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Thursday, 21 May 2020

その後の反訳トレーニング

先月からまた「高校生からはじめる「現代英語」」を聞きはじめた。
なんとなく、以前より反訳トレーニングができるやうになつた気がする
なんでだらう。

思ひつく可能性は三つ。
以前よりテキストがかんたんになつた。
その他のラジオ講座で反訳トレーニングをしてゐたのがよかつた。
ひとつの教材(といふか)をひたすらくりかへし見聞きしてゐたのがよかつた。
あ、その他といふ可能性とか全部とかいふ可能性もあるか。

「高校生からはじめる「現代英語」」は、三年前に放送を開始したときに聞いてゐた。
「反訳トレーニング」といふ勉強の仕方もこのときするやうになつた。
教材であるニュースを日本語に訳した文章を英語に戻すといふトレーニング方法だ。
これをずつとやつてゐたんだけど、なんだか全然力がついた気はしないし、反訳トレーニング自体ができるやうになつたといふ気もしなかつた。

そんなわけで聞くのをやめた。
「高校生からはじめる「現代英語」」は聞いてはゐなかつたけれど、その他のラジオ講座では反訳トレーニングを試してみてはゐた。
復習としていいんだよね、反訳トレーニング。

なのに、なぜ「高校生からはじめる「現代英語」」をふたたび聞くやうになつて、以前より反訳トレーニングができるやうになつた気がするのだらうか。
三年前よりテキストがかんたんになつたのだらうか。
それはありうる気がする。
比較する三年前のテキストがないから確認はできないけれど。

それとも、他の講座でではあるけれども徒労だと思ひつつも反訳トレーニングをつづけてゐたのがよかつたのだらうか。
他の講座でも反訳トレーニングができるやうになつた気はそれほどしてゐない。
他の講座は、会話体の教材が多く、ひとつの日本語にふさはしい英語の表現がたくさんある。
ゆゑに、お手本とは違ふことをいつてしまふことが多々あるのだつた。
お手本とは違つてゐても表現としてあつてゐればいいんだけどね。でもそれつて自分では判断できないこともあるぢやん。

或は、一昨年から映画館でひたすら「ボヘミアン・ラプソディ」を見てゐたのが功を奏したか。
ひとつの教材を何度もくりかへして使用することは、外国語習得の上でいいことだといふ。
さういふなら、モンティ・パイソンとか何度も何度も見てるんだけどなあ。
家でぼんやり見てゐるのがいけないのかもしれない。
映画館で見るのがよかつたのかも。

そんなわけで、なぜできるやうになつた気がするのかはよくわからない。
反訳トレーニングはできるやうになつたけど、英語ができるやうになつた気は全然しないし。
考へてみたら、どういふ状態をもつて「英語ができる」とするか、といふ問題もあるしな。

しかし、「反訳トレーニング、前よりできるやうになつたかも!」といふのは自分にはめづらしくちよつとポジティヴな感覚なので、大事にしつつ聞き続けていきたい。

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