無気力との戦ひは続く
あひかはらずやる気はない。
そんな状態で、それでも今日は commonplace book の充実に取り組んでみた。
Commonplace book は、辞書などには「備忘録」と訳されてゐる。
やつがれは、「おことば帳」と呼んでゐる。
読んだり聞いたりして気になつたことばを書き留めておく、そんな手帳だ。
以前は気になつたら即書き写してゐたのだが、最近は本については読んでから一週間はおいてから書き写すやうにしてゐる。
さうした方がいいといふ意見を見かけたからだ。
だが、自分にはあまり向いてゐないやうにも思ふ。
気になつたら即書き写してゐたときの方が、しよつ中書き留めてゐたからだ。
一週間たつてからと考えへてゐると、いつの間にか一ヶ月くらゐあつといふ間にすぎてゐて、自分はなぜこのことばを書き留めやうとしたのだらうかと考へてゐるうちにまたいつの間にか季節が変はつてゐたりするからだ。
書き写す時間をちやんと取らないのもいけないのかもしれない。
本を読んだら一週間後に「おことば帳に書き留めること」といふ予定を入れないのがいけない。
さうも思ふ。
いづれにせよ、即書き写してゐたときと考へ方を変へる必要があることに疑ひはない。
変へられてはゐないけれどもね。
ちやうど一週間前、アーシュラ・K・ル=グウィンの『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』を読み終へた。
手帳を見てそのことに気づいたので、だつたらせつかくだし、書き抜きをしてみるか、と思つたのである。
それでほんたうに無気力なの?
さう問ふ人もあらう。
無気力なのである。
その証拠に、本を読み返してゐても書き写してゐてもなぜかつらい。
本来は楽しいことなのだ。
さうでなかつたら「おことば帳」なんぞ作りはしないのである。
「おことば帳」は書いて楽しく読み返して楽しい、2度おいしい手帳だ。
普段あまり出番のない万年筆を出してきて、一文字一文字書き写す。
手帳もちよつといいものを使ふ。
いま使つてゐるのは美篶堂のハードカヴァノートで、紙は無地のバンク・ペーパーだ。
バンク・ペーパーは普段はないラインナップなのだが、たまたまその時はあつて頼んだ。
頼んだはいいものの、なんだかもつたいなくて使へない。
自分の文章を書きこまうとするからいけないのだ。
人のことばを書けばいい。
さう思つて、「おことば帳」にすることにしたのだつた。
これは大正解だつたと思つてゐる。
普段あまり出番のない万年筆といふのは、ちよつと太字のものが多い。
Bullet Journal だと5mm方眼にあはせて書かうとしてしまふので(そんなことをする必要はないのだが)、どうしても細字か極細を使ひがちなのだつた。
それで、無地なのをいいことに「おことば帳」には中字や太字のペンを使ふことが多い。
気に入つたことばを書き写すことも楽しいといふのに、さらにペンで書いた線にインキの濃淡が生まれたりして、どうしやうと思ふくらゐ楽しい。
また、読み返すうちに忘れてゐたことばを思ひ出すこともある。
「こんな本、読んでたなあ」と思ふこともある。
すつかり忘れてゐることもあつて、しみじみ思ひ返したりもする。
そんな楽しかるべき「おことば帳」を書いてゐてもなんだか心が晴れないとは。
むう。
そして、こんな時間が取れるのも、通勤に時間を割く必要がないからだ、といふことに思ひ至ると、いつまでこんなことをしてゐられるのだらう、と、また憂ひに沈んでしまふ。
どうにもならない。
「おことば帳」にあれこれ書き留めて、なにかの役に立つてゐるのか、といふと、なにも役に立つてゐないと思ふ。
まだ日々やつてゐる『論語』の素読の方が役に立つてゐるんぢやないかな。よくわからないけれど。
さう考へると、また無気力との戦ひがはじまつてしまふので、できるだけそこにはふれたくない。
「なんの役にも立たないことをするなんて」と無気力がかさにかかつてくるからだ。
いつになつたらこの無気力状態から脱出できるのかな。
脱出したところで、役に立つことなどなにもしないことに変はりはないけれどもね。
でも、なにかと戦はなくていいのはとても楽なことだ。
戦ひたくないんだよね。
疲れるだけだし。
ちなみに最近耳にしてはつとしたのは、
Happiness brings IT to humanity.といふオードリー・タンのことばだ。
Rebuildといふポッドキャストを聞いてゐて出会つた。
ちよつとおもしろいと思つたので、よかつたら是非聞いてもらひたい。
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