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Friday, 22 May 2020

新たな「かくありたい」モデル

TVもほとんど見ないし本もあまり読まない。
ゆゑによくわからないのだが、マルクス・ガブリエルつて、なんとなくこどもの希望になつたりしないかな、と思つたりしてゐる。
「哲学なんか勉強して、将来なにになるつもり?」と訊かれたときのカウンタになりうるからだ。

誰でもあんなふうになれるわけぢやない?
それはほかの職業でもさうなのではないだらうか。
プロ野球選手になりたいといふこどもに「誰もが大谷翔平になれるわけではない」などといふだらうか?
……ゐるかもしれないな、と思つてしまつたが、すくなくとも自分の周りではそんなことを云ふ人はゐなかつた。

いやいや、プロ野球の選手になりたいなどといふのは幼い子供のいふことだ、だから現実を教へるやうなことを云はないのだ。
哲学を勉強したいなどといふのはある程度大きくなつてからのことだらう、だから現実を教へる必要があるのだ。
さういふ反論もあらうかと思ふ。
でもまあ、「かうありたい」といふ姿があるのは強いと思ふんだよね。

哲学を勉強してみやうと思ふのは、大学に入るときだらう。
勉強したい子はもつと前からしてゐるかもしれないが、周囲に知れるのは大学の入試試験を受けるタイミング、または大学に入つて専攻を決めるタイミングなのではないかと思ふ。
そのときに具体的なモデルがゐるといふのは意味のあることだ。

いまは文系への風当たりは強いし、就職にあまり関係あるとは思はれてゐない哲学などはとくに不利な学問なのかもしれない。
それでもやりたい、だつてやつてる人がゐるぢやん、と思へるといふのはいいことだと思ふんだなあ。

甘い?
さうかもしれない。

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