考へ方がわからない
メモはまあそれなりに取る方ではある。
ちよつと思ひついたことなど、あとで見返したらおもしろいかなと思つて書き留めておくこともある。
あとで見返すと確かにおもしろい。
だが、それがなにかに形をかへるといふことがまづない。
なぜだらうと考へて、「考へ方がわからないからではないか」といふところにたどりついた。
どう考へたらいいかわからないから、素材があつてもなにも思ひつかないのではないか。
では考へ方とはどういふものだらう。
…………わからないな。
たとへば、論文を書くとしやう。
論文を書くには主題がある。
かういふ問題を解き明かしたい、そのための問ひもあるだらう。
さうした目的をもつて資料にあたれば、主題といはうか問題といはうかに即した情報が自然と目に留まるだらうし、集まつてもこやう。
それなら、もしかしたら自分にもメモなどを生かすこともできるかもしれない。
だが、普段なにか思ひつくときなどに、なにか主題といひ問題といふ、さうしたものを抱いてゐるだらうか。
ゐない。
すくなくともやつがれは抱いてゐない。
四月はずつと在宅勤務だつた。
月末も近づいたころ、「一ヶ月かけてメンテナンスをしてゐる気分」と書いてゐる。
その前、一月から三月までが忙しすぎてめちやくちやだつた日々の暮らしをたてなほしつつある。
早く寝て早く起きる、睡眠時間はきちんと取る、食事も自分で作つたものを食べる。
さうして、日毎に普通の暮らしに戻つていく。
さういふ実感があつた。
だが、そこからなにか発展するかといふと、いまのところない。
「一ヶ月かけてメンテナンスをし」たのだから、それを今後もつづけていつた方がいいとわかつてはゐる。
けれども、出勤するやうになつたり、片道二時間半はかかる客先に出かけるやうになつたりすると、まためちやくちやな生活が戻つてくる。戻つてきつつある。
いかんなあ、と思へるのは、メモがあるからだ。
なんとかしないと、と思へるのもさう。
もちろん、メモがなくても「いかんなあ」とは思ふだらうし、「なんとかしないと」とも思ふかもしれない。
その一方で、なにもなかつたら「仕方ないよ、仕事があるんだし」で流してしまふかもしれない。
まあ、メモがあつても実際いま「仕方ないよ」と思つてゐるわけだが。
メモをとつてゐるのだから、解決策もなにかありさうなものだが、ない。
即解決につながるやうなことが書いてあるとはかぎらない。
丹念に見返していくうちに、打開策のきつかけになるやうなメモが見つかることはあるだらうが、それがなかなか見つからない。
おそらく、考へ方がわからないからだ。
では、その考へ方をどう身につけたらいいのか。
……いまさらだらうか。
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