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Monday, 31 August 2020

涼しくなるとすぐこれだ

去年は臙脂色のヴェストを編んだ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』でカメオ出演のブライアン・メイが着てゐたヴェストを写したものだ。
同様にロジャー・テイラーも出演してゐて、灰色のカーディガンを着てゐる。
これも編みたい。
ちやうどぴつたりな色の毛糸も十分な量が手元にあることだし。
問題は、編み図といふか編み方を起こすところからはじめないといけないこと。
それと、ロジャー・テイラーの場合はScreen Xでしかその出演シーンを見られないため、背中がどうなつてゐるかよくわからないし、細かい部分も不明なことだ。
ブライアン・メイの方はメリヤス編みのヴェストで、まさかそれで背中にものすごい模様が入つてゐることはちよつとあり得ないと思つたから、袖ぐりとか襟ぐり、丈などを考へるだけですんだ。
カーディガンはさうはいかない。

と、考へられるやうになつたのは今夜が涼しいからで、それまではもうあみもののことなどほとんど考へてゐなかつた。
考へられなかつた、ともいふ。
暑さはやる気を奪ふ。
体力も思考力も萎えてゆく。
今後、毎年夏はかうなる。
なんてことだ。

旅に行くことができれば、涼しいところに避暑に行くといふ手もあるだらう。
時間と予算さへあればできさうだ。
だが、それも New Normal の世の中では考へ難い。
自由に行きたいところに行けるやうになるのはいつのことだらう。
もうそんな日はやつてこないのかな。

だが、冬は来る。
今夜のやうに涼しい夜もあるのだから、また毛糸を手にする気力の生まれる日は近い。
カーディガンかー。久しく編んでないからなあ。
とりあへず、人形サイズで編んでみやうか知らん。
それはいい手なやうな気がしてゐる。

Friday, 28 August 2020

読書つていいことなのか知らん

在宅勤務になつて一番減つたのは読書の時間だ。
本は移動中、電車の中で読むことにしてゐたからだ。
四月に在宅勤務をはじめたときは二冊しか読まなかつたし、五月六月と出勤したあとの七月も同様。
ちなみに五月は五冊、六月は八冊読んでゐる。
とはいへ、四月も七月も毎日なにかしら読んではゐる。
単に時間が取れないだけだつたのだと思ふ。
生活のリズムが変はつて、本を読む時間をどこに入れていいのかわからない。
さういふ状態だつたのではないかなあ。

以前もここに書いたとほり、ある時期、自分は本が好きだと思つてゐた。
でもそんなことなかつたことに気づいたのが二十歳を過ぎたころのことだ。
あんまし本を大切にしないしね。
好きで読んでゐるといふよりは、ほかにすることがないから読んでゐる。
そんな感じだ。

そもそも、こどものころ、親はやつがれが本を読むのを嫌がつた。
それも以前ここに書いた気がする。
本を読むより、外でともだちと遊んで来いといふ。
それもできるだけ大勢で。
自宅に友人数人を招いて遊ぶときも、本を読むのはダメなのだつた。

また、学校もあまり本を読むことに力を入れてゐなかつたやうに思ふ。
小学校のとき、二時間目と三時間目とのあひだに二十分休みといふものがあつた。
この休みのあひだは晴れてゐるときは本を読んではいけない。
雨の日や雪の日でないかぎり、外に出て遊ばないといけないのだつた。
もしかしたらものすごく風の強い日もさうなつたかもしれないが、残念ながら在学中にそんな強い風は吹かなかつた。

自分は本が読みたかつた。
でも周囲がよつてたかつて邪魔をする。
邪魔されるとよけいに読みたくなるのが人情といふものだが。
思ふやうに本も手に入らないしね。

あのころ、せめて徒歩圏内に図書館があつたなら。
さう思ふこともある。
小学校の図書室は四年生のときにできたのだつたと思ふ。
児童は自由に出入りすることはできなかつた。
地元の図書館はバスに乗つて三十分ほどのところにあつた。
詰んでゐる。

世の中、本を読むことはいいことだといふ。
ほんたうにさうなのだらうか。
少なくとも本邦で本が容易に手に入るやうになつたのはいつごろのことだらう。
昔は、本を自由に買ふことのできるのはお金持ちばかりで、それで結果的に本を読むと立身出世できるとか、さういふことだつたのではないだらうか。

多分、自分は本を読むことが好きだ。
でもそんなにものすごく好きではない。
あまり好きだと、「そんなことしてちやいけないよ」と邪魔をされる。
そんな気がして仕方がないからかもしれない。

Thursday, 27 August 2020

Bullet Journal で Book Log

Bullet Journalの公式Blogに、読書用のログの作り方があつたので、三ヶ月ほど前からやつてみてゐる。

公式Blogでは、本のページ数と自分の読書スピードから一ヶ月に一冊を読み切るには毎日どれくらゐ時間をかければいいかを割り出すところからはじまる。
実際はページ数と読書スピードから割り出した時間にメモを取る時間をプラスするんだけどね。
ここからはじめるかどうかは個人の好みによると思ふ。
自分の読書スピードを把握してゐない人もゐるかもしれないし、そんなものは読む本によるから計算できないよといふ人もゐるだらう。
一定期間に一定数の本を読み切らないといけないといふ決めもなんだか窮屈だ。
そんなわけで、自分はこれはやつてゐない。

本を読み始める前に、目次を書き出す。
最初に読んだときは、それつてどうなのよと思つたけれど、読書猿のBlogにも書き取ることの重要性が説かれてゐたので、やつてみた。
なぜ「それつてどうなのよ」と思つたかといふと、実際自分はこれまでいろいろと本などから気になる文章などを書き出してきたけれども、それがあまり身になつてゐる気がしないからだ。
手で書けば覚える、といふのだが、どうもあまりさういふことがない。
心中空な感じで書いてゐるからだらうか。
あるひは字が汚くて、読み返しづらいからだらうか。
書いたものを覚えるといふのは、書いたあと読み返すからだと思ふんだよね。
でも、まあまず目次を書き出す。
いまはBullet Journalに書き出してゐる。
読書ノートが別にある人はそちらに書き出してもいいかもしれない。

本を読み始めたら、気になる表現や思つたことをメモしていく。
これもBullet Journalにしてもいいし、読書専用ノートやCommonplace bookがある人はそちらに書いてもいい。
いまのところDaily Logに書いてゐるが、読書メモが多い場合はやはり読書専用ノートを作つた方がいいやうに思ふ。
読書メモが散らばるからだ。

Bullet Journal はもともとメモが散らばることを前提としていて、さういふ場合のためにCollectionsがあることになつてゐる。
この場合のCollectionsは目次を書き出したものだ。
章や項目の横やそばにメモをしたページを書き込んでいけばCollectionになる。
それはさうなんだけど、やつぱりあんまりメモがあちこちのページに散らばりすぎると俯瞰的に見づらくなるんだよね。
いま、実際さういふ感じになつてゐるんだけどさ。

Daily Logに書くからいけないのであつて、別に新たなページに書けばいいのかもしれないとも思ふ。
それでも散らばることに違ひはないからなあ。まだやつてみてないけれども。

ただ、目次をBullet Journalに書くのはいい気がしてゐる。
目次はBullet Journalに、メモは読書用ノートに。
これがいいんぢやないかなあ。
次に読む本はさうしやうかと思つてゐる。

なほ、公式Blogでは小説など楽しむために読む本にはこの方法はお勧めしてゐない。
個人的には、小説の目次にはざつくりしたものが多い気がするので、小説には向かないよなと思つてゐる。
章や項目の横に延々とメモのあるページ数が並ぶことになつて、それはそれで見づらくなるだらうからだ。
でも小説によつてはこの方法もいいのではないかといふ気がしてゐる。
たとへば、小説からたくさんの引用を書き写したい場合とかね。
あるひは自分用の索引を作りたい場合なんかもいいんぢやないかと思ふ。

この方法だとたくさんは読めないかもしれない。
でも読んでゐてきつと楽しいと思ふ。
すくなくとも自分は楽しいと思つてつづけてゐる。

Wednesday, 26 August 2020

囹圄の中の歴史

Horrible Histories にはまつてゐる。
先週、某所で突然The 4 Georgesの「Born 2 Rule」といふ動画を紹介された。
見て、ウケまくつてしまつた。
そこからHorrible Historiesのその他の動画も見て、どれも気に入つた。
とくに気に入つてゐるのが「The Monarch Songs」「World War I Cousins」だ。

Horrible Historiesは、もとはこども向けの歴史の本で、そこからこども向けのTV番組を作つたのださうである。
なるほど、こども向けか。おもしろいはずだな。
そこかしこにモンティ・パイソンに似たところがあつて、そこもいい。
モンティ・パイソンにも「Oliver Cromwell」とか、歴史を基にした歌があつたりするものね。

Horrible Histories といふのは、おそらく頭を「H」でそろへるための題名ではあつたらう。
古代ギリシャの歴史についてはGroovy Greeks、同ローマについてはRotten Romansなどといふ題名がついてゐることからもわかる。
もとになつた本には、学校では教へてくれない歴史の真実、抱腹絶倒の物語や怖気を振るふやうな物語を教へてあげるよ、といふやうな本だ。
あまり自分のこどもには教へたくないやうなひどい逸話や下世話な逸話もある。といふか、さういふ話が多い。

TV番組はさうした内容をドラマ仕立てにしたり、歌にしたりしてゐる。
おもしろくないわけがない、といひたいところだが、作りやうによつては退屈になつたことだらう。
この番組はおもしろい。
少なくとも自分はかういふ番組が好きだ。
自分の好きな文楽や歌舞伎はこの番組とどこかでつながつてゐる。
さうも思ふ。
#だから段々自分の好きな文楽や歌舞伎が上演されなくなつてゐる、ともいへる。
#でもそれはまた別の話。

まだ全容を知つたわけではないけれど、どうも中国を扱つた動画が見当たらない。
歴史の話で中国が出てこない? そんなはずはないがなあ。
インカはあるんだけど。
ちよつと、イヤな予感はするが、そこがまた英国的なのかもしれない。
モンティ・パイソンには中国も時折とりあげられてはゐたんだけれどね。

しばらくはHorrible Historiesで楽しめさうだ。

 

Tuesday, 25 August 2020

みんな暑さが悪いんだ

涼しくなるまでは、あみものもタティングもあきらめることにする。
あみものとタティングだけではない。
なにか creative なことは、もうすまい。
たとへばこれを打つこともさうだ。
暑くて、本すら読めないのだ。
本を読んでゐると、最初のうちはいいが、気がつくと汗をかいてゐる。
それも頭から顔からあちこちから汗がにぢんでたれる。
できることといつたら、とにかくぼんやりとなにもしないことだけだ。
読むともなくTwitterのTLを追ふとか。
ただひたすら座つてゐるだけとか。
そんなことしかできない。

それでいいのではないかといふ気もする。
暑いつてさういふことなんだと思ふんだよね。
今日もリレーの練習をしてゐたとかで倒れた生徒がゐるといふ。
こどもはともかく、教師はちよつとは自分の頭で考へてみたらどうなのか。
この暑さの中、校庭でリレーの練習をするといふのがどういふことか。
それも暑くて考へられないといふことなのかな。

だいたいなんでリレーの練習などしてゐるのだらうか。
もしかしてこのご時世に運動会をしやうなどと考へてゐるのぢやあるまいな。
ほんとに、ちよつとは自分の頭で考へてみたらどうなのだらうか。

かく云ふやつがれにはまだ考へる余裕はあるやうだ。
だから、涼しくなるまではあみものもタティングもできなくても気にしないことに決められたのだ。

Monday, 24 August 2020

旅先で毛糸を買はなかつた話

去年の今ごろはロシア上空にゐたらうか。
いづれにせよロンドンから帰つてくる途中だつたと思ふ。

ロンドンに行つたら、デビー・ブリスの店に行きたい。
さう思つてゐた。
さう思つてゐたころがあつた。

でも実際は、滞在中手芸店はおろか毛糸を扱つてゐるやうな店には立ち寄ることはなかつた。
あみものへの愛情が失せてゐる?
そのとほりかもしれない。
実際、いまもここ数週間まつたく編んでゐないしね。
暑くてそれどころではない。

去年、わざわざロンドンまで行つて手芸店に寄らなかつた理由はさまざまある。
ほかに行きたいところと離れたところにある、とか。
噂によるとあんまり治安のよくないところを通らないといけない、とか。
さもなくば高級さうな百貨店の中だとか。

しかし、すべては云ひわけだ。
一番の理由は、やはりかばんに入りさうにないから、だらう。
ひとり旅といふことで、飛行機にギリギリ持ち込めるサイズのリュックサックひとつしか持つていかなかつた。
一応、機内で貴重品を入れておくポシェットも持つてゐたけれど、それだけだ。
帰りは空港まで地下鉄に乗つていくので、万が一のことを考へて二つめのかばんさへ用意してゐなかつた。

さうだなあ。空港で毛糸が売られてゐたら買つたかもしれない。
でも見つけられなかつた。ないのかもしれない。

さういや、成田空港で税関を出るときも驚かれたんだつた。
おそらく、おなじ飛行機で帰国した客の中で一番か二番に出てきたんだと思ふ。
係員の顔に「え、もう?」と書いてある気がした。
「ほかに荷物はないのですか?」と、あづけた荷物を取り忘れてゐるのではないかと心配するやうな声で訊かれた。
残念ながら、かばんはひとつだけ。
そんなわけで、さつさと税関を抜けて外に出たのだつた。
こんなになにもかもスムースな帰国はこれがはじめてだつた。

いま思へば、毛糸だけを入れたかばんなら手荷物として持ち込むことができたかなあとも思ふ。
しかし、荷物が多いと危険も多い。
置き忘れるとかね。
まあスリも泥棒も、かさは張つてゐるのに妙に軽さうなかばんなどには見向きもしないだらうけれども。

旅行の醍醐味のひとつに買物がある。
でもさういふ旅ぢやなかつた。
さういふことだな。
次に行くことがあれば、ぜひ毛糸屋に、と思つてゐたところがこのご時世だ。
でも、荷物ミニマムはいい。
このあたりのバランスがむつかしい。

Friday, 21 August 2020

スピリチュアルは抜きで

Holistic Tarot』を読んでゐる。
翻訳本も出版されたのだが、如何せん高額だ。
それに、物理的に本を増やしてはいけない気がする。
#創元文庫の銀英伝15巻セットを買つたのはどこの誰だか。
そんなわけで、原書のKindle版を入手した。

この本を読むきつかけは、TwitterのTimeLineで、「この本は占ひといふよりは、タロットを状況判断などに使ふやう考へた本」といふ話を見かけたからだ。

『易経』だつたか、その解説本だつたかに、こんな話が書いてあつた。
とある国の王子がとんでもない人物だつた。
次に王位を継ぐのはその人物といふことになつてゐる。
ある時、易でその是非を占ふことがあつた。
出た卦は、王子の即位を吉とするものだつた。
だが、易に通じたある人物が、爻の内容だか陰陽が合してゐないだかを論じて、王子は継ぐべきではない、といふ。

これを読んだときに、易といふのは占ひの道具ではなく、事情に通じた人がものの見方を得るための道具なんだな、と思つた。
受け取り方次第だけどね。
占ひだと思つてゐる人は、出た卦で王子は王位を継ぐべきだと読む。
現状を見て今後の行動を考へる助けになると思つてゐる人は、さういふ見方をする。
タロットもまたさうしたものだらう。
さう思つたし、『Holistic Tarot』の序にもそんなやうなことが書いてある。

だが、実際に読んでみると、さうばかりともいへないんだなあ。
たとへば、タロットにはカードによつて星座とつながりがあるカードがある。
皇帝のカードは牡羊座、教皇のカードは牡牛座、恋のカードは双子座、といつた具合だ。
また、杖・聖杯・剣・金貨はそれぞれ火・水・風・土の星座とつながりがあるのらしい。

待つて待つて待つて。
星占ひ?
あてになるの、それ?

といふわけで、カードの説明のところですでにちよつと萎えてゐる。
つづいて占ひをはじめる前にsignifier cardといふのを決めるのださうだが、そこでもかういふ話になつてきてゐて、挫折しさうな予感。

易に切り替へやうかな。
考へてみたら、タロットカードは78枚。易の卦より多い。
タロットカードの方が絵になつてゐてわかりやすいといふことはあるけれども。
それともスピリチュアルはもう織り込み済みといふことにして、「あー、はいはい」と思ひながら読むか。
悩んでゐる。

Thursday, 20 August 2020

ツアー旅行に行かないわけ

去年の今頃はロンドンにゐた。
この機会を逃したら次はない。さう思つて行つた、とはここにも書いたとほりだ。
ひとつには今後は体力がどんどん落ちていく一方であること、もうひとつには十月には消費税率があがることになつてゐて、経済的に行けなくなるであらうこと。そしてもうひとつには、EUであるあひだの英国に行くほぼ最後の機会であること。
まさかこんな形で行けなくなるとは当時は思つてゐなかつた。

旅の手配は、往復の飛行機と宿泊先をH.I.S.で見つくろつた。
あとはまつたく自分ひとりの旅だつた。
オプショナルツアーに参加することも考へたけれどもやめた。
理由はひとつ、体力的についていけるかどうかわからなかつたからだ。

ここのところTLに、ツアーで旅行するか否かといふ話題がRTされてきてゐた。
どちらかといふとツアーに参加するのではなく、自分でなにもかも日程を立てて旅行するのが好きな人のつぶやきであるやうに見受けられた。
といふのも、世の中には旅の日程を決めることやそのための手配がまつたくできない人がゐるのだ、といふやうな内容だつたからだ。
おそらく、と、これは推測だが、なぜツアー旅行などといふものがあるのだらう、といふやうなところから話題がはじまつたのではないかと思ふ。

ツアー旅行にはツアー旅行のいいところがある。
自分の行きたいところが網羅されてゐるパッケージであれば、あれこれ悩まなくても行くことができる。
また、ツアー所以の優待があつたりする場合もある。
個人で行つたら入れないやうなところや入りづらいところに、ツアーだつたら入ることができることがある。
それに、バスや電車で二時間など長い時間をかけて移動をする場合、個人の旅行だつたら居眠りするのはちよつと怖いが、ツアーで乗り物を用意してくれればそれほど怖れることもない。

一方で、ツアー旅行は強行軍である場合が多い。
早朝から移動を開始し、一箇所に滞在できる時間はわづか、それであちこちに移動する。
ちよつとつらい。
いや、かなりつらいかもしれない。

そんなわけで、去年はまつたくのフリープランといはうか、行ってみてその日の天候次第で行く先を組み替へやうといふくらゐの気持ちで行つてきた。
丸々一日使へるのは三日間。
初日は大英図書館の展示と大英博物館の展示をそれぞれ見る予定でゐた。
大英図書館まで行けばユーストン駅がすぐそばなので、ブレッチリー・パークへ行くのにどこでどうやつて切符を買つて電車に乗ればいいか確認するといふ目的もあつた。
別の一日はブレッチリー・バークに行く日。
残りの一日はナショナル・ギャラリーほか、いはゆる「聖地巡礼」にあてる日。
お土産などはブレッチリー・バークや博物館・美術館で求めやう。
そんなゆる〜い予定だつたけれど、まあなんとかなつた。
運がよかつただけかもしれないけれど。

飯田に行くときも京都に行くときも万事こんな感じだ。
国内だと、飛行機に乗るやうな場合以外は切符や座席、宿も自分で手配する。
飛行機に乗る時だけは宿とセットだと安い場合があるのでさうする。
そんな感じ。

ツアー旅行に憧れないこともない。
なにも考へずに、決められた予定通りに動いてゐればすべて済む。
楽さうぢやあないか。
だが、如何せん、体力がついていかないんだよなあ。

Wednesday, 19 August 2020

座れない若人

一昨年の九月、日本教育会館にウルトラセブン落語を聞きに行つたときのことだ。
左隣に座つてゐたのは見たところ『ウルトラセブン』をリアルタイムで見てゐたとおぼしき世代の三人づれだつた。
右隣は一人で来てゐた推定二十代の人。ウルトラ好きなんだらうな、と思ひつつ、落語も好きだつたらいいななどと開演前は思つてゐた。
開演を待つあひだ、三人づれの方は仲間内でいろいろ話をしてゐた。
どうも聞いてゐると、能や狂言にも行くのらしい。
また、森次晃嗣の経営する店にも何度か行つたことがあるといふやうな話をしてゐた。
一人で来てゐた人がどうしてゐたのか、記憶はない。多分、スマートフォンを見てゐたか、目を閉ぢてゐたかしたのではないだらうか。

開演を迎へると、両隣の様相が変はつてくる。
三人連れの方は笑ふし拍手もするけれども、座つてゐるその姿勢をくづすことはまづなかつた。
一人で来てゐた人は、とにかくじつと座つてゐられないのらしい。
落語を聞いてゐるあひだも動くの動かないのつて。
これだけでわかる。
この人は普段、落語を聞かないのだ。
いや、聞くかもしれないけれど、寄席や落語会に行つて聞くことはない。
さういふ人なのだ。

歌舞伎などを見てゐると、お隣がちよつとお年を召した方だつたりすると、ずつとおなじ姿勢で座つてゐることがむつかしいらしく、椅子のしきりに肘を置いたりさらにはその手の上に顔を乗せてみたりといろいろなことをする人がゐるな、といふことに気がつく。
年をとつて筋力や体力が衰へて、長時間姿勢をくづさずにゐることがむつかしいからかうなるのだ。
さう思つてゐた。

さうぢやなかつたんだな。
年だけの問題ではなかつたのだ。
若くても、一定時間姿勢を保つてゐられない人はゐる。
ただ座つてゐることに慣れてゐないのだらう。
聞いてゐてつひ笑つてしまふやうな落語を聞いてゐてもとにかく落ち着かない。
隣にゐるこちらもそはそはしてしまふ。

三人連れはなにしろリアルタイムで見てゐさうな世代のやうに見受けられたから、おそらくもうすぐ還暦とかもう迎へてしまつたとかそのくらゐの年だつたらう。
でも落語を聞いてゐるあひだ姿勢を保つてゐられる。
普段、能や狂言を見に行つたり、おそらくは落語も聞きに行くこともあるのだらう。
座ることに慣れてゐる人々なのだ。

すべての若い人がさうだとは云はないし、そんなことはないとはわかつてゐても、このときちよつと落語や芝居の未来は暗いかもしれないなと思つた。
なぜといつて、ただただ座つてゐることに慣れてゐない人がゐるだらうからだ。
もしかすると、このとき隣に座つた人が若者代表かもしれない。

無論、あの後一人で来てゐた人が落語を気に入つて寄席通ひをはじめてゐるかもしれない。
あれから二年、長時間座ることにもすつかり慣れてゐるかもしれない。
でもやつぱりむつかしからうなあ。
ただただ座る力も一朝一夕でつくとは思へないからだ。

現在、寄席は開いてゐるし、芝居の幕もぼちぼちあがるやうになつてゐる。
でも客を、とくに新たな客を呼び寄せるのは至難の技だな、と思ふ所以である。

Tuesday, 18 August 2020

タティング不能

今日、久しぶりにタティングをしてみた。
ものは、以前シャトルに糸を巻いてしばらく放置してゐた栞である。
ちよつと時間ができたので、そのあひだに向いてゐるかも、と思った。
それに、今日は温度はそれなりに高いものの、湿度が低かつたらしく、なんだかこれまでより躰が楽だつたんだよね。
それで、これならタティングもできるかもと思つたのだつた。

結論からいふと、甘かつた。
ちよつと結んだだけで、手のひらが汗ばんできて、リングを二つも作つたころにはもう耐へられないやうな感じだつた。

さうか。ダメか。
湿度が下がつたくらゐではタティングなど無謀といふことだな。
タティングが無謀ならあみものも無謀だらう。
なんか、できることがない(/_;)。
できることがなにもない。

そんなわけで「銀河英雄伝説」を読み返しはじめてしまつたのかもしれない。

Monday, 17 August 2020

モンティ・パイソンとあみもの

テリー・ジョーンズといへば、モンティ・パイソンの中で唯一編めるメンバだつた。

なにをいまさら、といふかもしれないが、ときどきモンティ・パイソン強化週間とかに入つてしまふ。
いまがちやうどその時なのかもしれない。

Ravelryに加入したばかりのころ、モンティ・パイソンのコミュニティでそんな話もした。
編めるのテリー・ジョーンズだけですよねえ、だとか、右手に糸をかけるんですよね、だとか、ブラマンジュのスケッチ(コントの意)でしたよね、だとか、ほかにも、みんなでペパーポット(英国の典型的なをばちやん、だらうか)を演じてゐるときに編んでる場面ありましたよ、だとか。

コニー・ブースが棒針編みをしてゐる場面も確かあつたし、キャロル・クリーヴランドにはかぎ針編みをしてゐる場面がある(あの有名な「スペイン宗教裁判」のスケッチで、だ)。

でもパイソンズの中で編めるのはテリー・ジョーンズだけ。
なぜ編めたんだらう。
いまになつてそれが気になつてならない。

とてもゆつくりした手ではあつたけれど、テリー・ジョーンズはちやんと編めてゐた。
なにか編んだことがあつたのかな。
なにを編んだのだらう。
あるひは、役者として編むこともあるだらうから、それで素養として身につけてゐたのだらうか。
いまとなつてはわからない。
もしかしたら、身近な人に訊いたらわかるのかもしれないけれど。

謎は謎のまま、今日もブラマンジェのスケッチを見る。
テリー・ジョーンズの奥さんにマイケル・ペイリンの旦那さんといふ組み合はせが好きなんだよね。

Friday, 14 August 2020

「パブリック 図書館の奇跡」と授業で出会ふ本

「パブリック 図書館の奇跡(以下「パブリック」)」を見てきた。
真冬のオハイオ州シンシナティの公共図書館を舞台にした映画だ。
中西部の冬は厳しい。
ホームレスを収容できる施設は不足してゐる。
そこで、大寒波のある夜、あぶれたホームレスたちが図書館に居座る、そんな話である。

これをして、ホームレスの問題としてとりあげる向きが多い。
たとへば去年の台風のときの台東区の事件ね。
ホームレスの人が避難所に行つたら拒絶された、といふ。
人間とは、生きる権利とは、みたやうな話ね。

映画の中ではこの事件を自分の有利に使はうとする次期市長候補の姿などもうつる。
ホームレスたちと残つてゐる図書館員(エミリオ・エステヴェス演じるスチュアート・グッドソン)の過去をあばき、危険な人物として報道するニュースのアナウンサもゐる。

パンフレットなどもさうした内容ばかりで、でも、それだけぢやないんだよなあ、と、なんだか歯がゆくてならない。

やつがれがこの映画で一番心鷲づかみにされた部分、それは、学校で強制的に読まされる小説が大きな役割を果たすといふ、その一点なのだ。

グッドソンには部下(といつていいだらう)がゐる。
マイラといつて、グッドソンとともに社会科学などを扱ふ部署で働いてゐる、いはゆる「エコフレンドリー」な図書館員だ。
マイラは文学を扱ふ部署に異動したくてたまらない。
なぜといつて、マイラのヒーローは、高校のときに出会つて以来ずつとジョン・スタインベックだからだ。

ここ、ちよつと曖昧な記憶しかないのだが、おそらくマイラは授業でスタインベックに出会つたのだと思ふ。
米国の高校では、日本でいふところの一年生のときにさまざまな長編小説を読ませる。
州などによつても違ふのかもしれないが、「白鯨」とか「アラバマ物語」、「二都物語」などさまざまある。
スタインベックの「怒りの葡萄」もその中の一作だ。

マイラのヒーローの著作であるがゆゑに、渠らの職場の机の上には「怒りの葡萄」がおいてある。
ホームレスたちが居座り、グッドソンの住まふアパートの管理人であるアンジェラが中継にきたニュースのアナウンサにグッドソンと連絡がつくやう取り持つ。
アナウンサは、大事件にしたいので、グッドソンが危険人物であり、ホームレスたちを人質のやうにしてたてこもつてゐることにしたい。
そんなアナウンサの「いまのお気持ちは?」的な質問に、グッドソンは「怒りの葡萄」の一説を淡々と読み上げる。
この場面、単に本からの引用を読み上げるだけの場面に、ぐつと引きつけられてしまつた。

アナウンサにはなんのことだかさつぱりわからない。
だが、そばにゐたアンジェラ、そしてたまたまとほりかかつたマイラにはわかる。
マイラはいふ。
「スタインベック。高校一年生で読むよ」と。

おそらく、TVでニュースを見てゐた人々の大半はアナウンサのやうになにがなんだかわからないのかもしれない。
でも中にはゐるだらう。
アンジェラや、あるひはマイラのやうに「あ、「怒りの葡萄」だ」とわかる視聴者が。
中にはいままさに読んでゐる最中の高校一年生もゐるかもしれないし(TVではなくてスマートフォンで見ているかもしれないが)、去年読んだばかりの二年生もゐるかもしれない。
その中には「好きなんだよ、「怒りの葡萄」」つて人もゐるだらう。

学校で強制的に読まされる小説だといふのに。
あるひは学校で問答無用で引きあはせられた小説だから。

Twitterを見てゐると、なんとはなし「その声は、我が友、李徴子ではないか」とつぶやいたりだとか、「馬鹿だ」「僕は馬鹿だ」といつてみたりだとかいふものがある。
これは、「わかる人にわかればいい」といふつぶやきだとは思ふ。
だが、「高校でやるんだし、それなりに多くの人に伝はるだらう」といふ思ひもあるだらう。
あるひは、高校で出会つて、忘れられない相手になつてしまつた小説だから、つひつぶやいてしまつた。さういふこともあるかもしれない。

出会ひは偶然でもなんでもなく、学校の選んだ教科書の都合だつた。
でも、あるひはだから、それが意味を持つこともある。
「パブリック」のその場面を見てゐてさう思つたんだなあ。

図書館の中には、作家とその作家の有名な引用文を印刷した大きな垂れ幕がいくつか飾られてゐる。
これは映画のために作つたもので、いまでも舞台となつた図書館に飾られてゐるものなのださうだ。
映画を見てゐて気になつてはゐたけれど、なにが書いてあつたのかちやんと読めてゐない。
もう一度行く機会があつたら全部確認したい。

間に合ふかなあ。

Thursday, 13 August 2020

アニメのエンディング選曲

『泣き虫弱虫諸葛孔明』第伍部の文庫版を読んでゐる。
単行本で一度読んでゐるのに、うつかり笑つてしまふ。
たとへば、北伐に赴く蜀軍を見送る民衆の中に、赤い手ぬぐひを振つてゐる人がゐる、とか。
誰のためでもいいぢやないか、とかロマンとか地の文にあつて、思はず笑つてしまふ。
つづいて十四万八千光年とか出てくると、腹がよぢれるかと思ふ。

「真つ赤なスカーフ」、名曲だよね。
数あるアニメのエンディングの中でも一番好きかもしれない。
と、考へて、だが待てよ、とも思ふ。
『ガンバの冒険』のエンディングがまたいいんだよね。
絵自体はあまり動きがないのに、ものすごく動いてゐる感じがする。
歌詞がまたダークでいい。
ノロイ最強(最凶)。

あるひは黄色いマフラーの昭和の『サイボーグ009』のエンディングもいい。
これもあまり絵に動きがなくて、草原の草が風になびくさまがとてものどやかだ。
この『サイボーグ009』は主題歌もいいけれど、エンディングののんびりとくつろぐやうな、それでゐてちよつと切ない歌がまたいいんだなあ。

切ないといへば『伝説巨神イデオン』のエンディング、「コスモスに君と」。
『イデオン』はあまり見てゐなかつたのだが、なぜかこの歌は歌へる。
傷を舐め合ふ道化芝居ですよ。

同意を得られるかどうかあまり自信がないけれど好きなのが『最強ロボダイオージャ』のエンディング、「よかつたね宇宙」。
題名通りの歌だ。
助さん格さん……もといスケさんカクさん、今日もめでたしめでたしで、よかつたね。
なにせエドワード・ミト王子だから、最後は印籠ぢやないけど紋所を出して成敗してめでたしめでたしなんだよ。
それをかはいい絵柄にあはせたのかこれまたゆつたりとしたテンポで歌ふ。

『COWBOY BEBOP』のエンディング、「THE REAL FOLK BLUES」。
絵はモノクロのやうな感じで、スモーキーなブルースが流れる。
世の中、なにもかもどつちつかずよ、みたやうな。
「All that glitters is not gold.」は英語のことはざだけれども、なんとなくレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を思ひ出さないこともない。

個人的には『銀河旋風ブライガー』のエンディング、「さすらひキッド」も好きだけれど、世の中的には『銀河烈風爆シンガー』のエンディング、「アステロイドブルース」の方が有名だらうか。
J9シリーズは山本正之の手がけた歌が多く、ロックだけどどこか演歌な響きもあつて、それもいい。

山本正之といへば、タイムボカンシリーズのエンディング、特に悪役三人がfeatureされてゐる歌はどれも最高だ。
『ヤッターマン』の2度目のエンディングだつたか「悪役主役よモテモテよ」つて、ほんとそのとほりだよ。

アニメのエンディングには、主題歌は勢ひがあつたり明るかつたりするのに、どこかしんみりとしたものがあつたりもする。
『タイガーマスク』に『ドカベン』、『キューティー・ハニー』に『キャンディ・キャンディ』とかね。
いまだと『おじゃる丸』のエンディングが毎回変はつてゐて好きだ。
とくに好きなのが電ボの歌ふ「恋をいたしましょう」。
ハワイアンの波間にゆれるやうなメロディで、電ボの声(岩坪理江)がぴつたりあふ。
いいなあ、恋をいたしませう。

脳内の記憶をはたけばまだ出てきさうな気がするけれど、ぱつと思ひつくのはこんなところかなあ。
なんか、いくらでも歌へさう。

Wednesday, 12 August 2020

ひとりカラオケの思ひ出

去年の夏、はじめてひとりでカラオケに行つた。
暑さに耐へられなかつたからだ。
カラオケなら涼しからう。
それに、もうすぐひとりではじめての海外旅行に行くのに、カラオケにひとりで行けなくてどうする。

さう思つて行つたのだが、有り体に云つて最高だつた。
空調は好きに調整できるしね。
冷えてきたなと思つたら温度をあげればいいし、暑くなつてきたなと思つたら下げればいい。
そこは思ふがままだ。
飲み物を必ずひとつは頼まねばならないのも却つて好都合かもしれない。喉は乾くからね。
あとは、机といふかテーブルさへ書きもの向きなら、通ふなあ。

とにかく暑すぎる。
ちよつと働いただけで汗が滝のやうに流れてくるしね。

いまカラオケはクラスター感染の温床のやうに云はれてゐるけれど。
ひとりカラオケなら大丈夫なのではないだらうか。
歌ひに行くわけでなし。
歌ひに行つてもいいけど、いまはちよつと危険だよねえ。

いつになつたらなにも考へずにカラオケに行けるやうになるのだらう。
そして、ひとりカラオケに行くきつかけになつた、海外旅行などへ。

Tuesday, 11 August 2020

タティングレースのブックカヴァ

最近本屋で本を買ふとカヴァをつけてもらふことが多い。
袋が有料になつた結果、袋は買はずに本だけ持つて店を出ることが多いからだ。
カヴァをしてゐれば万引きに間違へられることもあるまい、といふ、云ふなれば一種の「李下に冠を正さず」だ(違。

実を云ふと、文庫と新書については使ひこんだ革のカヴァを持つてゐる。
買つて帰つたらそちらのカヴァにつけかへるので、書店のカヴァは不要だ。
そんなわけで最近はカヴァのつけかへもあまりしてゐない。
買つてきたときのまま読んでゐる。

ところでブックカヴァといへば作つてみたいとつねづね思つてゐるもののひとつだ。
かぎ針編みや棒針編みのカヴァもいいが、タティングレースで作つてみたいなあと思つてゐる。
Nina Libinが出してゐる冊子にあるんだよね、本用のアクセサリが。

おそらく紐で綴じるタイプのファイルの背表紙とかね。
中にはブックカヴァもある。
縁はかぎ針編みにするのだが、中はタティングレースだ。
Nina Libinだから当然ビーズもあしらつてある。
作つてみたいなあと思ひつつ、文庫サイズだとか新書サイズだとか本の大きさにあはせて作れる気がしないのでそのままになつてゐる。
それに、作るとしたら持つてゐない四六判用のカヴァがいいなと思つたりもするしね。

背表紙なら、バイブルサイズのシステム手帳のリフィルを綴じてつけてもいいんだよなあ。
まあ、いろいろ野望はあるわけだ。

Monday, 10 August 2020

真夏の手編みのくつ下事情

暑い。
なにもする気にならない。

といふことで、かぎ針編みで編んでゐたくつ下も進んでゐない。
長編みの引き上げ編みに入つて順調だつたが、如何せん時間がかかる。
時間がかかるだけならいいのだが、とにかく暑い。

ところで、なぜ夏用の糸でくつ下を編んでみやうと思つたのか。
それは、巻き爪対策として足の指の爪を伸ばしてゐるからだ。
無駄に伸ばしてゐるので、なにかにひつかけやしないかと不安でならない。
そんなわけでこの暑いのに室内でもくつ下をはいてゐる。
さすがに自分で編んだ毛糸のくつ下ははかなくなつたが、実はつひ先日まではいてゐた。

以前ここにも書いたやうに思ふ。
Yahoo! Groupだかなんだか忘れてしまつたが、くつ下編み愛好会のやうなものがあつた。
そこで、驚愕の発言をする人がゐた。
なんと、華氏100度でも自分で編んだ毛糸のくつ下をはいて、しかも痛痒を感じないといふのである。
華氏100度つていつたら摂氏で40度近いよ。
それで毛糸のくつ下? しかも手編み?
あり得ん。

さう思つたのだが。
もしかすると、湿気の少ないところでは可能なのかもしれない。
あるひは外は華氏100度だけれど、自宅はガンガンに空調をきかせてゐる場合とか。

今年の例でいくと、先週の金曜の夜までは、家の中は風がとおつて涼しかつた。
それで毛糸のくつ下をはいてゐても問題なかつたのではないかなあ。

しかし、金曜の夜は風がなかつた。
どうやら涼しく過ごせる日々は終はつてしまつたのらしい。
なんとかしなければ。

と、ここまで考へて、くつ下を編まうとするからいけないのではないかといふことに気がつく。
問題は爪なのだから、つま先カヴァのやうなもので十分なのではないか。
さうしたらそんなに時間もかからずに作れるし。

でもなあ。長編みの引き上げ編み、楽しいんだよなあ。
それに、いづれにしてもこの暑さではなにもする気にならない気もする。
どうしたものやら。

Friday, 07 August 2020

しよつ中引く「恋人」

毎朝一枚タロットカードを引いてゐる。
といつて、実際のカードを使用してゐるわけではなく、iPhoneのタロットアプリケーションを使用してゐる。
その日を占ふといふよりは、なにかあつても「かう考へればいいのか」と視点を切り替へやすいから引く。
なにかショックなできごとがあつても「あー、今朝引いたカード、「死神」だつたからなあ。リセットしろつてことかな」とかさ。

ところが、いま使つてゐるアプリケーションの出すカードにものすごく偏りがある。
やたらと「恋人」が出るのだ。
先月からの記録を見ると、「恋人」が圧倒的に多い。
全体的には12の「吊るされた男」までがよく出て、13の「死神」以降はあまり出ない。あ、「死神」は引いたことないかも。
この一ヶ月と十日ほど、「塔」と「悪魔」が一度づつ出たくらゐで、「星」と「世界」が二度づつ、「月」「太陽」「節制」が一度かな。
「皇帝」「教皇」「力」「戦車」あたりもよく出る。

これ、プログラムになんか意図的なものがあるのだらうか。
13以降は出づらくしてゐる、とか。
あるひはランダマイズにしくじつてゐるとか?

「恋人」のカードは恋愛相談のときにはよい意味を持つカードと見なされるといふが、もともとは選択を表すカードだつたといふ。
米光一成は『思考ツールとしてのタロット』の中で選択するときのどきどきする気持ち、恋のドキドキをイメージすると書いてゐる。
Holistic Tarot』にも伝統的にこのカードは道徳的倫理的な選択をイメージするカードだと書いてある。

選択、ねえ。
それも道徳的な選択。

生きてゐれば無意識のうちにもさまざまな選択を行つてゐる。
その時に、「それは道徳的に正しいのか」と考へよ、といふことなのかな。
考へてみれば、その視点はなかつたな。

たとへば朝食だ。
食べるか食べないか。
そんな選択は意識することなく行つてゐる気がする。
何を食べるかにしてもさうだ。
きちんとなにか作つてあるひは作つてあるものをあたためて食べるか。それともとりあへずなんでもいいからそのあたりにあるものを食べるか。

朝食を食べることは健康にいいのだといふ。
ならば「食べるか否か」と考へた時には、「食べる」一択だらう。
食べるものにしてもさうだ。
きちんとしたものを食べた方がいいに決まつてゐる。
かういふ何気ない日々の選択を、「(道徳的に)正しいか否か」考えへて決めよ。
さういふことなのかもしれない。

それでしよつ中出てくるのかなあ。
しばらくはさう思ふことにするか。

Thursday, 06 August 2020

New Normal に慣れなくて

今月は歌舞伎座で二月以来の公演がある。
四部制で、毎回役者も関係者も入れ替はる。ほかの部をかけもちするものはない。
観客も、常であれば第一部と第二部をつづけて見る人はロビーなどで待つことができるけれども、それも今回はないらしい。
毎回全員外に出てもらふ。そして消毒などを徹底するのだといふ。
それでも昨日は第三部の関係者に微熱のある人がゐたとのことで第三部だけ休演になつた。
第一部や第二部、第四部には影響がないので上演された。

今後もしばらくはかういふ形式でいくのだらうか。
九月も四部制で、やはりかけもちする関係者はなく、客席も毎回全入れ替へになるのだらう。
八月は、第一部・第二部・第三部が所作事で、第四部だけ世話物だけれども、できるかぎり役者同士が近づかないやうな工夫をこらしてゐるといふ話だ。
所作事の方でも、第一部の「連獅子」は常よりも舞台の奥の方で踊つてゐるのだといふし、第二部の「棒縛り」や第三部の「吉野山」もおそらくさうなのだらう。
またいづれも一時間程度の演目ばかりだ。

九月は第一部が「対面」、第二部が「かさね」、第三部が「引窓」で第四部が「鷺娘」と聞いてゐる。
「かさね」と「引窓」にはそれなりに近づく部分があるけどなあと思ひつつ、やはりそこにはなにかしら工夫をするのだらう。

あとは、どんな演目があるだらう。
所作事が増えるのかなあ。
いまぱつと思ひつくやうな芝居がない。
歌舞伎は、現代劇に比べたら人と人との間隔が広い方だと思ふ。
とくに歌舞伎座は横に広いし、「筆幸」なんか見ても、貧乏長屋だといふのに一間とはいへ十七畳くらゐあつて我が家より断然広いし、裏手が墓地だから訳あり物件なのか知らんと訝しく思ふくらゐだ。
でも男女の情・親子の情などを表現する場面ではやつぱり近づくしねえ。

あー、「関扉」なんかどうだらう。
三人しか出ないけれど、一人につき一人は後見が必要だし。
さういや以前中村歌右衛門の小野小町・墨染桜の精、初世松本白鸚の関兵衛実ハ大伴黒主、十七世中村勘三郎の宗貞といふのがあつて、後見はそれぞれの長男がついたといふ舞台もあつたと、これは勘九郎時代の十八世中村勘三郎の話で聞いた。
小町も関兵衛もいろいろすることがあつて後見も忙しいが、宗貞はこれといつてすることもない。
でも十七世はほかの二人が後見にあれこれさせてゐるので意味もなく十八世を呼び寄せた、とかいふ話だ。

いいんぢやないかな、「関扉」。
一時間を超えるけども。
中村勘九郎の関兵衛がまた見たいんだよね。
松本幸四郎の関兵衛もいいかもしれない。
小町・墨染桜の精は中村梅枝か。あるひは双蝶会で一度だけ見た中村児太郎か。
ただ、宗貞がゐないんだよなあ。
いま宗貞をやるとしたら誰だらう。
菊五郎劇団の若手にはいくらもゐさうだけれども、本役といふ感じぢやあないんだよなあ。

などと、New Normal にそぐはないやうなことばかり考へてしまふ。
もしかしたらもう歌舞伎は見に行けないかもしれない。
そんなことを思つたりもする。

Wednesday, 05 August 2020

占ひとは観察すること

総じて占ひには懐疑的だ。
あたつてゐないことが多いからだ。
たとへば血液型占ひがさうだ。
実のところを告げると「えーっ」と云はれることが多い。
自分でもさう思ふ。
思ふに、血液型と性格とはもしかしたら相関関係はあるのかもしれないけれど、因果関係はないのではなからうか。
つまり、A型だからどう、B型だからかう、といふのではなく、たまたまA型にはどうした性格の人が多く、B型にはかうした性格の人が多いといふだけなのではないか、といふ話だ。
薬指が人差し指より長い人が理系に多いさうだが、だからといつて理系の人が全員さうとは限らないし、薬指の方が人差し指より長くても理系でない人はゐるだらう。
それとおなじなんぢやないかなあ。
ちなみにやつがれは左右ともぱつと見て薬指の方が人差し指より長いが理系ではない。

星占ひ即ち西洋占星術にも当たつてゐると思ふ点がほとんどない。
呼吸器が弱いといふのが当たつてゐるくらゐだ。
でもそれつてたまたま、偶然だらうと思ふのだがどうだらうか。
性格的な点にまるで思ひあたる点がない。

誕生日といふことでいへば、おなじ日に生まれた有名人にエフゲニー・ムラヴィンスキーがゐる。
Wikipedia などを読むとまるで似たところがない。
生まれた年が違ふし、場所も違ふから当然?
さうしたら西洋占星術も成り立たないのでは?
ムラヴィンスキーといへば完璧主義者として有名だ。
ゲネプロが完璧だつたから本番をやらなかつたといふ逸話があるほどだ。
完璧主義者? やつがれが?
ご冗談でせう。

巷ですごく当たると云はれてゐた動物占ひもまるで当たるところがなかつた。
自分は緑のチーターなのださうで、超ポジティヴといはれたけれど、どこをどうしたらさうなるのかさつぱりわからない。
やつがれがポジティヴ?
ご冗談でせう。
もしかしてネガティヴなことをポジティヴを超えたといふことで超ポジティヴといふのだらうか。

タロットのパーソナルカードといふのもそのひとつだ。
これも動物占ひ同様誕生年月日を元に決まる。
やつがれの場合、12の吊るされた男なのださうである。
書いてあることを読むと、自己犠牲だとか他人のために尽くすだとか困難のときも楽しむことができるとか、およそやつがれの辞書にはないことばが書き連ねてある。

当たらない当たらない。
さう思つてゐたのだが。

なぜこの男が吊るされてゐるのか考へてみる。
古さうな絵だし、おそらく他人と意見が合はなかつたのだ。
他人といふよりは majority と意見が合はない。
それも多分に根本的なところから違つて、下手をすると世の中をひつくり返しかねない意見を持つてゐる。
だから吊るされてゐるのではあるまいか。
この男が全然苦しさうな顔をしてゐないのもうなづける。
この男は知つてゐるのだ。
自分の考へこそが正しいことを。
間違つてゐるのは majority の方だといふことを。
でも仕方がない、吊るされてやらうぢやないか。

さう考へると、なるほど、これは自分のカードだなと思へてくる。
そして、動物占ひや西洋占星術にもかうした見方をすれば当たつてゐる点も出てくるのぢやあるまいか。
そんな気もする。

で、さうなつてくるとはこれはもう占ひぢやないんだよね。
現状とつきあはせていくとかうですよね、といふ話だと思ふ。
それとも占ひとはさうしたものなのだらうか。
いはゆる「スビリチュアル」といふ面のない、観察力がものをいふことなのぢやあるまいか。

といふのが最近タロットの本などを読んでゐて思ふことなのだが、どうなのだらう。
易もまさにさうしたものだと思つてゐるが、易はこのあとまた読み返すつもりでゐる。

Tuesday, 04 August 2020

少しやる気が出てきた

やつと編み気が出てきた。
昨日も書いたやうに、中長編みの引き上げ編みといふのがいけなかつたやうだ。
長編みの引き上げ編み、それも表と裏と両方といふ模様になつてから、がんがん進むやうになつた。
現金なものだなあ。

ここのところなにも作つてゐなくて、もうこのままなにも作らなくなるのではないかと思つてゐた。
かう思ふことはたびたびある。
作る気が失せると、毎回だ。
これには波がある。
「もう何も作れん」と思つてゐても、しばらくするとまた作り始めたりするものだ。

ただ、「もう何も作れん」と思ふたびに、次の波は来ないだらうといふ気がする。
それだけのことなのだと思ふ。

だからいまタティングもなにもしてゐないけれども、そのうちまたするだらう。
いまは、外出先でタティング用具を取り出すのがちよつと不安だ。
そもそも外出自体をあまりしないといふこともあるけれども、これまでだつたら医者で順番を待つあひだにタティングすることもあつた。
それがいまはなんとなくできない。
ここで使つたら、しばらく、さう、プラスチックだから一週間は手にとつてはいけないのではないか。
さう思つてしまふ。

土曜日に図書館に行つた。
別の図書館にある本を取り寄せてくれるやう頼んでゐて、その本が届いたからだつた。
その帰りに、図書館のそばにある喫茶店に寄つた。
いつもなら、借りてきた本をそこで読むのだが、その日は本を取り出すことができなかつた。
図書館の本だ。
いつ誰が触れたかわからない。
少なくとも自分とある司書さんとは触れた。
別の図書館の本だから、そこの司書さんも触れたらう。
などと考へてゐると、なんかあつたときに喫茶店に申し訳ない気がして、借りてきた本を読むのはあきらめたのだつた。

これも New Normal といふアレなのだらう。
あみものやタティングレースにおける New Normal つて、なんなのかな。
ちよつと考へてしまふ。

Monday, 03 August 2020

夏のくつ下

リピートしたくなるかぎ針編みの定番小物[春・夏]』を買つてしまつた。
表紙のカンカン帽が気に入つたことと、掲載されてゐるカーディガンが編めるくらゐの糸が手元にあること、そしてくつ下が編みたかつたからだ。

くつ下は早速編み始めてみたのだが、苦戦してゐる。
土曜日に編み始めてまだ履き口を編んでゐる状態だ。
引き上げの中長編みといふのが始末に悪い。
中長編みはループを一度に3本引き抜かないといけないから苦手なんだよね。
2本づつ2回にわけた長編みの方がよほど編みやすい。
しかし引き上げ編みは好きなのだつた。

この調子だとこの夏はくつ下だけ編んで終はるな。
せつかく本を買つたのに。

Saturday, 01 August 2020

7月の読書メーター

7月の読書メーター
読んだ本の数:2
読んだページ数:566
ナイス数:35

哲学塾の風景 哲学書を読み解く (講談社学術文庫)哲学塾の風景 哲学書を読み解く (講談社学術文庫)感想
人の抱くような悩みはすでに過去の(偉)人が悩んでいる、と云われる。だが、ここに書いてあるような精読をしなけりゃならないとしたら、それでも過去の人の悩みを読むだろうか。読んだとして、参考になるんだろうか。哲学の本もそうで、読んで意味あるの? 多分ないんだろう。最初はむつかしくて挫折しそうになったが、途中から参加者の生徒さんたちのようすがおもしろくなってきて読み通すことができた。音読って大事なんだろうな。
読了日:07月09日 著者:中島義道
レトリックと人生レトリックと人生感想
時間はメタファーでしか語ることができないと云われている。最近は「時間というものはない」と云う説もあるし。未来は先、過去は後ろのことなのに、「二週間後」は未来で「先週」が過去なのは文化に根ざしたものだという。なるほど、異文化間コミュニケーションがむつかしいわけだ。終わりの方は欧米の哲学における客観主義への批判が熱い。これで索引がついていたら文句はないのだが、ついていたら分厚くなり過ぎてしまうのかな。
読了日:07月29日 著者:ジョージ・レイコフ,マーク・ジョンソン,渡部 昇一,楠瀬 淳三,下谷 和幸

読書メーター

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