少しやる気が出てきた
やつと編み気が出てきた。
昨日も書いたやうに、中長編みの引き上げ編みといふのがいけなかつたやうだ。
長編みの引き上げ編み、それも表と裏と両方といふ模様になつてから、がんがん進むやうになつた。
現金なものだなあ。
ここのところなにも作つてゐなくて、もうこのままなにも作らなくなるのではないかと思つてゐた。
かう思ふことはたびたびある。
作る気が失せると、毎回だ。
これには波がある。
「もう何も作れん」と思つてゐても、しばらくするとまた作り始めたりするものだ。
ただ、「もう何も作れん」と思ふたびに、次の波は来ないだらうといふ気がする。
それだけのことなのだと思ふ。
だからいまタティングもなにもしてゐないけれども、そのうちまたするだらう。
いまは、外出先でタティング用具を取り出すのがちよつと不安だ。
そもそも外出自体をあまりしないといふこともあるけれども、これまでだつたら医者で順番を待つあひだにタティングすることもあつた。
それがいまはなんとなくできない。
ここで使つたら、しばらく、さう、プラスチックだから一週間は手にとつてはいけないのではないか。
さう思つてしまふ。
土曜日に図書館に行つた。
別の図書館にある本を取り寄せてくれるやう頼んでゐて、その本が届いたからだつた。
その帰りに、図書館のそばにある喫茶店に寄つた。
いつもなら、借りてきた本をそこで読むのだが、その日は本を取り出すことができなかつた。
図書館の本だ。
いつ誰が触れたかわからない。
少なくとも自分とある司書さんとは触れた。
別の図書館の本だから、そこの司書さんも触れたらう。
などと考へてゐると、なんかあつたときに喫茶店に申し訳ない気がして、借りてきた本を読むのはあきらめたのだつた。
これも New Normal といふアレなのだらう。
あみものやタティングレースにおける New Normal つて、なんなのかな。
ちよつと考へてしまふ。
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