失敗と時間
タティングレースでモチーフを作りはじめて、しばらくいつたところで致命的な間違ひに気がついた。
戻つてやりなほす気にならず、そのまま作るのをやめてしまつた。
どうといふことはない。
そのはずなのだが気にかかる。
世の中のタティングをする人、もつと広く手芸をする人は、ものをとても大切にするからだ。
もの全般にしてもさうだし、手芸道具や材料にしてもさう。
あみものをする人は切り捨てた端糸に至るまで保存しておき、なにかの時に使ふといふ。
なにに使ふんだらう。
あみぐるみでも作つてゐれば、綿として中につめるんだらう。
針刺しを作つたときにも入れられるか。
すこし長い糸なら刺繍に使つたり、編み込みに使つたりできる。
だが端糸。
とつておいて、なにに使つてゐるんだらう。
タティングする人は、間違へに気がついたらひたすらほどいて修正するといふ。
最近は、だいぶほどけるやうになつてきたのでほどくこともある。
でも、ほどく時間がもつたいないと思つたら切つてしまふな。
時間は大切だ。
お金で買へることもあるけれど、多くの場合は買へない。
買へる時間は精々のところ、歩いたら一時間半かかるところをバス代を出してバスに乗つていくだとか、鈍行で行つたら一日かかるところを特急料金を出して新幹線で三時間で行くだとか、そのていどの話だ。
時間は、いままさに必要だ、といふときに買へるものではない。
そして、貯めてとつておくこともできない。
とても貴重なものなのだ。
それを、どれだけかかるかわからない糸をほどくことに費やすなど、もつたいなくて到底できない。
価値観の違ひとは、かうしたものか。
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