中から思つた。
索引作りつて、楽しい。

なぜ楽しいのか。
思ふに、索引を作らうといふ意図があるから、本の読み方が変はるのだ。
読書といふのは受け身なものだと思ふけれど、そして索引を作るからといつて受け身であることには変はりはないけれど、でも、やはり、どこか能動的になる。
ことばは悪いかもしれないが、鵜の目鷹の目で読むやうになる。
さうすると、いつもだつたら読み飛ばしてゐるやうなところ、大して大事だとは思はないやうな部分にも目が行き届く。
おもしろい本だからといふこともあるけれど、索引作りをしながら読むのはおもしろさ倍増だ。
自分がなにに興味があるのかもよくわかるしね。

この点については、つづく『銀河英雄伝説』で強く感じたことだ。
『銀河英雄伝説』の索引なんて、もう出てゐるだらうし、さうでなくても百科事典的な本があるはずだ。
#すまん、調べてなくて。
だから、索引を作るとしたらどうしたつて私的なものになる。
自分が作つて楽しくて、あとから見返してもおもしろいもの。
さう考へながら本を読み、「これは索引として項目を立てやう」と思つたことを書き出す。
楽しい。
なんでこんなに楽しいのだらう。
さうして読むと、自分がなにが好きでなにに興味があるのかとてもよくわかる。
そこにウソはつけない。
もちろん、なにに興味がないかもわかるのだが、銀英伝の場合は登場人物の名前や地名を逐一拾つていくと大変なことになるといふこともある。
勢ひいまは大したことをしてはゐないけれどあとでまた出てくる人とか、もの、土地の名前を拾つていくことになる。

他人には決して作れない、自分の自分による自分のための索引。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』も『銀河英雄伝説』も一度読んでゐるから索引を作れたのだと思ふ。
初見で作ると、あとから「あ、あれは索引の項目にしておくのだつた」といふことが何度も起こるのぢやないかなあ。
まあ、それもまた楽しいのかもしれないけれど。

今回索引を作つた本はいづれも文庫本だ。
最終ベージにMIDORIのMDふせん紙方眼罫を貼つて、そこに書き出してゐる。
本と索引とがバラバラにならないやうにと考へたつもりだ。
いづれほかのノートに書き写すか、或はMacBookに打ち込むか、それはまたあとで考へることにしたい。
いまは、銀英伝の三巻を読みつつ索引を作つてゐる。
先はまだ長い。
だといふのに、もう「次はなにを読みながら索引を作らうか」とか考へてゐる。
まだ索引を作つてゐない『泣き虫弱虫諸葛孔明』の第壱部から四部にするか。
それともなにか別の本にするか。
これを考へるのもまた楽しい。

Thursday, 17 September 2020

ソローの日記が気になる

ヘンリー・ディヴィッド・ソローの日記が気になつてゐる。
何年か前に翻訳版が出版されて、しかしハードカヴァで四巻と聞いて躊躇してゐた。

ソローといへば『ウォルデン』だ。
『森の生活』と訳されてゐることもある。
一年間働かずに暮らしていけるだけの費用を算出して、その分だけ稼いでソローはひとり森の中で暮らした。
これをその筋の人がとても気に入つてゐることは知つてゐる。
ちよつと時代遅れのことばでいふとロハス的な、いはゆる環境的に「意識高い系」の人々が好きな本だ。
残念ながらやつがれはちよつと違ふ。
ソローには、ラルフ・ウォルド・エマーソンのやうな超越主義の流れの中にゐる人で、考へたことを実際にやつてみちやふ人、そして無抵抗不服従の人、といふ印象を抱いてゐる。

『ウォルデン』についていふと、しかし、なんか、そんなにすごいことは書いてないんぢやないか、といふ気がしてゐた。
僭越とは思ひつつ、「え、そんなことが考へたくて森でひとりで暮らしてたの?」と思はないでもない。
どういふところが、と訊かれるとうまく云へないが、だつてわざわざ一年間の生活費を割り出して、その分働いて、それで森の中で暮らしはじめたわけですよ。
なんか、どえらいことを考へてゐるんぢやないかと思ふのが人情ぢやあるまいか。

ところが、ソローがすごいのは『ウォルデン』ではなくて、その日誌なのだといふ。
さういやエマーソンもなんだかすごい量の日誌を残してゐるといふ。読んだことないけど。
さうなのか、日誌なのか。なんだかおくゆかしいぢやあないか、ソロー(違。

といふわけで、ずつと気になつてはゐたが忘れてもゐて、ある日翻訳本が出てゐるよ、と聞いて、でも大部でお値段もはるときてゐたので、指をくはへて見送つてゐたのだつた。

昨日、本屋に行く機会があつたので、あらためてその日記を見てきた。
うーん、ほしい。
少なくとも読んでみたい。
なんとかならないだらうか。
部屋を片付けて、予算を組むしかないか。
それができたら苦労はしないんだがなあ。

いま、記録といふものがひどく軽視されてゐる。
ゆゑに、最低でも個人的に記録できるものはなんでも記録しておきたい。
たとへば新聞の記事は気になるものは残してゐる。
公の記録、信頼のおける記録とはいへないかもしれない。
しかし、記録がどんどんなくなつていく、そもそも記録することさへしない世の中だ。
自分で必要だと思ふ、のちになんらかの証拠になるだらう記録は残していく。
それが個人にできる最低限の抵抗だと思ふのだ。

日誌はさらに信頼のおけない記録だ。
でも残す。
だつてこの世が記録を軽視してゐるのだもの。
残さずにどうする。

そんなわけで、そのうちソローの日記を買つてゐるかもしれない。
片付けもしないし予算も組まないだらうがな。

Wednesday, 16 September 2020

手帳の悩み

ほぼ日手帳Weeks MEGAが気になつてゐる。
実は去年も気になつてゐた。
ほぼ日手帳Weeksはその名の通り週間予定帳だ。
見開きの左側が一週間の予定表、右側が方眼用紙のメモになつてゐる。
先頭の方に月間予定表もあり、終はりの方にはメモページもある。
ほぼ日手帳Weeks MEGAはそのメモページが215ページある。いくらでもメモできるよ、といふ手帳だ。

去年は一月から八月まではLEUCHTTRUMのA5サイズを使つてゐた。
LEUCHTTRUMはとてもいいのだけれどもA5サイズは時にかばんに入らないことがあるとはここにも何度も書いてゐる。
たまたまRollbahnのLサイズをもらつて、使つてみたらちやうどよかつた。
ロンドン旅行もこのRollbahnとともに行つた。
帰国後、10月はじまりのRollbahnの手帳が店頭に並んでゐたので、即使ひはじめた。
以降、いままでRollbahnの手帳を使つてゐる。

でも、去年もほぼ日手帳Weeks MEGAがいいかな、と思つてもゐた。
メモ用ページがたくさんついてゐるし、方眼罫だ。
年の途中で使ひきることを考へて予備を買つておくといふのもありだ。
Rollbahnの手帳だつて結局年に四冊使つてゐるのだし。
ただ、やはり、ほぼ日手帳Weeks MEGAはちよつと小さい気がしたんだな。
持ち歩くのには便利だし、さつと取り出してメモをするのにもよいと思ふ。
ただ、なにか突然書きたくなつたときには小さすぎる。
ほんたうはなにか突然書きたくなるやうな時は最低でもA5くらゐのサイズがほしい。
そこは妥協してB6なんだけどね。

もともとは新書サイズの手帳で Bullet Journal をはじめたので、ほぼ日手帳Weeks MEGAも十分使へるはずなんだがな。

うーん、買つてみる?
いまRollbahnの手帳に書いてゐるやうな読書メモは来年からは外出しにするつもりでゐる。
だからほぼ日手帳Weeks MEGAでもそれなりの期間使つていけるかもしれない。
しかし、すでに来年用に買つてあるRollbahnの手帳はどうする。

などと、手帳選びに悩みは尽きないのだつた。

Tuesday, 15 September 2020

イヤな事実に目を向ける

あみものはちよこちよこ再開したものの、タティングレースは作りかけの栞をはふつたままだ。
思ふに、いまタティングで作りたいものがない。
作れば栞でもモチーフでもドイリーでも楽しいだらうとは思ふ。
だが、はじめる気にならない。
それは気分の波の問題、と、やる気にならないときにいつもここには書いてきた。
そのうち怒涛のやうに結ぶ日がやつてくる。

それはおそらく正しいのだが。
結局、いまだけでなく、タティングで作りたいものがないといふのがやる気の出ない理由なのではあるまいか。

タティングレースをはじめたきつかけは、これで人形用の服につけるレースが作れるやうにならないだらうかと思つたからだ。
そのころ毎週土日になるとせつせとリカちやんやジェニーの服を縫つてゐた。
もともと裁縫は苦手だし、服を縫つたりその他小物を縫つたりするやうな趣味がなかつたので、手元にはまつたく布地や材料になるやうなものがなかつた。
布地は、パッチワーク用の端切を買つてゐた。あとはちよつと華やか過ぎて使ひづらいやうなハンカチを使つたこともある。
スナップもないとどうにもならないので買つて、しかし、レースがなかなか手に入らなかつた。
これ、と思ふやうなものが店頭にないのだ。
あつたとしてもちよつと手が出ないやうな値段だつた。
あみものはできないことはないけれど、レース編みはしたことがなかつた。
自分には向かないものだと思つてゐたからだ。
レース編みをするやうになつたのは、人形の服を編むやうになつてからだ。
レース針でレース糸を編んでみたら編めた。
こんな細い針でこんな細い糸が自分にも編めるなんて。
我ながら驚きだつたよなあ。

しかし、あみもののレースではちよつと違ふんだよなあ。
自分で編めるやうなレースでは人形用には大きすぎる。
模様がざつくりし過ぎる。
さういふ服もおもしろいかもしれないが、毎度毎度さうなつてしまふのはどうよとも思ふ。

そんなときに「かわいいタッチングレース」といふ本に出会つた、といふ話はここにも何度も書いてゐる。
しかし、タティングもまた人形向きの素材を作るにはチト向かないレースだつた。
タティングレースでバービーやジェニーの服を作つたものを見たことはあるけれど、自分が求めてゐたのはさういふものではない。

でもタティングは気に入つた。
なぜといつて、おそらくタティングをしてゐる自分が好きだからだらう。
こどものころから親にさんざん不器用だと云はれつづけ、学校の家庭科の授業でも努力点を超えることは決してなかつた自分でもレースが作れる。
つまりはさういふことだ。
タティング自体が好きといふよりは、タティングをしてゐる自分が好き。
なんてこと。

あみものもそんな気がするんだよな。
ちよつと自分より不器用な人間を見たことがない、そんな自分があみものをしてゐる。
自分にも編むことができる。
さう思ふことが好きなのだらう。

この点については、これまでできるだけ考へないやうにしてきた。
だつてさうしたらこれまで買ひ求めた毛糸やレース糸、お道具の数々の立場がないぢやない。
もつといふと、さういふものを買つた自分の立場がない。
これまであみものやタティングに費やした糸や時間も無駄になる。
まあ、無駄ではないかもしれないけれど、なんかそれつて違ふ気がするんだよね。

でもいま、この問題と向き合つた。
この先すこし違ふ展開になるといいのだが。

Monday, 14 September 2020

涼しくなつてはきたけれど

涼しくなつてきた。
記録を見ても、この時期涼しくなつてくるやうだ。
「編む手が進む」といふやうなことを呟いてゐたりするからだ。

などと云ひながら、今日は全然編めてゐない。
腱鞘炎はすこしよくなつてゐるやうなんだけれどもね。
仕事中もあまり無理しないやうにしてゐるし、今日はなぜだか箸の持ち方がTwitterで取りざたされてゐたが、腱鞘炎に響かないやう持ち方をいろいろと工夫してゐる。
はさみも極力使はない。
掃除用のスポンジやブラシの柄などは握らざるを得ないが、可能な限り左手を使ふやうにしてゐる。

以前は左手の中指が腱鞘炎になつた。
なつたのが一月とか二月だつたらうか。
秋になつても痛かつたので、今回もそんな感じだらうと思つてはゐる。
今回は二月ごろ右手の薬指が痛くなつた。
利き手だし、もつと長くかかるかもしれないなとも思つてゐる。
なにせお箸を持つても痛いんですよ。
それで、変な持ち方だなとわかつてゐても腱鞘炎になるべく響かないやうな持ち方をしてゐる。
スプーンならもうちよつと楽なんだけどね。スプーンなら左手でもなんとかならないこともないし。

あみものはといふと、実はそんなに腱鞘炎には響かない。
単にメリヤス編みだけしてゐればとくにどうといふことはない。
模様編みにしても、裏メリヤス編みの二目一度とかがなければ大丈夫かなといつたところ。
ただ、不意の動きで痛くなることがあるので、それに気をつければいい。
でもその「不意の動き」に注意するのがむつかしいんだけどね。
だつて「不意」だから。
やらうと思つてやるわけではないし、それが痛いかどうかもやつてみないとわからないこともある。

さう考へると、痛いあひだは編まない方がいいのかなあと思はないでもない。

字を書く方もさうで、ペンを手にして普通に書いてゐる分には大丈夫だ。
ただ、何かの瞬間に力が入つたり、ちよつと変はつた動きをすると痛い。

そんなこと云つてゐたらなにもできないんだけれどもね。

いまは在宅勤務中でもあるし、仕事中も痛いときは無理しないやうにはしてゐる。
まつたくなにもしないわけにはいかないが。
しかし、あみものはできるのに仕事をしないといふのもどうかといふ話もある。
もしかしたら、単なる怠け病なのかもしれないしね。
働きたくないから指が痛いのかもしれない。

まあ、痛いとろくなことを考へないね。
とにかく無理はよさう。
それくらゐかな、できることは。

Friday, 11 September 2020

思うてたんと違ふ「ブックスマート」

昨日、「ブックスマート」を見てきた。
ロサンジェルスのとある高校三年生の物語だ。
生徒会長をつとめる主人公はいはゆるガリ勉(booksmart)だ。
高校生活を勉学に勤しんできた。おかげで九月からはイェール大学に行くことになつてゐる。
ところが明日は卒業式といふ日、これまで勉強もろくにせずフラフラ遊んでゐると思つてゐた同学年の生徒たちがみなアイヴィーリーグの大学やジョージタウン大学への進学、進学しないものはGoogleへの就職を決めてゐることを知る。
「勉強や試験なんてバカにしてきたくせに」と云ふ主人公に、フラフラ遊んでゐた(と主人公は思つてゐる)生徒のひとりが云ふ。
「勉強や試験だけぢやなくて、ほかのことも大切にしてきたんだよ」と。

そこで主人公は一念発起し、やはり勉強一筋でやつてきた親友を巻き込んで、高校生活最後の夜にいままで勉強の犠牲にしてきたことを全部やらう、卒業生の乱痴気パーティに参加しやう、ともちかけるのだつた。

ここまで見て、「なんか違ふな」と思つた。
主人公が、ほかのこと、高校生だつたらしたいやうな楽しいことをすべてあきらめて或は犠牲にして勉強してきた、といふのがなんだかひつかかつた。
そんなの、自業自得ぢやん。
好きでやつてたんぢやなかつたの?

親友の方はどうやら「高校生らしい楽しみ」にはそれほど興味はないらしく、ほかの生徒が遊んでゐてかつ一流大学に行くことについてもそんなに感慨はないし、別段パーティに行きたいとも思はない。
でも、大の親友の主人公の頼みだから、そこは行動を共にすることになる。

もし、主人公がいはゆる高校生らしい楽しみや遊びに興味がなく、遊んできたと自分は思つてゐる生徒たちが名の知れた大学に進学するといふ話を聞いても全然動じなかつたら、物語にならない。
つまらない映画になつてしまふ。

でもなー、別にいいぢやん、勉強三昧の高校生活だつて。
そもそも主人公には確たる将来の夢があるんだしさ。
それに邁進するつて、それだつてすばらしいことだと思ふんだがなあ。
なんか、結局、勉強だけつてつまらないよね、みたようなさ。
「だけ」はよくないのかもしれないけれど、でも、勉強楽しいぢやん、みたやうなさ。
それは親友の方が引き受けてくれてゐるのかもしれないけれども。

主人公は、高校生らしく遊んでゐる同学年の生徒たちを見下すやうにして勉強してきた。
それは自己評価が低いからといふ面もある。
この映画は、自己肯定感や自分らしくあることを描いたものでもある。
最近はさういふ映画が多いよね。

終はり方もきれいだし、かういふ映画だとわかつた上でもう一度見たらまた評価も変はるかな。

Thursday, 10 September 2020

久々に出勤

久しぶりに出勤する。
10時出社を目指したところ、公共交通機関はなにもなにも混んでゐる。
五十日といふこともあるかもしれないが、「ああ、みんな通勤してるんだな」といつたところ。
しかし駅を降りて職場に向かふ途中、某大企業の建物に入つていく人はひとりだけだつた。
あとでもうひとり、コーヒーを買つて戻るといつた風情の人がゐたくらゐだ。
以前はこの時間帯にこの建物に入つていく人がたくさんゐた。
きつと、ほとんどの社員は在宅勤務になつてゐるんだらう。
或は契約社員はクビになつてしまつたのかもしれない。

今後出勤するやうになるとしたら、いつたい何時に着くやうに出勤すればいいだらう。
会社からは電車やバスが混雑する時間帯は避けるやうにと云はれてゐる。
今日の感じだと10時出社はダメといふことだ。
しかし、これ以上遅くすると帰りの時間が遅くなる。
そして生活のリズムがくづれる。
それは避けたい。
それに、帰宅の時間が遅くなつたとして、それはまだ混んでゐる時間帯なのではないかといふ気もする。

では反対に早く出勤すればいいだらうか。
これはやつてみないとわからない。
ただ、新型コロナウィルスが流行する以前のことを考へると、早い時間は早い時間で混んでゐた。
早い時間帯には電車の本数も少なく、時に車両編成も短いからだ。
朝早く行けばその分早く帰れるわけで(職場の人と時間が合はないかもしれないといふ問題はあるが)、帰りは比較的電車も空いてゐるものと思はれるのだが。

いづれにしてもうまくいかない。
もう通勤するといふ考へを捨てた方がいいのぢやあるまいか。
さうしたら使つてゐる路線が運転見合はせ中だどうしやうだとか、何時に着かなければならないのに電車が遅れてゐるだとか、さうしたことを気にしなくて済む。
明日は朝から会議だから時間に余裕をもつて出勤しなければ、そのためには何時に家を出ないといけないから、何時には起きないといけない、それには何時には寝ないと……などと考へなくてもいい。
とにかく、電車情報を気にしなくていいといふのがこんなに楽なことだとは思はなかつたよなあ。

ちなみに今日は職場で周囲の人はみな在宅勤務か休みを取つてゐるといふことを確認して出勤することにした。
周囲に人がゐないといふのも楽だ。
他人の目など気にしないにこしたことはないのだが、どうもさううまくいかない。

在宅勤務は自分にはとても向いてゐるのだけれども、今後どうなるのかなあ。
無論、新型コロナウィルス感染については早く収束してくれたらと願つてやまないが、その後も在宅勤務ができるやうになつてゐるといいのにと、こちらも願つてやまない。

Wednesday, 09 September 2020

苦手な歯みがき粉

子どものころ、歯みがきが嫌ひだつた。
歯みがき粉が好きになれなかつたからだ。

子ども用の歯みがき粉にはくだものの味がついてゐた。
イチゴ味やバナナ味などがあつたと思ふ。
これがどうにもイヤな味でね。
当時はイチゴもバナナも好きではなかつたし、いまでもバナナは食べられない。
だが、歯みがき粉の味はそのイチゴとバナナとも違ふ。
色だけは桃色だつたり黄色だつたりするけれど、そして匂ひはどことなくくだものに似せてゐるけれど、味はまるで別物だつた。
そして好きになれなかつた。

小学校に上がつたころだらうか、大人とおなじ歯みがき粉を使ふやうになつた。
これも苦手だつた。
なんだか、刺激が強いからだ。
ミント味の食べ物も苦手だつた。
いまもミントチョコレートはあまり好きではない。
どことなく薬臭いからだらう。

いつしか錠剤型のラムネなどは食べられるやうになつて、いまではFRISKも常時持ち歩いてゐる。
さうなると、歯みがき粉も悪くないと思ふやうになる。
いまでは朝起きると即歯をみがく。
風邪や流感にかからなくなると聞いたからだ。
実際のところ、朝起きて即歯をみがくやうになつてから風邪も引いたしインフルエンザにもかかつた。
でも続けてゐる。
しないよりマシだと思つてゐるからだ。

夜は湯舟の中でみがく。
口腔があたたまつてゐるときの方が効果があると聞いたからだ。

そんなわけで子どものころはあまり歯みがきに熱心ではなかつたけれど、歯医者にはそれほどお世話になつてゐない。
多分、小学校のときの歯医者通ひは片手で足りるくらゐだつたのではないかと思ふ。
近所に歯医者がなくてバスに乗つて行く必要があり、バスに乗ることなど滅多になかつたので、おそらくこの記憶は正しい。
中学のときは一度も行かなかつたし、高校の時は飛行機に乗るといふので診てもらつたくらゐだ。
大人になつてからもそんな感じで、ほんとは定期的に検診に行つた方がいいと思つてはゐるものの、行けてゐない。

これも歯みがきに熱心になれない理由のひとつなんだらうな。
このCOVID-19騒ぎがおさまつたあかつきには歯医者に行きたいと思つてゐる。
つまりはまだ行く気がないといふことか。

Tuesday, 08 September 2020

涼しくなつたら

さて、あみものははじめたものの、タティングには手をつけられてゐない。
さうかうするうちに、マクラメの新刊が出るといふ話も聞いた。
マクラメ、いいよなあ。
好きなんだよなあ。
といふわりには、七宝結びもろくろく結べないけれど、好きなものは好きなのだつた。

何年前のことだらう。ここにも書いたことがある。
ファーストフードの店で、高校生とおぼしき人が、慣れた手つきでミサンガを結んでゐた。
うらやましくてなー。
自分もあんな風に結べるやうになりたい。
さらには、推定高校生への対抗心もあつた。
自分だつて、そんな風に結べるやうになるんだから。
結果、その時はおそらく高校生に勝るとも劣らない手つきで結べるやうになつた、と思ふ。
ただ、長くは続かなかつた。
マクラメ自体が続かなかつたからだ。
ミサンガなんてそんなに数必要ないしね。
考へてみれば腕時計のバンドを作ればよかつたのかもしれないが、その時はさういふ発想はなかつた。

そんな感じで、何年かに一度マクラメのマイブームがやつてくる。
今年も一度やつてきた。
ダルマの鴨川糸でモチーフを作つた。
腱鞘炎さえなければもつと結んでゐたと思ふ。

さう、すべては腱鞘炎のせゐでもある。

土日と働かなかつたら、多少よくはなつたんだけどね。
やはりPCを操作するのがよくないのだらう。
キーボードで打つたりマウスを使つたりするのがよくないやうだ。

マクラメの新刊は買ふことだらう。
結ぶかどうかはわからない。
タティングは作りかけになつてゐる栞-to-beをなんとか仕上げたい。
ちよつと涼しくなつてきたしな。

Monday, 07 September 2020

Another Cowl

去年の今日、ショールを編み始めたのらしい。
記録によるとさうだ。
今日は無理だよなあ。
なにしろ蒸してゐるもの。

さう思つてゐたのに、編み始めてしまつた。


Kingswood Neckwarmer である。
毛糸は Puppy の New 4 Ply。
最寄駅のそばにある手芸屋の閉店セールで求めたものだ。
いづれショールでも編むかと三玉買つてある。
Kingswood Neckwarmer は中細毛糸50gを2玉使つてゐるから、まあなんとかなるだらう。
針は6号で編んでゐる。
指定だと3.75mmだから5号の方が手のゆるいやつがれにとつてはいいのだが、ぱつと目についたのが6号だつた。
さういうふこともある。

作り目は伸縮性のあるやり方でと書いてあるので、Twisted German Cast-on を用ゐてみた。
結果がどうかはもうちよつと編み進んでみないとわからない。

それにしても、cowlといつて、今年はすでに Don't Touch Your Face Cowl を編んでゐる。
さういやとつとと洗つて整形しておくんだつたな。
編みあがつたころはまだ梅雨も明けてゐなくて、なかなか乾きさうにないから整形せずにおいたままだ。
さうかうするうちに台風がやつてきて、また乾きづらい日々か戻つてきてしまつた。
どこかタイミングを見て整形しないとな。

整形したところで使ふ機会がないからといふこともあるのだが。
去年はショール、一昨年はLacy Baktusなどを編んだ。
今年はネックウォーマだな。
端が結ばなくていいといふのがいい。

いづれにしても、腱鞘炎もあるし、まだまだ暑くて蒸す日も多さうだ。
仕上がる日は遠いな。

Friday, 04 September 2020

長居できない

外出して長居できるところがなくなつてしまつた。
たとへば図書館だ。
地元の図書館では長居を禁じてゐる。
おそらくどこの図書館でもさうだらう。
図書館でぼんやり棚を眺めて、「こんな本があるんだ」「あんな本もか」「この棚の並びはおもしろいな」とか考へるともなく考へる。
来るまでは存在も知らなかつた本に出会つて、しばし座つて眺める。
借りたいと思へば借りればいいし、ほしいと思つたら本屋に行けばいい。もう店頭になささうな本ならWeb検索するといふ手もある。
時間も決めずにただただ図書館にゐつづける。
さういふことができなくなつてしまつた。

もしかしたらできるのかもしれない。
図書館員はそこまで気にしてゐないかもしれない。
でも図書館側がさうするなと云つてゐるのだ。
それに従はない理由はない。
あるとしたら、「自分はずつとここにゐたいから」といふわがままだけだ。

喫茶店もさうだ。
喫茶店でコーヒーを頼み、図書館で借りてきたばかりの本や読みさしの本を読む。
読みながら気になつたことは書き付ける。
ときには考へる方に夢中になつて読書がおろそかになることもある。
時間は気にしない。
気にするとしたら店の混み具合くらゐで、それすら気にする必要がない場合もないわけぢやない。

これができなくなつてしまつた。
図書館のそばにあるお気に入りの喫茶店では長居をやめてほしいと云つてゐる。
COVID-19対策としては、至極当然のことかと思ふ。

これがいはゆる「新たな生活様式(なんかもつといい日本語はないものかと思ふが、これが "New Normal" をさすのだらう)」のひとつなんだらう。
どこに行つても長居はしない。
するとしたら自宅か職場か学校か。

職場や学校には何時間でもゐてもいいのに、図書館や喫茶店ではいけないだなんて、なんだか納得がいかないが。
不特定多数の人間が立ち寄るところだから仕方がないのだらう。
職場や学校ならば誰かが感染すれば周囲にほかの誰がゐたかはだいたいわかるのだらうし。

出かけるのはそんなに好きではない。
だからなんとかなつてゐるけれども。
出かけずにはゐられない人にはほんたうに住みにくい世の中なのだらうなあ。
と、あそこでもここでも長居できなくなつて思ふ。

Thursday, 03 September 2020

New Normalの世の中で

手帳になにを書き込むか。
New Normalな世の中、予定はほとんどないかもしれない。
在宅勤務の日々でもオンライン会議の予定はあるだらう。
この日だけは出勤しなければならないといふこともあるかもしれない。
さう考へると手帳にはなにかしら書くことがあるといふことだ。

ところで現在のところやつがれにはほとんど予定がない。
オンライン会議も月に一度ある程度だ。
〆切のある仕事もいまのところない。
自分でやると決めたことを細々とつづけてゐる。
そんな感じだ。

それで手帳になにか書くことがあるのか。
どうやらあるらしい。
先月の、特に後半は暑くてほとんど書けなかつたが。
といふのも、書いてゐて手に汗をかき、紙に皺がよるからだ。
しめつた紙に書くとインキもにぢむしね。
ティッシュペーパーを敷いてみたりもするけれど、書いてゐて気分のいいものではない。

一度書かなくなると、書き方を忘れてしまふ。
それまで書きつけてゐたことはなんだつたのだらう。
なにを書けばいいのか。
さつぱりわからなくなる。
書きつけていくうちに思ひだすんだけどね。

そんなわけで、なにを書いたものか悩みつつ、それでも日々書くことといふのはあるわけで、どうしても手帳は手放せない。
実はもう来年用のRollbahnも買つてしまつた。
Bullet Journalにしてゐるので、毎日Daily Logをつける。
日付と天気、その日使つたカバンとその日引いたタロットカード。
その日のタスクとあればその日の予定。
ニュースを見て気になることがあれば書く。
思ふことがあればそれも書き記す。
それが日々たまつていく。

もともと、手帳には予定といふよりは実績を書き込むタイプだったから、といふのもあるかな。
こんなご時世でも手帳は必要だ。
必要といふか、あるのがあたりまへのもの。

暑くて書けずにゐたことも、そのうちまた書くだらう。
なにしろ暑いと書くことだけでなく、そのほか何もする気がなくなつてしまふ。
早く涼しくなるといいのだが、最近は夏のあとはすぐ冬、みたやうな感じだからなあ。
秋が来ないものかと心待ちにしてゐる。

Wednesday, 02 September 2020

銀英伝第二巻が読めない

『銀河英雄伝説(以下、銀英伝)』を読み返してゐる。
と書きたいところだが、実はまだ一巻しか読んでゐない。
マルジナリアでつかまえて』を読んだところだから索引を作りつつツッコミを入れつつ読んでゐる、とは以前も書いたとほりだ。

なぜ読めないのか。
二巻はいろいろあるからだ。
あんまり書くとネタバレになるので書けないが、つまりはさういふことだ。
銀英伝のまんが化アニメ化舞台化の際、まづは二巻までを対象にすることがある。
二巻まででなんとなく一区切りになつてゐるからだらう。
銀英伝一巻の徳間ノベルズの初版には「一巻」と書かれてゐなかつたといふのは有名な話だ。
我が家の『創竜伝』の講談社ノベルズにも「一巻」といふ表記がない。
人気がなかつたら続かない予定だつたのだらう。
さらに、最近TLを見てゐたら「銀英伝は二巻打切りの可能性もあつた」みたやうなつぶやきが流れてきてゐた。
事の真相は知らず、さういふこともあつたらうと思ふのは「一巻」の表記がなかつたりするせゐだ。

ことほど左様に銀英伝の二巻にはいろいろあるのだつた。
そろそろNHK Eテレで放映されてゐるノイエ銀英伝もクライマックスを迎へる。
そこで一旦「ネタバレ」してもいいのかなといふ気もしないではない。
ほんたうは来週の23話を見る前に二巻を読みきるつもりでゐたんだがなあ。

だいたいのところはもうわかつてゐるわけだし、読み返せばいいぢやん、と自分でも思ふ。
また、こんなに逡巡してゐながら、きつと自分は淡々と索引を作りながらツッコミを入れつつ読むんだらうな、といふこともわかつてゐる。

まだ放映まで五日ほどある。
そのあひだに読み返すかな。
ほかに読みたい本もあるからさう進まないやうな気もするけれど。

Tuesday, 01 September 2020

来年こそは冷房を

涼しくなつたのだからタティングを、と思つて挫折してゐる。
確かに涼しくはなつた。
東北や北海道ほどではないけれど、氷まくらや扇風機に頼らなくても眠れた。
朝起きて、働いてゐても暑いといふ感じはしない。
だといふのに、タティングシャトルを手にタティングをはじめた途端、手のひらが汗ばんでくるではないか。

相対的に涼しいだけだからだ。
昨日まではとにかく暑かつた。
だから今日は涼しく感じる。
でも絶対的にはまだ暑い。
さういふことなのだらう。

二年前のいまごろは、タティンングレースのドイリーを作つてゐたらしい。
藤戸禎子の本が再販されて、それを見て初版(といふのだらうか)の表紙に載つてゐたモチーフといはうかドイリーといはうかを作つたのだつた。
なぜできたのだらうとちよつと不思議だが、職場で昼休みに作つてゐたからだらう。
職場は空調が効いてゐるからな。

空調なしに夏を越えられるのか。
毎年思ふことだ。
そして毎年なんとかなつてゐる。
だが、それも去年までの話で、今年はダメなのではあるまいか。
これも毎年思ふことだ。

とにかく、空調のないことにはなにもできない。
起きてゐてもただひたすら時間の過ぎるのを待つばかりだ。

来年の夏こそは冷房を新調しやう。
これまた毎年思ふことなのだつた。

8月の読書メーター

8月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1043
ナイス数:27

心にとって時間とは何か (講談社現代新書)心にとって時間とは何か (講談社現代新書)感想
時間はないとかいう説もあるし、もうここは哲学しかないのかと思って読んでみたけれど、むつかしかった。全八章、一章と五章、二章と六章というように対になっている。「自殺」の「ある意味未来の自分を殺してしまうという他殺」というのはちょっと「今宵ヴァンパイアになる前に」にあった「変容の経験」みたようなものかな。あと「責任」と「因果」が興味深かった。「ルパン三世カリオストロの城」をあまり評価しないのは、あれはルパン三世である必要がないからだ。まさに「因果」で書かれている通り。ただ、時間についてわかったかというと悩む。
読了日:08月02日 著者:青山拓央
マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻マルジナリアでつかまえて 書かずば読めぬの巻感想
本に何か書き込むのが苦手だ。そのはずがKindleで線を引きメモを残すようになって変わった。読んでみると著者も以前は本に何か書き込むなどとんでもないという人だということだった。口絵の写真がまたおもしろく、石井桃子が自らの翻訳書を何かに取り憑かれたように修正している様子にはちょっと背筋の寒くなるし、夏目漱石のモーパッサン評には笑う。著者による「文学論」や「文字禍」への書き込みも興味深い。本に索引がないと嘆くなら自分で作ればいいというのもちょっと新鮮だった。しない気がするけど。
読了日:08月09日 著者:山本貴光
泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部 (文春文庫)泣き虫弱虫諸葛孔明 第伍部 (文春文庫)感想
結局宇宙とはなんなのだろうか。孔明と宇宙の話ができた馬謖の末路はアレだし、最初は宇宙がわかりそうだった姜維にも実はわかっていなかったらしい。殷周は不明だけど春秋戦国のあと秦が足がかりを作って漢、その後も分裂してて隋が足がかりを作って唐、その後も分裂して、というのはよく思っていたことだけれど、それとはまた別な気がする。冒頭に「兵」のことがよくわからないとある。一兵卒のことだろう。そして孔明は必ず余力のあるうちに撤退を決する。それが宇宙の意思なのだろうか。『詩歌三国志』の影響が大きいラスト。
読了日:08月17日 著者:酒見 賢一
銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)感想
再読。この本を人に勧めるにあたり、序章をとばして読むようにいう、というのがあるけれど、序章がダメな人は残りもダメな気がするんだけれどどうだろう。実際それで「布教」に成功した例があるのかな、もしかすると。毒舌家と皮肉屋しか出てこないのではないかと時に思うが、おとなしい人間が一番厄介なものを心の中にためこんでいるのかもしれないとも思う。キルヒアイスとかね。
読了日:08月18日 著者:田中 芳樹
Horrible Histories: Groovy Greeks (English Edition)Horrible Histories: Groovy Greeks (English Edition)感想
この本を元にした子供用テレビ番組「Horrible Histories」を勧められてあまりのおもしろさに読んでみた。子供の喜びそうな「先生も知らないネタ」とか「グロテスクなネタ」「下ネタ」が多い。古代ギリシャの歴史がざっくりわかっていれば英語の勉強にもいいかも。このシリーズ、英国史がメインでエジプト、ギリシャ、ローマ、インカ、アステカはあるようなんだけれど、中国があるかどうかがわからない。インドとかペルシャとかもか。そういうところ、ちょっとリン・ハントの「なぜ歴史を学ぶのか」を思い出しちゃうな。
読了日:08月27日 著者:Terry Deary

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