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Friday, 15 May 2020

文書の「粒度」つて何よ

職場で文書を作るときなどに、「どの粒度で書くことにしませうか」などと発言する社員がゐる。
その瞬間、わづかにイラつとする。
「粒度」つてなんだよ。
そんなことば、普段遣はないだらう?
もつとこなれた表現を遣へないの?

「粒度」といふのは、本来は細かい物体に用ゐる用語だ。
文書の章立てのやうな大きいものに用ゐるのはどうなんだらう。
家庭で遣ふとしたらなんだらうか。
小麦粉とか? 塩・砂糖もありうるか。遣はないけど。
砥石にも用ゐるといふが、そんなにしよつ中遣ふものでもないしなあ。

職場では見かけるやうになつてしばらく経つ。
なんらかの英語を訳したものなのだらうか? こなれてゐないことこの上ない。
ほかにも「脆弱性」とかモデリングの際の「推敲」とか、「なんとかならなかつたのか」と思ふことばはたくさんある。
その一方で、「ファシリテーション」のやうに、もつとこなれた日本語に訳せればさらに広まるだらうにと残念でならないことばもある。
「ふり返り」には違和感を覚えない。ほぼ唯一の例だと思ふ。

大村はまのことを知つたのは、『ことばの教育を問いなおす』といふ本を読んだときのことだ。
この本については、Twitterで知つた。英語や国語の大学入試に関するつぶやきで紹介されてゐた。
本を読んで、Wikipedia で大村はまについて読んで、そのていどのことしか知らない。

著者のひとりである苅谷夏子は大村はまの教へ子だ。
大村はまの教育は、まづやさしいことば・表現を自分のものにすること、だつたといふ。
大村はま自身も生徒と話すときは「程度の高いことを、こなれたやさしいことばで語」つたといふ。
生徒がこむつかしい表現を遣ふと口には出さずにそれでいいのかと伝へるやうなこともしたとある。
Wikipedia には、ほかの生徒たちの前で作文の表現をあれこれ指摘されて反発を覚えた生徒の話が掲載されてゐる。

もし自分が大村はまの生徒だつたら、やつぱり反発してゐたらうなあ。
むつかしい言葉を遣つてなにが悪い。
人はさうやつて語彙をやしなひ、表現の幅を広げていくものぢやないのか。
教え子の中にはさういふ反抗心を抱いた人もゐたのではないかといふ気がする。

だといふのに、「粒度」といふことばを耳にしたときの自分の反応は、生徒がよく理解してゐないおとなびた表現をふりまはしたときの大村はまの反応と、似てはゐないか。

『ことばの教育を問いなおす』の中で、苅谷夏子は抽象度の高い表現を多用することに異を唱へる。
それに応へて鳥飼玖美子は、抽象語である漢語は明治期に生まれたもので、海外の書物・考へ方を広く知らしめたいと思つた人々が熟慮を重ねて生み出したものだと説く。
「広く知らしめたい」その範囲は漢籍を読みこなすことのできる、限られた層であつたらう。
しかし、「これなら理解できるだらうか」「かうしたらどうだらう」といふ工夫は感じられる。

ひるがへつて、「粒度」はどうか。「脆弱性」は。
なんの工夫のあとも見られないことばではないだらうか。
辞書の最初に載つてゐる語義をそのまま持つてきた。そんな横着な表現ではあるまいか。
「ファシリテーション」は、大勢で集まつてひとつのことを成し遂げる必要がある場合、すなはち多くの場合は会社で仕事をするやうなときに非常に役に立つことだと思つてゐる。
小学校の学級会の場で教へたらどんなにいいかと思ふ。
だが、「ファシリテーション」といふなにを云ひたいのかいまひとつわからないことばが、それを妨げてゐる。

「粒度」や「脆弱性」はいまさら新しいことばに置き換へやうとしてもムダな気がするが、「ファシリテーション」はまだなんとかなるのではないか。
英単語をカタカナにしただけのことばだから、ふさはしい日本語に置き換へることができればそちらの方が広まる気がする。
いいものだから広まるといふわけではない。
古い例だが、ヴィデオテープの規格を考へてもらへばわかるだらう。

だつたら英語教育をもつと充実させて、原書・原文を容易に理解できるやうにすればいいのぢやあるまいか。
さういふ手もある。
どれだけ時間をかけたら実現するのか、見当もつかないけれどもね。
そして、実現できたとしても、やはり「わかりやすいことば」「普段遣ひの表現」を用ゐることをよしとする、といふ点に変はりはない。

その一方で、山本夏彦の「人は飾つてものを書く」といふ旨の発言には深くうなづかざるを得ないのだが。

でもやつぱり文書の章立てに「粒度」といふことばを遣ふのはなんか違ふと思ふよ。

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