素読をするには
「論語」の素読をちまちましてゐる。
休みの日、それも出かけない日にしかしないので、そんなにできてゐるわけではないが、これは想定内だ。
平日早起きしてだとか帰宅してからだとか、ムリだもの。
ムリなことはしないに限る。
続かないからだ。
とはいへ、いまの状況では続いてゐるといへるのかどうか甚だ心許ないことも確かではある。
でもまあ、やめてはゐない。
あとは自分の気持ちの問題だらう。
ところで、素読とは意味・内容を考へずに音読することだ、と辞書にはある。
これがなかなかむつかしい。
どうしても読むときは意味を考へてしまふ。
どうしたものかとWeb検索をかけてみると、まあ出るわ出るわ、なんだかいはゆるスピリチュアルな匂ひのする記事の数々。
やつがれはただ、昔の人がしてゐたといふことをやつてみたいだけなんだがなあ。
さういふ風に思ふといふことがすでに「スピリチュアル」への第一歩なのだらうか。
さういふ内容はとりあへずおくとして、記事の中には「素読といふのは先生の音読したことをそのままくりかへすこと」といふやうなことを書いてゐるものがある。
北白川幼稚園の記事などがさうだ。
なるほど、誰かの読み上げたものをアウム返しにするだけなら、意味や内容は考へずとも云へるかもしれない。
しかし、それには先生が必要だ。
あるいは誰か別の人。
それとも自分で読み上げたものを録音しておいて、そのあとにつづけてくり返すか。
案外めんどくさいな、素読。
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