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Thursday, 30 April 2020

垂直になるペン

筆記用具に万年筆を使ふやうになつてずいぶんたつ。
なにかを書くときに使ふのはほぼ万年筆だ。
ほかに傍線を引くとき用の赤青色鉛筆、クロッキー帳にあれこれ書くときは鉛筆、書き味が好きなのでぺんてるのプラマン、あれこれ迷ひながら書くときはシャープペンシルといつたところだ。
すくなくとも、二年ほど前まではそんな感じだつた。

二年くらゐ前から、少しづつ違ふペンも使ふやうになつてきた。
たとへば三菱鉛筆のSTYLE*FITだ。
にぢまないときいて使ふやうになつた。
字を書くときは0.38mm、ちよつとはつきり書きたいとき用に0.5mmを使つてゐる。
他社製品に比べて色数が少ないのが難だが、ほんとににぢみにくいのでいい。
Moleskine を使つてゐるときは、にぢみにくさは勝利だからね。

しかしSTYLE*FITはたまに使ふだけだ。
なぜかといふと、書いてゐて、だんだんペンが紙に対して直角になつていくからだ。
下手すると手とは反対の方向に倒れていく。
書きづらい。

一説に、ペンが紙と垂直になる人は筆圧が高いのだとか。
残念ながらやつがれにはそれはあたらない。
こどものころから筆圧は低かつた。
きちんと鉛筆を持ててゐないこともあつたのかもしれない。
でも、おそらく筆圧が低いから万年筆に向いてゐるのだらうし、万年筆を使ふやうになつてより筆圧が低くなつたといふこともあらうかと思ふ。

そんなわけで、鉛筆にしてもボールペンにしても、使つてゐるうちにペンが立つてしまふ。
書きづらいことこのうへない。

それが、万年筆では起こらない。
大抵の万年筆はあるていど寝かせて使はないとうまく書けない。
ペン先がさういふ仕組みになつてゐるからだ。

万年筆で書けるのにほかのペンでなぜさうできないのか不思議でならない。
気をつけて書けば垂直になつたりしないのかな。
気をつけなければいけない時点でもうダメな気もするのだが。

Wednesday, 29 April 2020

一冊になんでもまとめられないが

Bullet Journal をはじめたのは四年前だつた。
それまでは、スケジュール帳はスケジュール帳、メモはメモで手帳を分けてゐた。
分けてゐたといふよりは、さうならざるを得なかつたといふべきだらう。
メモをすべて書き込めるやうなスケジュール帳が存在しなかつたからだ。
システム手帳にして、スケジュール用とメモ用とそれぞれリフィルを用意し、書き終はつたら片端から別のバインダにファイルして新たなリフィルを用意するといふ手もあつた。
だが、当時はシステム手帳は候補に入つてゐなかつた。
トラベルノートを二冊持ち歩けるやうにするといふ手もあつたが、リフィルがちよつと高価だなあといふ気もしてゐた。

その後、Bullet Journal に出会つて現在に至るわけだが、やはり以前メモ用に使つてゐた手帳は別に持ち歩いてゐる。
メモ用といふよりは、長文用といふべきかもしれない。
Bullet Journal は rapid logging を標榜してゐる。
そして rapid logging には箇条書きが一番だ。

箇条書きは、rapid logging 以外のところでも有用だ。
たとへば、見聞きしたことをまとめるときだ。
自分のことばで短くわかりやすいことばで書くのは、理解と記憶の助けになる。
また、短く見やすく書いてあれば、あとから見返しやすい。

さはさりながら、自分にはどうも長くだらだらと書く方が性に合つてゐる。
アイディアにしてもさうだ。
ひとことだけ書いておくよりは、そこに至つた経路、そこから派生することなどを書いておいた方が、あとからわかりやすい。

あとは、brain dump をする場合でも、箇条書きよりはだらだらと書いた方がすつきりした気分になる。
箇条書きで書く手もあるとはわかつてゐてなほ、つらつら書いてしまふ。

Bullet Journal の公式サイトなどでは、長い文章を Daily Logs の中に入れる方法も紹介されてゐる。
自分がそれをやつてしまふと、あつといふ間に手帳のページが尽きてしまふ。
別に手帳を用意した方がよささうだ。
問題は、常に二冊手帳を持ち歩くことになるし、場合によつてはどちらか片方しか持ち歩かないことになるといふことか。
実際、去年の夏にロンドンに行つたときには Bullet Journal として使つてゐた手帳しか持つていかなかつた。

Bullet Journal のいいところは一冊でなんでもまかなへるところだと思つてゐる。
でもまあ、この場合、仕方ないかな。
別の手帳は現在 Smythson の Panama だ。
方眼罫ではないので、Bullet Journal はあまり向かない。
さうした手帳を使ふ機会にもなるのでやめられないといふ話もあるな。

Panama になにか書き込んだら、その日の Daily Log にその旨を記録してゐる。
あとから見たときに、どこに何を書いたかわかるやうにだ。

ある程度の長さの文章といふのは、書いてゐないと書く力が衰へるとも聞く。
手帳一冊といふわけにはいかないけれど、この状態でもいいのではないかといまは思つてゐる。

Tuesday, 28 April 2020

連休中に作りたいもの

ここのところ、ノールビンドニングばかりしてゐて、タティングはほとんどしてゐない。

タティングシャトル一つだけでできるモチーフを作つてゐたが、あとリングを二つ作ればできるといふところで糸が尽きてしまつた。
無論、糸を足せば作れる。
でもなあ、あとリング二つといふことは、二つ並んだリング両方に糸始末のあとが残るといふことだ。
タティングには糸始末のあとが極力わからないやうな技法もないわけぢやあないけれど、なんとなく心浮かない。
そんなわけで、しばらく放置してゐる。

ところで、ノールビンドニングに向いた糸はないかと在庫を確認してゐたところ、大きいショールや膝掛けを作らうと思つて買つておいた糸がいくつか見つかつた。
パイショールとかね。
かぎ針編みでも円形の大きいショールもしくは膝掛けとか。
さういふのを編むつもりで買つておいた糸だ。

個人的には、ぐるぐる編んでいくとどんどん大きくなつていくタイプが好きだ。
しかし、実際に作ることを考へると、モチーフを編みためて時間のあるときにつなぐ方式の方がいいのではないかと思ふことがある。
モチーフも、作りながらつないでいくよりは、あとから周辺を編み足しつつつないでいくタイプね。
タティングレースだと藤戸禎子作品ではたまに見かけるが、それ以外ではあまり見ないやうな気がする。
無論、自分で考へればいいのだらうが、なあ。

いまはまだ腱鞘炎のせゐで編み針を使ふのがつらい。
タティングならできるので、ちよつと考へてみるかなあ。

あと、いつも途中で失敗してしまふ Chinese Coin Bookmark を作りたい、とここに書いておけば作るのぢやあるまいか。

Monday, 27 April 2020

ノールビンドニングとロシアン・ジョイン

ノールビンドニング

突然、ノールビンドニグをはじめてみた。
はじめてのノールビンドニング」に出ていたヘッドバンドを作つてゐる。

腱鞘炎にあまり響かないかなと思つたし、Rowan の Cocoon がノールドンビニングに向いてゐるのではないかと思つたからだ。

結論からいふと、腱鞘炎にはあまり響かないが、ローワンのコクーンはノールビンドニングに向かなかつた。

まづ、コクーンは糸を引つ張つても糸がちぎれない。
コクーンはメリノ八割モヘア二割の糸だ。
モヘアの威力なのかなあ。
繊維が長くて、一度撚つてしまふとなかなか引き抜けないのだらう。
コクーンは甘撚りの糸で、一見かんたんにちぎつてつなげられさうに見える。
糸は見た目によらないといふことだなあ。

そんなわけで、コクーンはノールビンドニングは向かない糸だといふことが判明したわけだが。
そこでくぢけるやつがれではなかつた。
コクーンは、太い部分と細い部分がある糸ではあるけれども、基本的には極太の糸だ。
Russian Join ができるのではないか。
甘撚りなのはちよつと気にかかるけれど。

といふわけで、以前から気になつてゐたロシアン・ジョインを試してみることにした。

これも結論から云ふと、コクーンは決してロシアン・ジョインに向いた糸ではないものの、なんとかノールビンドニングをすることができた。

ロシアン・ジョインとは、糸端と糸端とをつなげる方法のひとつだ。
通常は、糸と糸とをつなげるときは結ぶと思ふ。
それだと結び目ができてしまつて、見た目にもよくないし、裏に出すにしても伸縮性が損なはれる。糸端の始末も必要だ。

ロシアン・ジョインでは、糸端を自身の糸に縫ひ込んでループを作り、ループにもう片方の糸端を通す。
ループに通した方の糸端を自身の糸に縫ひ込んで、互ひの糸端を引つ張る。
Ta-da!
糸と糸とがつながる。
かういふ寸法だ。

糸端を縫ひ込むときにちよつと撚りを戻すのがコツだらうか。
おそらく、すこし撚りのしつかりした糸の方が向く方法だと思ふのだが、コクーンでもなんとかできた。
太い糸の方が向いてゐる方法であることも確かだし。

ノールビンドニングは針を使ふので、糸を少しづつちぎりながら作る。糸が足りなくなつたらつなぐ。
このとき、本では糸端の撚りをほぐして互ひの糸端を撚りあはせるやうにと書いてある。
あくまでも推測だが、おそらくもともとはあまり状態のよくない糸を使つてゐたからなのではないかといふ気がする。
トゥヴォーエンズスティックニングがさうだからだ。

トゥヴォーエンズスティックニングは、古くなつたセーターなどをもう一度繊維の状態に戻してつむぎなほした糸を編むために編み出された手法だといふ。
羊毛が手に入らず、古着をなんとかするしかなかつた先人の知恵だつたらう。
ノールビンドニングもさうだつたんぢやあるまいか。

ノールビンドニングには、フェルト化しやすいやうな糸が向いてゐる、もつといふとさういふ糸でないと糸と糸とをつなぎあはせることができないと思つてゐたが。
ロシアン・ジョインでいけるのなら使へる糸の種類も格段に増える。

こんなこと、ずつとノールビンドニングをしてきた人なら常識なのかもしれない。

先達がゐないといふのは、かういふことなのだな。

Friday, 24 April 2020

ノートをメモの墓場にしないためには

Bullet Journal を使ふやうになつて早四年。
つづいてゐるといふことは向いてゐるのだと思ふ。

これ一冊あればなんでもまかなへる。予定も書いてあれば実績も書いてあるし、メモもとれる。
さうしたところが気に入つてゐる。

しかし、メモをとつたはいいものの、そのまま埋もれてしまふといふ問題は以前残つたままだ。
公式のblogにも、ノートはアイディアの墓場たりうる、といふやうなことが書いてある。
幸ひなことに、さう書いてあるblogのエントリには、どうすればメモが埋もれたままにならないやうにできるかが書いてある。
が、うーん、自分にできるだらうか。

自分の考へでは、書いたメモが埋もれないやうにするためには書いたことを日々見返すことだ。
レヴューといひ、最近ではふり返りといふのだらう。
Bullet Journal では最低でも月に一度はレヴューをすることになつてゐる。
当月(または前月)し残したことを翌月(または当月)に送る作業をする。
Migrationと呼ばれる作業だ。
このときに、書いたメモも見直すといいのかもしれない。

だが、メモは Daily Logs のそこかしこにちらばつてゐる。
それを全部見返すのか?
見返すのだらうな。
或は一ヶ月に一度でなく一週間に一度、または毎日前の日に書いたことを見返すやうにするといいのかもしれない。

さういへば、どこかで「毎日、前日書いたことと一週間前に書いたことと一ヶ月前に書いたことを見返すといい」といふ話を読んだことがある。
これを励行してみるかな。

それには見返しやすい、見返したと思ふやうな字で書き込む必要があるのだが。

それはまた別の話。

Thursday, 23 April 2020

蟄居と新たな万年筆

二月にプラチナ萬年筆の新製品であるキュリダスを買つた。
キュリダスは、ノック式万年筆だ。
伊東屋などの大手文具店では先行発売されてゐて、試筆もできた。
残念ながら現在では新型コロナウィルスのせゐで店頭にあるペンで試し書きするのはちよつとためらはれる。

さう云ひながらも、買ふ前には店頭にあるペンで試し書きをした。
キュリダスには極細、細字、中字の三種類がある。
丸善の日本橋店と丸の内店とで試し書きしてみたが、細字が一番書きやすい気がした。
しかし買つたのは極細だ。
なぜといつて、手帳に書くことを考へてゐたからね。
Bullet Journal に 5mm方眼用紙を用ゐてゐると、どうしてもできるだけ細い字の書けるペンがほしくなる。
通常はセーラー万年筆の細美研ぎのプロフェッショナルギアを使つてゐるが、たまにあるでせう、色を変へたいときとかさあ。

そんなわけでグラファイトグレーの極細を買つてきた。
グラファイトグレーにしたのは、プラチナのカーキブラックといふインキを入れるつもりだつたからだ。
カーキブラックは、プラチナ萬年筆の古典インクの中では一番主張しない色だ。
そこがまづいい。
書いてしばらくすると黒ずんではくるが、やはりほかの色よりも控えめな色な気がする。

極細で主張しない色つてどうなのよ、といふ話もあるかもしれないが、いい感じ、としか云ひやうがない。
時間をおいたときの色は、セピアブラックよりもセピアな印象がある。

いま、自宅で過ごす時間の長い中、キュリダスを取り出してきて、自分好みになるやう使つてゐる。
ほかに長いつきあひの、やつがれの手によくあつたペンもある。もちろんさうしたペンも使ふ。

ただ、このご時世、新しいペンを馴らしていくといふことによる気持ちの変化といふものがあるやうに思ふ。
なにはともあれ、未来はある、といふかね。
どんな未来だかわからないけれど、このキュリダスは自分向きのペンに変はつてゐるだらう、とかね。

キュリダスを買つておいてよかつたと思ふ所以である。

Wednesday, 22 April 2020

なぜ素読なのか

あひかはらず「論語」の素読をつづけてゐる。
まだ為政篇の途中までしか読めてゐない。
今月中には八イツ篇にいけると思つてゐるが、どうかな。

ただ素読をするだけでは、素養はつかない。
素読とは、意味を考へずに音読することをさすからだ。
しかし、過去にはやつてゐる人々がゐた。
意味を考へずに声に出して読み、だが身になるものがあつた。
そのはずである。
さうでなかつたら、素読などする意味がない。
読書百遍義自ずから見る、と「三国志」にもある。
何度もくりかへし読むうちに、「さういふことだつたのか」とわかるやうになる日がくる。
たぶん、くる。

現在では一冊の本を百遍も読むことはあまりないのかもしれない。
すくなくとも自分ではない。
なにかを学びたい、なにかを知りたい身につけたいといつたときに、意味も考へずにやみくもにつき進むやうなことはしない。
効率よく着実な方法を選ぶはずだ。
そんなものがあるのなら、だが。

いまは鉛筆やペンを手にノートなどに字を書くことはほとんどなくなつてしまつたやうだ。
司法試験ではよく書けて疲れの少ない万年筆が必要といふ話は聞くし、検定試験ではあひかはらず鉛筆で答へを書くのだらうけれど、学校を出たらそれくらゐしか手でまとまつた時間を費やし字を書く機会はないのではあるまいか。
年賀状だつて、印刷したものばかりだ。
親しい間柄の場合は、近況などを知らせる文がすこしばかり書いてあつたりするけれど、その程度だらう。

だが、鉛筆やペンを取つて紙に字を書くことには意味がある。
それで覚えられること、身につくことはたくさんある。
教員をしてゐた友人が云つてゐたが、いま学校の英語教育では生徒に書かせるといつたことがほとんどない。
自分たちのときは、授業の中で或は宿題としてひたすら単語を書かせるとか文章を書かせるとかいつた課題があつた。
それがなくなつて、失ふものもあるのぢやあるまいか。

紙に字を書くことがさうなら、声に出して読むこともさうだらう。
そこからなにか得られることがある。
日々音読をつづけてゐるのは、そんなわけだ。

もちろん、単純に読めることが増えていくといふ達成感を得られるといふこともあるんだけどね。

Tuesday, 21 April 2020

Earl's Court Harlequin

Earl's Court Harlequin

Earl's Court Harlequin は、タティングレースの方が先にできた。
タティングは腱鞘炎にあまり影響がないからだ。
うつかりシャトルを取り落とすといふことさへなければ大丈夫。
取り落としても、うまいこと拾へればなんといふことはない。

糸はオリムパス金票40番。白が802、オレンジが171、緑が228。
エミーグランデカラーズよりも落ち着いた色合ひで、とくに緑といはうか黄緑は40番の方がモデルに近いやうに思ふ。

モデルは 1981年のEarl's Court のライヴでフレディ・マーキュリーが着てゐた衣装である。
ピエロが着るやうな衣装なので、このドイリーの名前も Earl's Court Harlequin とした。
二月にクイーン展で実物を見てきて、「これだ!」と思つたといふ話はあみものの方で以前書いたやうに思ふ。
白黒で作つてもおもしろいかもしれないな。
その場合、白の方が膨張色だから、白で丸、黒で四角を作るやうだらうか。

デザインしたのが誰なのか、不明にしてわからない。
Pinterest で見つけて、リンク先もたどつてみたのだが、デザイナの名前が見つからなかつた。
どなたかご存じの方がゐたら是非教へてくださりませんでせうか。

四角いモチーフと丸いモチーフとをつなぐといふのが気に入つて作つた。
最初から四角いモチーフをつなぐことを考へてゐたけれど、この方がおもしろい。
四角いモチーフはすべてオレンジにしやうかとも考へたが、このサイズだと全部オレンジだとくどく見えるかもしれない。
もつとモチーフをつなぐやうなら、また話は違ふやうにも思ふ。

このほかに、作るには作つたがまだ整形してゐないドイリーが二枚ある。
整形すればいいとわかつてゐて、なかなかできない。

ここに書いたのを機に整形するかな。

Monday, 20 April 2020

編めぬ日々

相変はらず腱鞘炎で編み棒が持てない状況がつづいてゐる。
時節柄、マスクとか編みたいんだけどねえ。
一枚編んで、そのままになつてゐる。
だいたい、マスクに適した糸が手持ちにない。
特にこれからの時期、毛糸で編んだらつけられないぢやん、暑くて。
この前エミーグランデで編んだマスクだて、ちよつと暑くてどうかと思ふのに。

これからの季節は麻かなあ。
あ、麻の糸、あつたやうな気がする。
以前、越前屋に行つたときに、アンカーの麻のレース糸を求めたやうに覚えてゐる。
発掘してきて編んでみるかなあ。
腱鞘炎がおさまつたら、だが。
すべてはそこだなあ。

少しよくなつてきてゐる気はする。
なにもしてなくても痛いといふことがなくなつてきたからだ。
あとすこし、我慢かなあ。

整形外科に行くことも考へたけれど、待合室が混んでゐるといふ噂を聞いて、断念した。

Friday, 17 April 2020

誰がために桜咲く

先日、Twitter の TimeLine でおもしろいつぶやきを見かけた。

今年は新型コロナウィルスのせゐで不要不急の外出がはばかられ、例年の春のやうに桜の花を楽しむことができなかつた。
「せつかくこんなにきれいに咲いてゐるのに、人に見られることがないなんて桜が可哀想」
そんなやうな内容だつた。

おもしろいことを考へる人もゐるものだなあと思つてゐたら、かういふ考へ方をする人はこのつぶやき主一人ではなかつた。
その後も「人に見てもらへぬ桜の花は可哀想」といふ旨のつぶやきが、二、三流れてきた。

え、さうなの?
桜の花は人に見られなかつたら可哀想なの?

桜の木を植ゑた人は今後多くの人が毎年この桜の花の咲くのを見に来ることを考へて植ゑたらう。
だが、それと桜の木・桜の花とは関係ない。
人が見やうが見まいが、桜の花は咲く。
咲かぬことがあるとすれば、例年になく寒いとか、その桜のどこかが悪いとか、もう寿命だとか、なにかそんなやうな理由だらう。

植ゑられたはいいものの、人の通はなくなつた土地に立つ桜でも、花を咲かせるだらう。
見る人がゐないから、咲いたかどうだか確認はできないが、おそらく咲くはずだ。
なのに、なぜ「人に見てもらへなくて可哀想」などといふ発想が生じるのか。
おもしろいものだ。

さういふ人にとっては、朝起きて寝間着から普段着に着替へるのも、他人に見てもらふための仕業なのだらうか。
着飾るのは他人に見てもらふため?
おそらくさうなのだらう。

或は、なにごとも人間を中心にした視点から眺めてしまふ、考へてしまふ人たちなのかもしれない。

ひとついいことがあるとしたら、かういふ考へ方の人は極端な菜食主義には走らないだらう、といふことだ。
桜が可哀想なのだもの、野菜も果物も可哀想だらう。
それは食肉の対象となる動物たちと変はらない。
変はらないのだから、両方食べるか両方とも食べぬかどちらかのはずだ。

植物は生きてゐる。
それに異論はない。

Thursday, 16 April 2020

システム思考が必要だ

現在の新型コロナウィルス対策に不足してゐるのは、システム思考的な考へ方なのではあるまいか。

システム思考とは、課題(問題)を一つのシステムと考へて分析する思考だといふ。

たとえば、睡眠不足を解消したいとする。
解消するために、いまなぜ睡眠不足なのかを考へる。
「寝る時間が遅いから」を理由としやう。
ではなぜ寝る時間が遅いのか。
帰宅時間が遅いからだ。
帰宅時間が遅いのはなぜか。
仕事がたくさんあるからだ。

では、仕事を減らすことができるだらうか。
或はもつと効率的に仕事をこなすことができるだらうか。
それとももつと早く出社するやうにする? でもそれではいまよりも早く起きねばならず、睡眠不足の解消にはならない。

効率的に仕事をこなせることと仮定しやう。
その結果、これまでと同量同質の仕事をこれまでより早くこなせるやうになつた。
それで早く帰宅できるやうになつたか。
短期的にはなつた。
だが、いつのまにかこれまでよりも帰宅時間が遅くなつてゐる。
なぜなら、仕事ができる人間とみなされて、以前よりもたくさんの仕事を任されるやうになつたからだ。

あ、解決しないや。

でもまあ、こんな感じ。
ある問題(ここでは「睡眠不足解消」)を解決するのに、それにまつはるさまざまなことを考慮してみる。
策を思ひついたら、それを実行した場合どういふ影響が出るかを考へる。
「短期的には」と書いたとほり、時間の経過についても考へる。
システム思考とはさういふ思考方法だと、やつがれは理解してゐる。

緊急事態宣言をする。
しかし、休業・失業などへの補償はおこなはないといふ。
その場合、どこにどのやうな影響があると考へられるのか。
補償をしないことで、今後どうなるのか。
政府はちやんとさうしたことを考へてゐるだらうか。
とてもさうは思へない。
目先のことしか考へてゐない。

いや、この機に改憲に望まうだとか、憲法に抵触するやうな法案を通さうだとか、さういふことは考へてゐるのかもしれない。

だが、この世の、すくなくともこの国のゆくすゑを考へてゐるやうには、とても思へないのだ。
ウィルスの蔓延についてさへ考へられてゐないやうに見える。

システム思考を厳密に適用せよとは思はない。
でも、ほんのちよつとだけ、「かうしたらどうなるだらうか」と考へるだけでも違ふはずだ。

すでに遅きに失してゐるが、着手しない手はない。

さう思ふのだがなあ。

Wednesday, 15 April 2020

ふり返りたいふり返れない

休日の予定が芝居見物くらゐしかないので、予定欄に書くことがない。
仕事の予定もそれほど入らないので、Future Logsはほぼまつさらのままだ。

ぢやあ手帳は全然使つてゐないのかといふと、さうでもない。
一日一ページ以上使つてゐる。
ライダー・キャロルが公式のblogに書いてゐたBook Logsにならつて読んでゐる本の目次を書き抜いたり、以前よりも体調に関するメモを書きつけるやうにしてゐたりするからだ。

職場に行つてゐるときよりも書いてゐるなあ。
心に余裕があるからだらうか。
「あ、これ、書いておかう」みたやうなさ。

普段から、ちよつと思ひ浮かんだことをメモする習慣をつけるといいとわかつてはゐる。
わかつてゐて、できてゐない。
手元にメモがなかつたりするし。
あとでいいやと思つたりするし。

手元にメモがない場合は仕方がない。
あるでせう、さういふことつて。
水周りにゐるときとかさ。
台所で片づけ仕事をしてゐるときなんかだつて、ちよつとメモを取れるやうな状態ではない。
ひよつとして、アレクサでもゐたら話しかけたら録音しておいてくれるのかな、といふ気もするけれど、なんとなくスタージに見張られてゐるやうな感じがするんぢやないかと思つて購入に踏み切れずにゐる。

メモの取れないことについてはいくらでも云ひわけが思いつく。

それに、メモつてただやみくもに取ればいいつてものでもないと思ふんだよね。
メモを取るやうになつたら、次に大切なのはふり返りだ。
メモを見直すことともいふ。
これがどうもできない。

以前、情報カードを使つてゐて、実はいまも使用範囲を限定して使つてはゐるが、なにが困るつて、見返す時間がなかなかとれないことに困つてゐた。
いまもまだそのままの状態でゐる。

Bullet Journal にしてよかつたな、と思ふのは、最低月に一度はふり返る機会があることだ。
スライド手帳のときは、週に一度あつたけれど、スライド手帳にはスペースの関係でなんでもかんでも書き込むわけにはいかなかつたので、ふり返れることも限定されてゐた。

どうやつたらうまくふり返ることができるのか。
長いことこの問題がとけない。

Tuesday, 14 April 2020

Pinterestで見つけた場合

タティングレースのモチーフつなぎをはじめた。

モチーフつなぎをはじめたのは、ちよつと気分転換をしてみたくなつたからだ。
昨日も書いたやうに、右手薬指の腱鞘炎があまりよくなつてをらず、編み棒・編み針・綴じ針を握るのがつらい。
タティングシャトルなら手にして操つてもあまり影響がないやうだ。
そんなわけで、はじめてみた。
Eleonoraを仕上げろ、といふ内なる声も聞こえてくるが、それはまたそれ、である。

モチーフの色については以前も少し書いた。
アールズ・コートのライヴでフレディ・マーキュリーが着てゐた衣装を元にした色合ひだ。
オレンジ・緑(黄緑)・白の三色のとり合はせで、衣装では菱形ともいひダイヤ型ともいふ形が用ゐられてゐる。

かぎ針編みでは四角形のモチーフを作つてみたが、タティングレースでは四角いモチーフと丸いモチーフとをつなぎ合はせるものにしてみた。
いまのところ、真ん中三枚をオレンジ、その両脇に白と緑を二枚づつ、その先に白の方は緑、緑の方には白のモチーフをつながうと思つてゐる。
モチーフとしてはかんたんな部類に入るとは思ふが、組み合はせ次第でこんな風になるのかー、と感慨深い。

問題は、出典がどこなのかよくわからないことだ。
Pinterestで見つけたものなのだけれども、もとのWebページに行つてみても、これが誰のデザインなのかよくわからない。
Pinterestで見つけましたつて書いておけばいいのかなあ。

個人で楽しむといふ手もあるか。

Monday, 13 April 2020

吊革手すりにおつかまりください

右の薬指が腱鞘炎を起こして二ヶ月ほど。
よくならない。
四月に入つてすこしよくなつたかと思つたが、それもつかの間、案外仕事が多くて悪化してしまつた。
職場の人に腱鞘炎であることを云つてゐなかつたのもいけないのかもしれないが。
それにしたつて、といふ仕事でもあつたのでなあ。

右手の薬指に違和感を覚えたのは二月の半ばごろだつたらうか。
そのころは、まだペンを持つて字を書いてもどうといふこともなかつたし、箸も持ててゐた。
困るのははさみを使ふときと、電車で吊革などにつかまる場合だ。

このご時世電車の吊革につかまるなんて、といふ人も多いかもしれない。
なにしろ新型コロナウィルスはプラスチックのすべすべしたところでは三日は生存するのだといふ。
だが、吊革を持たずに立ち通しでゐられるほど体幹が強くない。

それに、吊革や手すりにつかまらずに電車に乗つてゐてひどい目にあつたことやひどい目にあはされた人も見てゐる。

自分の被害は、座席に座つてゐたときに前に立つてゐる人が倒れかかつてきたことだ。
スマートフォンを両手で使つてゐて、吊革にも手すりにもつかまらずにゐて、電車がひどく揺れたのに耐へきれず倒れ込んできたのだつた。
幸ひ、お互ひになにもなかつたからいいやうなものの、ちよつと間違へたら大惨事だ。

おなじことが、隣に座つてゐる人に起きたこともある。
隣に座つてゐる人の前に立つてゐた人が、やはりスマートフォンを両手で使つてゐて吊革につかまつてゐなかつた。
ポイント通過のときにひどく揺れて、目の前にゐる座つてゐる人に勢ひよく倒れこんできた。

立つてゐたときもある。
隣に立つてゐる人は新聞を読んでゐて、吊革につかまつてゐなかつた。
すると、突然電車が大きく揺れて、その人は背後に立つてゐた人の背中に肘から倒れこんで行つた。
背後にゐた人はひどく痛がり(そらさうだ)、倒れ込んできた人に連絡先を云ふやうきつく求めてゐた。
医者にかかるやうなことになつたら慰謝料をもとめやうといふことだ。

斯様に、電車に乗つてゐるときにはなにかにつかまる必要がある。
つかまつてたつてたまらぬ揺れもある。
体幹に自信のある方ならかまはないが、さうでないならつかまるべきだ。
新型コロナウィルス? そんなものは手を洗つてアルコールで消毒すればいい話だ。
潔癖性の人は仕方ないかもしれないけど、それも他人に倒れかからない限り、だらう。

揺れる電車に乗つてゐると吊革にはつかまらざるを得ない。
そして、やつがれは左手でつかまつてゐると電車の揺れに耐へられない。
しかも、つかまるときといふのは薬指と小指とに力がかかる。
よくならないままここまできてしまつた。

電車に乗らない分、楽になつてると思ふんだけどな。

そんなわけで、あまり薬指に負担のかからないタティングばかりしてゐる、といふ話は明日したい。

Friday, 10 April 2020

心穏やかな日々

在宅勤務をはじめてほぼ二週間たつ。
通勤時間がない分、なにかと心穏やかだ。
電車が遅れてゐても気にならなくなつた。
遅れてゐることに怒りを覚えることもない。
怒つたところで電車の遅れが解消されるわけではない。
わかつてゐてもどうにもならなかつた。

電車が遅れてゐるなら一杯ひつかけて帰ればいいぢやないか。
さうすることもある。
でも三年に一度あるかどうかだ。
早く帰りたいからだ。
なぜ早く帰りたいかといふと、早く床につきたいからだ。
なぜ早く床につきたいかといふと、さうしないと睡眠時間が減つてしまふからだ。
なぜ睡眠時間が減ると困るかといふと、翌日以降の就業時の体調に影響が出るからだ。
なぜ体調に影響が出るのかといふと、普段から睡眠が足りてゐないし、そもそも体調と睡眠時間との関係とはさういふものだからだ。

これまで自分の生活の中心は睡眠時間を如何に確保するかといふことだつた。
それはいまも変はらない。
だが、通勤時間がなくなつたことで、あまり深く悩まなくてもそれほど睡眠時間が欠けることはなくなつた。
まあ、いま使用してゐるAutoSleepといふアプリケーションによると、夕べの睡眠なぞは深い睡眠はゼロで、質はまつたくよくないとのことだが、なに、いま世にあるアプリケーションで深い睡眠だのなんだのがきちんと計れるものはないといふからあまり気にしない。

この生活を、といふよりは、この穏やかな心持ちを、通勤がはじまつても維持していけるだらうか。
電車が止まっても気にせず、「ま、仕方ないな」と流していけるだらうか。

あまり自信がない。

Thursday, 09 April 2020

NHKラジオ講座二週目

先週は、聞くNHKラジオ講座を減らしてなんだか心許ない、と書いた。
以前よりも勉強しなくなつた気がしたからだ。

いまは、この状態でいいのではないかといふ気がしてゐる。
聞く数が減ったことで、ひとつの講座にかけられる時間が増えたからだ。
より復習をするやうになつた、といふかね。

三月までも、番組を聞いたあとは日本語訳を見ながらもとの外国語を口にするといふ、「高校生からはじめる現代英語」でいふところの「反訳トレーニング」はやつてゐた。
でも、その日の分をやるのが精一杯で、前の日の分や先週の分などはなかなかできずにゐた。

それがいまはできてゐる。
スキットといひダイアログといふ、その内容だけでなく、問題の部分の反訳トレーニングもできてゐる。

いまはたまたま自己隔離中であまり出かけないからといふこともあるとは思ふ。
でも、聞くものをしぼつたからできてゐることも確かだ。

この調子で半年くらゐつづけて、下期にまた講座を増やすか変へるか決めたいと思つてゐる。

Wednesday, 08 April 2020

トラッカーの埋まること

四月になつて八日目、Bullet Journal でつけてゐるトラッカーが毎日埋まつてゐる。
いままでにないことだ。
大抵はひとつかふたつできないことやしないことはあるし、まれに全部できる日があつてもそれほど続かない。
それができてゐる。
我ながら不思議である。

なぜできてゐるのかといつて、自主的に自己隔離してゐるから、といふのが大きい。
毎日家にゐる。
出かける必要はない。
せいぜい食べるものがなくなつたとか洗剤やトイレットペーパー(は、まだなかなか手に入れられないが)がなくなつたとかさういふ理由で買物に出かけ、ゴミを捨てに行くといふので外に出るくらゐだ。
このままでは歩けなくなるのではないかといふ不安はあるが、それはまた別の話。

仕事はもちろん、芝居や映画にも行かなくなつた。否、芝居や映画には「行けなくなつた」が正しからう。どこもかしこも休演・延期・休業ばかりだ。

さうすると家にゐるしかない。
そして、家にゐるとすることが限られてくる。
そんなわけで、トラッカーに書いてあることをするやうになる。
さういふ寸法なのだと思つてゐる。
これまでトラッカーに印をつけられなかつたのは、単に時間がなかつただけなのだ。
やればできる。
少なくとも一週間くらゐは。

いつまで続けることができるだらう。
たまにはちよつと休んでみてもいいのかもしれない。
たぶん、大半のことは習慣になつてゐるからだ。

そろそろ毎日「歩く」といふのをトラッカーに追加するころなのかもしれない。

Tuesday, 07 April 2020

片付いていることの弊害

あみものも進んでゐないしタティングレースも同様である。
Eleonoraはあと少しでできあがるといふのに、全然手つかずだ。
在宅勤務になつたら少しはあみものやタティングレースをするやうになるかと思つたらさにあらず、といふ話は昨日も書いた。

タティングレースについてはしてゐない理由はわかつてゐる。

しまつてあるからだ。

せつかくしまつてあるものをいちいち出してくるといふことができない。
だつてしまつてあるんだもの。
目のつかないところにあるんだもの。
出してこられなくても当然でせう。

思へばいままでもさうだつた。
すぐ目につくところ、さつと手の伸ばせるところに作りかけのドイリーやモチーフをおいておく。
さうすると、なにかのきつかけで手に取つて、せつせと編んだり結んだりする。
そしていつのまにかドイリーやらモチーフやらができてゐる。
万事この調子なのである。
道理で部屋が片づかないはずだが、それはまた別の話。

そんなわけでタティングくらゐは手のすぐ届くところになにか出しておかうかな、と思はないでもないが。
しかし、仕事中に気になるとよくないしな。

といふことは、在宅勤務は手仕事にはよくないといふことか。
さうなのかもしれない。

まあ、いまはほかのことに気を取られてゐるだけなのかもしれないけれど。

といふ話はいづれまた。

Monday, 06 April 2020

負の連鎖

グラニー・スクウェア・モチーフは編めたといふのに、その先に進めない。
危惧してゐたことではあつた。
おそらく綴じ針を使はねばならぬので、ためらつてしまふだらう。
さう思つてゐた。

なにしろ縫ひものが苦手である。
セーターをあまり編まないのも、綴じはぎが苦手だからだ。
数をこなさなけれぱうまくならないのだが、苦手だからやりたくない。
だから上達しない。
負の連鎖である。

モチーフも編めて、あとはつなぐだけなんだがなあ。
くさり編みで綴じるのも試してみたが、あまり思つたやうな結果にならない。
今回はモチーフを中表にあはせてつなぎたい。
長編みの頭のくさり状の部分の片方だけをはぎあはせるやうかなあ。

で、やつてみればいいのだが、できずにゐる。
「KEEP CALM AND CREATE」はどこに消へてしまつたのか。

まあ、ほかのこともあれこれやつてゐるから、まつたく CREATE してゐないともいへないのだが。

それについては、また別の機会に。

Friday, 03 April 2020

目標設定の問題

「論語」の素読をしてゐる。
この話はここにも何度か書いた。

今年の二月からはじめて、しかし、記録を見ると二回しかしてゐない。
三月は三回。
今月に入つてからは毎日してゐる。
とはいつてもまだ三日目だけど。

これには理由がある。
ひとつは、今月に入つてから在宅勤務をしてゐることだ。
通勤にかかる時間が浮いて、仕事をはじめる前の気分転換といはうか、落ち着くためといはうか、とにかく「論語」を声に出して読んでみた。

いい感じ……とはいかないのは、ちやんと読めないものが多いからだ。
まだ「学而篇」をうろうろしてゐる。
さすがに最初のいくつかは白文を見ただけで声に出して読めるけど、真ん中くらゐからアヤシくなり、最後の方はまるでいけない。
意外と子貢に「一を聞いて二を知るもの(意訳)」といふくだりが読めるのは、たぶん、教科書かなにかに載つてゐたんだらう。

そこで思つた。
さうだ。
まづは「学而篇」をちやんと読めるやうにならう。
なにも考へずとも読める、それこそ「素読できる」やうにならう。

さう思つたら、なんだか毎日(といつてもまだ三日めだけど)読めるやうになつた。
目標設定の問題だつたのかもしれない。

「論語」は、そんなに長い書物ではないし、ひとつひとつの話(といふか)も短い。
でも、声に出して読まうと思ふと長大だ。
それを小分けにして読む。
さうすれば、何度もくり返してゐれば、いづれは読めるやうになる。
だつて、最初の方はまがりなりにも読めるやうになつたんだもの。
そのつづきだつて、しつこくやつてゐればいづれは読めるやうになるんぢやあるまいか。

なんで「論語」の素読などにこだはつてゐるのか我ながらわからない。
ほんたうは幼いころからやつてゐないとダメなんぢやあるまいか。

さう思ひながら、いまからやつても遅いと思ひつつ、やらないよりましだらうといふことで、遅まきながらやつてゐる。

いつになつたら「学而篇」から先に進めるのかまつたくわからないけれど。

Thursday, 02 April 2020

行きたいところに行けるのはいつ

昨日から新たな手帳を使つてゐる。

新しい手帳を使ひはじめるにあたり、古い手帳からあれこれ移行してきた。
Bullet Journal でいふところの migration 作業だ。
Future Logs や ToDo に書いてあつてまだ期日のやつてきてゐないもの、果たせてゐないもの、長期目標などなどを見返して、必要なものを新たな手帳に移行する。

長期目標といふと大げさだが、いつかしたいことのリストを見返しつつ新たな手帳にうつしつつ、「ああ、これが可能になるのはいつのことだらう」と思ひながらうつしたものがある。

どこかへ行く、といふ内容のものだ。

ひきこもり願望の強い方なので、それほど行きたいところがあるわけではない。
たぶん、人に比べたら少ない方なのではあるまいか。
それでも「金沢に行く」だとか「浜名湖に行く」だとか「フィラデルフィアに覗きに行く」などといふ項目がある。

「フィラデルフィアに覗きに行く」は、フィラデルフィア博物館にあるといふマルセル・デュシャンの遺作を見に行く、といふ意味だ。
デュシャン展があると、この「遺作」のレプリカのようなものが展示されることがあるのだが、やはり本物を見ないとね、と云はれて、一時はあきらめてゐたものをまたいつかしたいこととして復活させた。

いつ可能になるでせうね。
金沢といへば、石川県知事は「どうぞ来て」みたやうなことを云つてゐるといふが、このご時世ではムリだらう。
浜名湖もなー、夏と冬とは行つたことがあるんだけど、春や秋に行つたことがない。

世の中、すくなくともやつがれの周囲では「できるだけ出かけない」のがいいといふ意見が多数をしめてゐる。
だが職場には「え、来ないの?」といふ風潮がある。
いまはその風潮を背にして在宅勤務をしてゐるのだが、それはそれでなんとなくうしろめたいものがある。

さういやジョン・レノンに「Isolation」なんてな歌があつたな、と思ひ出し、おそらく中学生の時に聞いて以来、久しぶりに聞いてゐる。

太陽はいつまでも輝きつづけるだらうけれど、この世界はどうなの。
どうなのかなあ。

Wednesday, 01 April 2020

3月の読書メーター

3月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1403
ナイス数:19

俳句は入門できる (朝日新書)俳句は入門できる (朝日新書)感想
云われてみると現在俳句をめぐる逸話が思いつかない。でもそれってこの本にも書いてあるけど、「ただでさえ俳句を作るというのは「その人は当事者じゃない」感のある行いだ。(p.39)」からということもあるのではないか。俳句にはどこかとても客観的なところがあるから。
読了日:03月01日 著者:長嶋 有
独学で歴史家になる方法独学で歴史家になる方法感想
日頃覚える疑問を解決する方法などないかと思って読んでみた。「こんなことを調べてみたらどうでしょう」という著者からの提案があったり随所に「これを調べてみる人はいませんか」という問いかけがあったりして、かえって気になることが増えてしまった。調べるかどうかは不明だけども。見かける自然科学系の論文にはほぼ単著がないけれど、歴史学とかならあるのかな。自分史ならあるか。一時自分史ブームだったことがあったように思うけれど、いまでもそうなのだろうか。
読了日:03月06日 著者:礫川 全次
Nabokov's Favorite Word Is Mauve: What the Numbers Reveal About the Classics, Bestsellers, and Our Own Writing (English Edition)Nabokov's Favorite Word Is Mauve: What the Numbers Reveal About the Classics, Bestsellers, and Our Own Writing (English Edition)感想
米国と英国のハリー・ポッターのファンフィクション(二次創作)を比べると、米国の作品の方が「bloke」「blimey」「brilliant!」といった原作に出てくる英国味のある単語をたくさん使う傾向があるのだという。デジタル化された作品をPythonで解析したという。英語はスペースで単語がくぎれるからいいよなあ。日本語の形態素解析エンジンにもいろいろあるようだから、ちょっと試してみたい気はしている。再読。
読了日:03月13日 著者:Ben Blatt
日本近現代史講義-成功と失敗の歴史に学ぶ (中公新書)日本近現代史講義-成功と失敗の歴史に学ぶ (中公新書)感想
各人が各章を担当していて、やたらと大げさな表現を使う人がいれば、こなれていない文章を書く人もあり、といった感じだが、そういう方が目立つので全般的には読みやすいといえるのかもしれない。ただ、紙幅にかぎりのあるせいか、「えっ、いままでそんな話、してた?」と思うような結論もあったりはする。参考文献が豊富な点と索引があるところがいい。
読了日:03月22日 著者:山内昌之,細谷雄一
装丁物語 (中公文庫)装丁物語 (中公文庫)感想
カバー裏の決められた位置にバーコードが二つばっちり印刷されていて、著者が見たらさぞ嘆くことだろう。著者名と題名だけで「ああ、あのカバー」と思い出せる本が何冊かある。懐かしい。以前、新書版で読んだけれど、本屋で見かけてつい買ってしまった。買ってよかったと思う。バーコード以外は。
読了日:03月26日 著者:和田 誠

読書メーター

2021年度のNHKラジオ講座

月曜日から毎日聞くラジオ講座が一つ減つた。
なんだかひどく心許ない気がする。

これまでは、平日は毎日十五分番組を三本(水曜日だけ四本)と十分番組を一本聞いてきた。
それが、十五分番組が二本(週二回だけ三本)と十分番組が一本になつた。
一本減つただけなのに、たくさん減つた気がする。
勉強しなくなつた気がする。

実際には聞き流してゐることもあつたりするので、数が多いからといつて決してたくさん勉強してゐるわけではない。
また、今年度から数を減らしたのは、復習を増やさうと思つてのことだ。
ひとつの教材を重点的に学ぶ。
またたのしからずや。

これまでは、あれこれやつてきた。
これからは、ちよつと集中してやる。

さういふ違ひかな。

つまりは、ちやんと復習しないとほんとに勉強しなくなつてしまつたことになるわけだ。
これは心を引き締めてかからないとな。

いづれにせよ、ラジオ講座は趣味で聞いてゐるやうなものだ。
別段、それで外国語ができるやうにはならないだらうと思つてゐる。
必要がないからだ。

最近、国語教育と英語教育に関する本を読んでゐる。
みんな、ああしたらいいのではないか、これがいけないのではないか、かうしたらどうだらうとさまざまなことを考へてゐる。

でもさ、外国語は必要があつたら覚えると思ふんだよね。
必要に迫られたら、といふべきだらうか。
そのときに重要なのは母国語の力だらう。

といふことは、日本語をもつと学んだ方がいいのか。
しかし、どうやつて……

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