トラッカーの埋まること
四月になつて八日目、Bullet Journal でつけてゐるトラッカーが毎日埋まつてゐる。
いままでにないことだ。
大抵はひとつかふたつできないことやしないことはあるし、まれに全部できる日があつてもそれほど続かない。
それができてゐる。
我ながら不思議である。
なぜできてゐるのかといつて、自主的に自己隔離してゐるから、といふのが大きい。
毎日家にゐる。
出かける必要はない。
せいぜい食べるものがなくなつたとか洗剤やトイレットペーパー(は、まだなかなか手に入れられないが)がなくなつたとかさういふ理由で買物に出かけ、ゴミを捨てに行くといふので外に出るくらゐだ。
このままでは歩けなくなるのではないかといふ不安はあるが、それはまた別の話。
仕事はもちろん、芝居や映画にも行かなくなつた。否、芝居や映画には「行けなくなつた」が正しからう。どこもかしこも休演・延期・休業ばかりだ。
さうすると家にゐるしかない。
そして、家にゐるとすることが限られてくる。
そんなわけで、トラッカーに書いてあることをするやうになる。
さういふ寸法なのだと思つてゐる。
これまでトラッカーに印をつけられなかつたのは、単に時間がなかつただけなのだ。
やればできる。
少なくとも一週間くらゐは。
いつまで続けることができるだらう。
たまにはちよつと休んでみてもいいのかもしれない。
たぶん、大半のことは習慣になつてゐるからだ。
そろそろ毎日「歩く」といふのをトラッカーに追加するころなのかもしれない。
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