完成させなきや意味がない
「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」を見てきた。
構想25年、何度も製作中止の憂き目を見ながらの公開だ。
原題は「The Man Who Killed Don Quixote」。作中でアダム・シンガー演じるトビーが学生時代に撮影した映画の題名にもなつてゐる。
もう上映も最後といふことで見に行つて、ほんたうによかつたと思つた。
名の知れた映像監督のトビーがドン・キホーテを撮りにスペインに渡り、でもなにもかもうまくいかない。
そんな時に学生時代にもドン・キホーテを題材にした映画を撮つたことを思ひ出し、撮影した村を訪れて、といふやうな内容で、現在と過去とがなんの説明もなく切り替はる、「いだてん」を見られなかつた人には到底見ることのできないやうな映画だ。なにしろ現実と幻想とも切り替はつてゐるやうに見えるしね。
しかしながら、かう書くと誤解をまねくかもしれないが、「ラ・マンチャの男」のやうなむなしさの向かうの希望とでもいふやうなものがこの映画にもある。
決して「ラ・マンチャの男」に似てゐるといふわけではないのだが、なんだらうね、ドン・キホーテの力なのかね。
そんなわけで、見てゐてとても切なく、でも最後には抱きしめたいやうないとほしさのある映画で、見に行つてよかつたと思つたし、まづは完成させて、さらには公開してくれて、ほんたうにありがたうといふ気持ちだつた。
完成させることに意味があるんだな。
いま作つてゐるドイリーもあと少しで完成する。
まづは完成させやう。
公開するか否かは、映像作品ではないからまづはおくとして、とにかく完成させやう。
いいものを見た。
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