その後のトラッカー
今月から Bullet Journal でトラッカーを採用してゐる。
トラッカーでつけることにしたことは、つける前とおなじやうにしない日もあつてでもその後も続けてゐる。
すなはち、トラッカーをはじめる前といまとではなにも変はつたことはないといふことだ。
ではトラッカーは意味がないのか。
前回はさう思つてやめてしまつた。
今回はちよつと違ふ。
トラッカーをつける前といまとで違ふ点は、意識的に取り組むことが増えた、といふことだ。
それまではもう半ば習慣化したことばかりだし、慣れのやうなものがあつて、ただこなすことが多かつたやうに思ふ。
「思ふ」といふのは、これまではそんなこと考へたことがなかつたからだ。
やることに決めてゐるのでやる。
それ以上でもそれ以下でもない。
さういふ感じだつた。
たとへばNHKのラジオ講座だ。
これまでは放映のある日はほぼ毎回聞いてゐて、講座によつては復習をしてゐた。
復習には反訳トレーニングを取り入れてゐる。テキストに載つてゐるダイアローグやヴィニエットなどを和訳したものを見ながら外国語をひねり出すといつた方法だ。
この復習に意識的に取り組むやうになつた。
トラッカーには聞いたら「L」と書き込み、反訳トレーニングをしたらさらに「反」と書き込むやうにしてゐる。両方やると一見「返」といふ字に似たやうなマークになる。
トラッカーをつけるやうになつて、放送のない日にも反訳トレーニングをする日が増えた。
それも、どれくらゐできるか確認しながらやつてゐる。
和訳を見ながらリヴァースした訳を録音し、元の文章と照らし合はせる、とかね。かうすると発音のまづいところもわかつて一挙両得といつた気分にもなる。
トラッカーといふのは習慣化のためのものだと思ふが、習慣となつてしまつたことを意識的に行ふのにも役立つのかもしれない。
もうちよつとつづけて見ないとわからないけどね。
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