いつでも眠いわけ
いつでも眠い。
とにかく眠い。
毎日眠い。
いまこれを打つてゐる最中も眠たくて仕方がない。
TwitterのTimeLineを眺めてゐたら、眠たいときといふのは脳が弛緩しきつてゐるときなのだといふ。
脳に危機感とか警戒心が欠けてゐるのだ、と。
よつて、脳が危機感を覚えるやうなことをするといいのだといふ。
なんだつけな、片足で立つて両腕をぐるぐる回すとかだつたかな。
覚えておけよ、といふ話だが、残念ながら忘れてしまつた。
Favもしたつもりなのだが、埋もれてしまつてとつさには見つからない。
この説明にはなるほどな、と思ふ点がある。
なにかあるとものすごく焦つてしまふからだ。
たとへば電話がかかつてきたときなどだ。
ものすごくあはててしまふ。
早く取らなければと思ふ。
取つたら取つたで、きちんと対応しなければとあたふたする。
もちろん電話なんて大つ嫌ひだ。
これをして、傍若無人といふ見方もあると思ふ。
起きてゐて、人間に暮らしてゐて、それでも傍に人無きが如し。
さういふ状態なのだ。
脳が寝てゐる。
さういふこともできやう。
つねに瞑想状態にある、といつたら云ひ過ぎかな。
でも擬似的な瞑想状態なのではあるまいか。
周囲のこと、眼に映るもの、耳から入つてくる音、にほひ、触れるもの、さうしたことがあるのはわかつてゐるけれど、脳までとどいてゐないのだ。
だから、いきなり脳に達するやうなことになると慌ててしまふのぢやないかなあ。
もうひとつ、いつでも眠たいのはひとりでゐることが好きだからなんぢやないかな、とも思ふ。
眠ることはひとりですることだ。
ふたり以上ですることではないし、できない。
眠るときは誰でもいつでもひとりなのだ。
だからいつでも眠たいのだらう。
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