なにを書いてゐるのだらう
七月中はほとんど出かけてゐない。
医者に行く必要があつたので予定表で管理してはゐたけれど、予定といつてもそれくらゐだつた。
なのになぜ Bullet Journal として使つてゐる Rollbahn ページが進んでゐるのだらう。
毎日1ページは使用してゐる計算だ。
LサイズだからB6くらゐの大きさだけれども、日々おなじやうなことしかしてゐないのに、なにを書いてゐるんだらうね。
予定がないし、平日は毎日おなじやうなことしかしてゐないから、予定を書くといふことはほとんどない。
ほとんどは「こんなことをした」「こんな本を読んだ」「こんな動画を見た」「こんなことを思つた」といふことばかりだ。
スケジュール帳といふよりは日記に近い。
無気力な人はかうして日記をつけるといいのださうな。
無気力でなにもしてゐないはずなのに、気がつくといろんなことをしたりいろんなことを考へたりしてゐる。
日記を見返すとそれに気づく。
さういや、鬱の人は生きてゐるうちにしたいことや見たり聞いたりしたりすると気分がもりあがることを書き出しておくといいといふ話を聞いたことがある。
鬱のそれほどひどくないときに書いておくといいのださうだ。
鬱になつてしまふと、これをしなきや死ねないこととか気分のもりあがるやうなことなど考へてゐる余裕はないからだといふ。
気分がもりあがるやうなことはこれといつて思ひつかないが、なんとなくこれだけはやつてみたいといふことは Bullet Journal に書きつけてゐる。
金澤に行くとか国立劇場のライブラリで見たい芝居とか編みたいものなどが書いてある。
落ち込んでゐるときにさうしたものを見返して「生きやう」といふ気になるか、といふと、必ずしもさうでもない。
どうしてもしたいといふものではないのだらう。
でも書いてはゐる。
あと、気になることね。
「非認知能力」「保有効果」「Edith Bone」「Quentin Crisp」などといふ単語や人名だけが並んでゐる。
書いておかないと忘れるからね。
「Edith Bone」なんて本を読んだときは強烈に覚えてゐたのに、名前をすつかり忘れてゐた。
さまざまな逸話は覚えてゐたのだけれども、そこからはWeb検索できなかつた。
本を読みなほして、はじめて思ひ出した体たらくだ。
やりたいことや気になることは、手帳の一番最初にページをさいてあつて、七月分に入ることはない。
それに、どちらもそれほど数はなく、いまのところ1ページにおさまつてゐる。
なのになんでこんなに Daily Logs が増えてるかな。
ひとつには、忘れることがおそろしいんだらうな。
生きれば生きるほど、記憶力が衰へていく。
衰へるのか、単に覚えることが多くて先に覚えたことをどんどん忘れないと新しいものが入らないのか、それはわからないし、両方なのかもしれない。
かういふ忘れることを恐れる人間の方が年をとつたらボケる。
そんな気がする。
それに、やつがれはひどくかたくなで、最近ではあまり聞かなくなつたことばだが、頑固でもある。
頑迷な人間はボケやすいらしいよね。
毎日書きたいと思つたことを書いてゐれば、のちに昔を思い出す一助になつたりはしないだらうか。
するといいのだが。
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