目標設定の問題
「論語」の素読をしてゐる。
この話はここにも何度か書いた。
今年の二月からはじめて、しかし、記録を見ると二回しかしてゐない。
三月は三回。
今月に入つてからは毎日してゐる。
とはいつてもまだ三日目だけど。
これには理由がある。
ひとつは、今月に入つてから在宅勤務をしてゐることだ。
通勤にかかる時間が浮いて、仕事をはじめる前の気分転換といはうか、落ち着くためといはうか、とにかく「論語」を声に出して読んでみた。
いい感じ……とはいかないのは、ちやんと読めないものが多いからだ。
まだ「学而篇」をうろうろしてゐる。
さすがに最初のいくつかは白文を見ただけで声に出して読めるけど、真ん中くらゐからアヤシくなり、最後の方はまるでいけない。
意外と子貢に「一を聞いて二を知るもの(意訳)」といふくだりが読めるのは、たぶん、教科書かなにかに載つてゐたんだらう。
そこで思つた。
さうだ。
まづは「学而篇」をちやんと読めるやうにならう。
なにも考へずとも読める、それこそ「素読できる」やうにならう。
さう思つたら、なんだか毎日(といつてもまだ三日めだけど)読めるやうになつた。
目標設定の問題だつたのかもしれない。
「論語」は、そんなに長い書物ではないし、ひとつひとつの話(といふか)も短い。
でも、声に出して読まうと思ふと長大だ。
それを小分けにして読む。
さうすれば、何度もくり返してゐれば、いづれは読めるやうになる。
だつて、最初の方はまがりなりにも読めるやうになつたんだもの。
そのつづきだつて、しつこくやつてゐればいづれは読めるやうになるんぢやあるまいか。
なんで「論語」の素読などにこだはつてゐるのか我ながらわからない。
ほんたうは幼いころからやつてゐないとダメなんぢやあるまいか。
さう思ひながら、いまからやつても遅いと思ひつつ、やらないよりましだらうといふことで、遅まきながらやつてゐる。
いつになつたら「学而篇」から先に進めるのかまつたくわからないけれど。
« 行きたいところに行けるのはいつ | Main | 負の連鎖 »
Comments