無気力プラスアルファ
あひかはらずやる気がない。
やる気がない上に職場で不快なことがあつた。
ますますやる気が失せる。
そして、このやる気が失せるのと無気力でゐるのとはちよつと違ふ気がする。
なにが違ふのか。
よくわからない。
職場で不快なことがあつてやる気が失せるのには理由がある。
職場で不快なことがあつた、といふことだ。
無気力なことには理由がない。
探せばあるのかもしれない。
たとへば食べてるものが悪いとか。
寝不足がつづいてゐるとか。
単にバイオリズムの関係だとか。
しかし、おそらく無気力になる理由は複合的なものなのだと思ふ。
職場で不快なことがあると、なにかしら見返りのやうなものを求めてしまふ。
躰には絶対悪いとわかつてゐるのにジャンクフードの類を食べてしまふ、とか。
以前であればとにかく毛糸を買ふ、とか。
家に一生かかつても編みきれないほどの毛糸を持つてゐるといふのに。
そして、買つたところで即編みはじめるわけでもないのに。
でもいまは毛糸を買ひに行くことができない。
緊急事態宣言の解除された今でも不要不急の外出は避けてゐるからだ。
ただ出かけたくないだけといふこともあるけれども。
また、職場で不快なことがあると、普段することにしてゐることができなくなる。
できなくなるといふか、「しなくてもいいかな、イヤなことがあつたんだし」と思つてしまひ、そしてやらなかつたりする。
いまだつたらふくらはぎの運動とか、『論語』の素読とか。
ふくらはぎの運動は動脈硬化をふせぐといふのでやつてゐる。
足に下りた血液をふくらはぎが上に戻すのだといふ。
さうやつて血流をよくすると、動脈硬化をふせげるといふのだ。
さういふこともあるだらうなと思つてやつてゐる。
わらにもすがる思ひとはかういふことをいふのかもしれない。
でも、好きでやつてゐるわけではない。仕方なくやつてゐる。
だから、イヤなことがあるとやりたくなくなるのだ。
それでやらないこともある。
だが、さうするとなんだか負けた気がする。
そして、なにごとも勝ち負けで考へてしまふ自分がさらにイヤになる。
そんなわけで、今日はやつた。
『論語』の素読は好きでやつてゐる。
好きでやつてゐるが、半ば義務のやうな感じになつてゐる。
やらないと忘れてしまふからだ。
はじめたが最後、日々やらないと忘れてしまふ。
はじめたのが失敗だつたのかもしれない。
ときをりさうも思ふ。
好きではじめたことではあるけれど、いはゆる勉強の一種なんだよな。
さうすると、どうしてもやりたくないときもあるのだつた。
好きでやるんだから、やりたくなければやらなくてもいい。
さういふ理屈もある。
いづれにしても、無気力に加へてのやる気のなさがつらいなあ。
まあ、無気力ぢやないときにきてもつらいけどもさ。
所詮自分は無気力だのやる気のなさだのに流されてしまふ、その程度の人間なんだな。
さう思ふのもつらいな。
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