フランケンシュタイン博士とわたくし
この連休中は、あちらこちらで見るものがたくさんあつてうれしい悲鳴をあげてゐた。
実際には連休前からか。
落語やオペラ、歌舞伎にミュージカル等々、動画配信がたくさんあつた。
全部を追ひかけることはできないながら、あれこれ見てみた。
今日は、英国は National Theatre の「フランケンシュタイン」を見た。
ミラー怪物版の方だ。
カンバーバッチ怪物版は、一昨々日、友人と示し合はせて見てゐた。
二度目のためか、前回よりもわかりやすかつたやうに思ふ。
みんな(主に博士)あんまり怒鳴らないからかな。
前回はところどころ話しながら見てゐたこともあつて、「ここでインゴルシュタットの話をしてゐたのか」とか「原罪について語つてゐたのか」とかいまさら気がついたこともあつた。
自分の中では「フランケンシュタイン」は、第三者が姉(確か)にあてて「こんな話を聞いたんですよ」といふやうな内容の手紙に書かれた物語だ。
メタなのだ。
でも今回見た「フランケンシュタイン」にはさうしたところがない。
もしかすると見た観客は「こんな芝居を見たんだよ」とよそで話をすることを求められてゐるのかもしれない。
そんなわけで、ちよつと書いてみた。
ところで、ミラー版を見ながらこんなものを作つてゐた。
連休中、片づけをしてゐる最中に藤戸禎子の本を発掘した、そこに掲載されてゐるショールのモチーフの一部だ。
ショールを作る気力はないので、ひとまづモチーフを作つてみやうと思つてゐる。
レース糸も、片づけの最中に発掘したDMCのコルドネ・スペシャル40番だ。
ものすごく久しぶりに使ふ糸だ。
やつぱり使ひやすいよね。
下手な人間はいい糸を使ふに限る。
フランケンシュタイン博士は神の領域に近づかんとして(といつていいのかな)、怪物を生み出すわけだが。
不器用な自分がかうしてレース作品などに挑むのはある意味神の領域に近づかんとする、神の領域を侵さうといふ行為に近い気がする。
分不相応なことをしてゐる感じがね。
とりあへずこのモチーフは仕上げるつもり。
連休中にできるかどうかはチトわからないが。
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