実験
一月末に、友人から「六月はロンドンに行くんぢやないの?」と訊かれたのが遠い昔のことのやうだ。
六月にロンドンといふのは、Queen & Adam Lambert のLIVEに行くんでせう、といふことだ。
例年六月は中村吉右衛門か片岡仁左衛門を見る(そして大抵どちらかは見られる。どちらも見られることも多い)、と決めてゐるやつがれだが、友人からのこの問ひかけには、正直云つて心が揺らいだ。
だが、それももう考へなくてもよくなつた。
歌舞伎すらどうなるかわからない状況だ。
團十郎襲名披露興行だといふのに。
そんなわけで、三月は全観劇の予定が潰えるかと思つたが、劇団☆新感線の「偽義経冥界歌」だけは見ることがかなつた。
見に行くことに不安がなかつたとはいへない。
見に行つてきたいまも、「こののち、「あのとき見に行かねばよかつた」と思ふやうになるのぢやあるまいか」などと思ふこともある。
その一方で、出かけなくてもいいといふのは実に楽だ。
もともとひきこもり願望の強い方である。
「世の中の人はなぜひきこもりを問題だと思ふのだらうか」と悩むくらゐには毎日ひきこもりたい。
ひきこもりが問題なのは、本来ひきこもりたいと思つてゐない人がひきこもらざるを得ない状況にゐるからだらうと思ふほどだ。
それが、いまや世の中公認でひきこもることができる。
さうだなあ、平日はひきこもつてゐて、たまに土日にふらつと外に出る。
そんな暮らしが理想だ。
不要不急の外出を禁じる、とはいふものの、まつたく外出を禁止してゐるわけではない。
生活を維持するのに必要な買物には行つていいし、体力を維持するための散歩なども問題ないのらしい。
それで、問題なく暮らせていけるかどうか、だな。
« ロックダウンにそなへて? | Main | 書いて覚える »
Comments