国語辞典ナイト12: 勉強は好きですか?
月曜日に「国語辞典ナイト12」に行つてきた。
はじめての国語辞典ナイトだつた。
今回は辞書をもとにしたゲームをすることが多かつた。
語釈から単語を当てるといふ逆引き的なゲームもあれば、利用例の初出年がぴつたりな単語を探すといふ「そんな使ひ方したことないぞ」といふやうなゲームや類語や同音異義語をあてるゲームもありの楽しい催しだつた。
そんなわけで、今回はゲームやゲーミフィケーションといふところに焦点を当てたイヴェントだつた。
最初にその件について飯間浩明によるプレゼンテーションがあつた。
その中でなぜ辞書には人気がないのかといふ疑問を呈してゐて、その理由として「勉強に使ふものだから」といふことがあげられてゐた。
小中高の児童・生徒向けの辞書にはほぼ必ず題名に「学習」といふ単語が入つてゐるからぢやないか、とかね。
このときに、「勉強が好きな人はゐないでせう」と云はれて、はつと思つた。
勉強つてなんだらう。
勉強、押しつけられてするのは好きぢやないけど、自分の知りたいことを自分で調べたりするのは好きかも。
それつて勉強ぢやないのかな。
手持ちの「新潮現代国語辞典」第二版の第一義には「しいてつとめること」と書いてある。
確かにそれは好きぢやないな。
第二義の「学問をすること。勉学」はどうだらう。
親や教師から云はれてするのはイヤだけど、自分で進んでするんなら楽しいのぢやあるまいか。
「勉強」といふ文字の元の意味からいつたら、楽しいのは「勉強」ぢやないのかな。
ちなみに第三義の「商品などを安く売ること」については、買ふ側の人なら大抵は好きなのぢやあるまいか。
たぶん、「好きな人はゐないでせう」と決めつけられたのがいけなかつたんだな。
主語が大きい、と最近ではいふけれど、そんな気がしてしまつたのだらう。
それで反発してしまつたのだと思ふ。
「勉強、好きでせう?」と訊かれたら絶対「そんなことあるわけないぢやありませんか」と答へてゐたはずだ。
かういふところに天の邪鬼の悪いところが出てしまふ。
え、天の邪鬼にいいことがあるのかつて?
それは云はない約束よ。
さう云ひつつも、辞書が好きな人には勉強も好きな人が多いんぢやないかと思ふのだがどうだらう。
自分の知らないことを知る、知らないことを調べる、さういふ人と辞書が好きな人とは重なるやうに思ふんだが、如何に。
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