「パブリック 図書館の奇跡」と授業で出会ふ本
「パブリック 図書館の奇跡(以下「パブリック」)」を見てきた。
真冬のオハイオ州シンシナティの公共図書館を舞台にした映画だ。
中西部の冬は厳しい。
ホームレスを収容できる施設は不足してゐる。
そこで、大寒波のある夜、あぶれたホームレスたちが図書館に居座る、そんな話である。
これをして、ホームレスの問題としてとりあげる向きが多い。
たとへば去年の台風のときの台東区の事件ね。
ホームレスの人が避難所に行つたら拒絶された、といふ。
人間とは、生きる権利とは、みたやうな話ね。
映画の中ではこの事件を自分の有利に使はうとする次期市長候補の姿などもうつる。
ホームレスたちと残つてゐる図書館員(エミリオ・エステヴェス演じるスチュアート・グッドソン)の過去をあばき、危険な人物として報道するニュースのアナウンサもゐる。
パンフレットなどもさうした内容ばかりで、でも、それだけぢやないんだよなあ、と、なんだか歯がゆくてならない。
やつがれがこの映画で一番心鷲づかみにされた部分、それは、学校で強制的に読まされる小説が大きな役割を果たすといふ、その一点なのだ。
グッドソンには部下(といつていいだらう)がゐる。
マイラといつて、グッドソンとともに社会科学などを扱ふ部署で働いてゐる、いはゆる「エコフレンドリー」な図書館員だ。
マイラは文学を扱ふ部署に異動したくてたまらない。
なぜといつて、マイラのヒーローは、高校のときに出会つて以来ずつとジョン・スタインベックだからだ。
ここ、ちよつと曖昧な記憶しかないのだが、おそらくマイラは授業でスタインベックに出会つたのだと思ふ。
米国の高校では、日本でいふところの一年生のときにさまざまな長編小説を読ませる。
州などによつても違ふのかもしれないが、「白鯨」とか「アラバマ物語」、「二都物語」などさまざまある。
スタインベックの「怒りの葡萄」もその中の一作だ。
マイラのヒーローの著作であるがゆゑに、渠らの職場の机の上には「怒りの葡萄」がおいてある。
ホームレスたちが居座り、グッドソンの住まふアパートの管理人であるアンジェラが中継にきたニュースのアナウンサにグッドソンと連絡がつくやう取り持つ。
アナウンサは、大事件にしたいので、グッドソンが危険人物であり、ホームレスたちを人質のやうにしてたてこもつてゐることにしたい。
そんなアナウンサの「いまのお気持ちは?」的な質問に、グッドソンは「怒りの葡萄」の一説を淡々と読み上げる。
この場面、単に本からの引用を読み上げるだけの場面に、ぐつと引きつけられてしまつた。
アナウンサにはなんのことだかさつぱりわからない。
だが、そばにゐたアンジェラ、そしてたまたまとほりかかつたマイラにはわかる。
マイラはいふ。
「スタインベック。高校一年生で読むよ」と。
おそらく、TVでニュースを見てゐた人々の大半はアナウンサのやうになにがなんだかわからないのかもしれない。
でも中にはゐるだらう。
アンジェラや、あるひはマイラのやうに「あ、「怒りの葡萄」だ」とわかる視聴者が。
中にはいままさに読んでゐる最中の高校一年生もゐるかもしれないし(TVではなくてスマートフォンで見ているかもしれないが)、去年読んだばかりの二年生もゐるかもしれない。
その中には「好きなんだよ、「怒りの葡萄」」つて人もゐるだらう。
学校で強制的に読まされる小説だといふのに。
あるひは学校で問答無用で引きあはせられた小説だから。
Twitterを見てゐると、なんとはなし「その声は、我が友、李徴子ではないか」とつぶやいたりだとか、「馬鹿だ」「僕は馬鹿だ」といつてみたりだとかいふものがある。
これは、「わかる人にわかればいい」といふつぶやきだとは思ふ。
だが、「高校でやるんだし、それなりに多くの人に伝はるだらう」といふ思ひもあるだらう。
あるひは、高校で出会つて、忘れられない相手になつてしまつた小説だから、つひつぶやいてしまつた。さういふこともあるかもしれない。
出会ひは偶然でもなんでもなく、学校の選んだ教科書の都合だつた。
でも、あるひはだから、それが意味を持つこともある。
「パブリック」のその場面を見てゐてさう思つたんだなあ。
図書館の中には、作家とその作家の有名な引用文を印刷した大きな垂れ幕がいくつか飾られてゐる。
これは映画のために作つたもので、いまでも舞台となつた図書館に飾られてゐるものなのださうだ。
映画を見てゐて気になつてはゐたけれど、なにが書いてあつたのかちやんと読めてゐない。
もう一度行く機会があつたら全部確認したい。
間に合ふかなあ。
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