うつくしいものが作れたら
人が作つたうつくしいものを見ると、いいなあと思ふ。
自分も作りたいなあ、とか。
タティングレースとかマイクロ・マクラメとか、Webなどで見ては「きれいだなあ」と眺めてゐる。
自分でも作ればいいぢやないか、と思ふのだが、そこが思ふにまかせない。
暑さといふよりは湿気に負けてしまつてゐる。
そもそも自分にきれいなものうつくしいものなんて作れないぢやあないか。
などと云ひ訳して一日が終はる。
きれいでなくてもいいから作ればいいのに。
作つていくうちにきれいなものが作れるやうになるかもしれないぢやあないか。
作らなければなんとでもいへる。
さうも思ふんだがねえ。
数をこなさけなればな、とは思ふ。
それはわかつてゐるつもりだ。
数をこなしたからまがりなりにもくつ下が編めるやうになつたのだ。
一時期、それこそ『二都物語』に出てくるマダム・ドファルジュのやうにひたすら編んでゐて、それで一応履けるくつ下が編めるやうになつた。
さう思つてゐる。
タティングレースもまた、数をこなしてゐるうちに少しはきれいなものが作れるやうになるんぢやあるまいか。
さう思ふんだけどなあ。
でも実際に作るとなると、好きなのはあまりピコのない、あつたとしてもつなぐためだけのピコばかりだつたりする作品なんだよね。
それでもいいのかもしれないけれど。
いづれにしても、外出もままならぬいま、タティングレースなりあみものなり、さうした趣味はいいと思ふんだけれども、あなたどう思ひますか。
« 生き延びるためのあみもの | Main | 気のゆるみ »
Comments