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Friday, 28 February 2020

2月の読書メーター

2月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1237
ナイス数:20

NHK俳句 ひぐらし先生、俳句おしえてください。NHK俳句 ひぐらし先生、俳句おしえてください。感想
弟子のもずく君が出来過ぎ君なんだけどイヤミがない。もずく君は料理の達人でもあって、ひぐらし先生と二人で食事をする場面を読んでいると、「旬のものを食べるっていいものなんだなあ」と思う。地球温暖化の進む中、次第になにが旬でなにが季節のものなのか判然とはしなくなってきているが、そんな世の中だからこそ俳句を作らない人にも楽しめる本なのではないかなあ。
読了日:02月13日 著者:堀本 裕樹
ユリイカ 2019年5月臨時増刊号 総特集◎橋本治ユリイカ 2019年5月臨時増刊号 総特集◎橋本治感想
あれもこれも読み直したい。そんな気分になる。そして、あれもこれも読んでいないことに気づく。そんなことは読む前からわかっているし、橋本治の全著書を追いかけるなんて無謀ということもわかっているけれど。
読了日:02月16日 著者:橋本治,高野文子,高山宏,さやわか
進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語 (ブルーバックス)進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語 (ブルーバックス)感想
エンリケ・イグレシアスからサウザーときて内臓逆位に触れ、そこから巻貝・カタツムリの右巻き・左巻きの話に及ぶ。おもしろい。出てくる人もみな個性的。でも「日本の科学が自由で、豊かで、誠実で、活力に満ち、世界に対して存在感を発揮していた最後の時代のことである。(p.217)」という一文に思わず涙してしまう。おそらく2000年代のことだ。Twitterでおもしろいと紹介されていたので読んでみた。おもしろい。でも今はどうなの? 日本の科学はどうなってるの?
読了日:02月22日 著者:千葉 聡
The Secret Life of Pronouns: What Our Words Say About Us (English Edition)The Secret Life of Pronouns: What Our Words Say About Us (English Edition)感想
代名詞や冠詞、前置詞に接続詞といった普段はあまり注目されない単語の使い方で為人がわかるし、嘘をついているか否かもある程度の精度でわかるという。これ、日本語だとなににあたるのかね。punctuationの話もあるから、そのあたりは日本語にも適用できるのじゃあるまいか。
読了日:02月28日 著者:James W. Pennebaker
なぜ歴史を学ぶのかなぜ歴史を学ぶのか感想
いい本なのだろうと思いつつ、読んでいてしっくりこない表現が多くてつまずくこと一度ならず。訳者あとがきからの印象では下訳担当の問題なのではないかと思う。もったいない。
読了日:02月28日 著者:リン ハント

読書メーター

Thursday, 27 February 2020

国語辞典ナイト12: 勉強は好きですか?

月曜日に「国語辞典ナイト12」に行つてきた。
はじめての国語辞典ナイトだつた。
今回は辞書をもとにしたゲームをすることが多かつた。
語釈から単語を当てるといふ逆引き的なゲームもあれば、利用例の初出年がぴつたりな単語を探すといふ「そんな使ひ方したことないぞ」といふやうなゲームや類語や同音異義語をあてるゲームもありの楽しい催しだつた。

そんなわけで、今回はゲームやゲーミフィケーションといふところに焦点を当てたイヴェントだつた。
最初にその件について飯間浩明によるプレゼンテーションがあつた。
その中でなぜ辞書には人気がないのかといふ疑問を呈してゐて、その理由として「勉強に使ふものだから」といふことがあげられてゐた。
小中高の児童・生徒向けの辞書にはほぼ必ず題名に「学習」といふ単語が入つてゐるからぢやないか、とかね。

このときに、「勉強が好きな人はゐないでせう」と云はれて、はつと思つた。

勉強つてなんだらう。
勉強、押しつけられてするのは好きぢやないけど、自分の知りたいことを自分で調べたりするのは好きかも。
それつて勉強ぢやないのかな。

手持ちの「新潮現代国語辞典」第二版の第一義には「しいてつとめること」と書いてある。
確かにそれは好きぢやないな。
第二義の「学問をすること。勉学」はどうだらう。
親や教師から云はれてするのはイヤだけど、自分で進んでするんなら楽しいのぢやあるまいか。
「勉強」といふ文字の元の意味からいつたら、楽しいのは「勉強」ぢやないのかな。
ちなみに第三義の「商品などを安く売ること」については、買ふ側の人なら大抵は好きなのぢやあるまいか。

たぶん、「好きな人はゐないでせう」と決めつけられたのがいけなかつたんだな。
主語が大きい、と最近ではいふけれど、そんな気がしてしまつたのだらう。
それで反発してしまつたのだと思ふ。

「勉強、好きでせう?」と訊かれたら絶対「そんなことあるわけないぢやありませんか」と答へてゐたはずだ。
かういふところに天の邪鬼の悪いところが出てしまふ。
え、天の邪鬼にいいことがあるのかつて?
それは云はない約束よ。

さう云ひつつも、辞書が好きな人には勉強も好きな人が多いんぢやないかと思ふのだがどうだらう。

自分の知らないことを知る、知らないことを調べる、さういふ人と辞書が好きな人とは重なるやうに思ふんだが、如何に。

Wednesday, 26 February 2020

この冷たいしやべり方の人は自分?

高校生のとき、八つくらゐ下の子となかよくしてゐたことがあつた。
トランプで遊び、ゲームをし、TVドラマを一緒に見た。

時折、その子が見たいTVドラマの曜日と時間帯やチャンネルを間違へることがあつた。
それを指摘するたびにかう云はれた。
「なんでも知つてると思つてるでせう」

そりや八つ下の子に比べたらさうだし、見たいTV番組と曜日・時間帯・チャンネルの組み合はせについては三つかそこらのころから覚えてゐたと親から聞いてゐる。
でもそれをして「なんでも知つてゐる」といふことはない。

最近、顧客にいろいろと話を伺つてゐる。
とりこぼしがあるといけないので、許可を得て内容を録音しながら行つてゐる。
先日、はじめてその録音内容を聞くことがあつた。
そして、自分のしやべり方に愕然とした。

まー、なんて冷たくて高慢ちきなしやべり方をしてゐるんだらう、この人間は。

といつて、それは自分なのだが。
しやべつてゐるときは全然そんなつもりはない。
相手は客だし、むしろ丁寧に話してゐるつもりだ。
それがどうだらう、この、おつにすまして気取つたやうすは。

なるほど、あのとき、あの子から「なんでも知つてると思つてるでせう」とイヤミのひとつも云はれるはずだ。
こんな云ひ方をされたら自分だつてさう思ふ。

普段からこんなしやべり方なのか、この自分は。

どうしたもんだらうね。
しばらくは録音しそれを聞く機会もあるだらうからなんとか修正していけるだらうか。
とはいへ、しやべつてゐるときは普通にしやべつてゐるつもりなのだから、なほしやうがないともいへる。

とりあへずはできるだけしやべらないやうにするか。

他人についても「なんていけすかないしやべり方をする人だらう」と思ふことがある。
でも本人はさういふつもりはまつたくないのかもしれない。

用心用心。

Tuesday, 25 February 2020

再挑戦

Eleonora in Progress

タティングレースのドイリー、Iris Niebach の Eleonora を作り始めた。

「Tatted Doilies」に掲載されてゐるドイリーで、タティングシャトルを二つ使ふ。
一番の特徴は、目に見えるピコがないことだらう。
すべてのピコはリングやチェインをつなぐために存在する。
かういふデザインが好きでね。

あと、一周するだけでできあがる、といふのもあるか。
一見、二、三段ありさうなドイリーだが、一段だけでできてゐる。
「Tatted Doilies」にはさういふ作品が多い。

そんなわけで、過去にも挑戦してみたことはあるのだが、見事に玉砕した。
つなぐ位置やリングとチェインとの編成を勘違ひしたから、だ。
だつたらほどけばいいのだが、当時のやつがれの技量ではほどくことができなかつた。
リングの端のダブルスティッチが逆向きになつてしまつてゐたのだらうと思ふ。
糸を引きすぎてスティッチも小さくかたくなつてしまつてゐてどうにもならなかつた。

かういふときにはペンチの出番なのかもしれないが、いまに至るまでペンチをどう使ふのか知らぬままである。

なにごとにつけ自分のことを「Experienced Novice」だと思ふのはかういふところだなあ。

写真の後、今回もまんまとリングとチェインの編成を勘違ひし、リングをつないだまましばらく進んでしまつたのだが、なんとか復旧した。
復旧できるやうにリングを作ることができるやうになつた、といふべきなのかもしれない。
全然上達してゐないやうで、どこかではうまくなつてゐる部分もあるんだな。おそらくは。

そんなわけで、なんとかつづけて作つてゐる。
問題は、長いチェインが多いのでできあがつたときにちやんと平たくなるか、だな。

本では円形になつてゐるが、Web検索して出てくる写真には六角形に近いやうな形のものもある。
円形に近い方が好きなんだけどなー。

それにしても、Web検索して出てくる写真のすばらしいことよ。

「Tatted Doilies」のほかのドイリーも作りたくなつてきてしまふぢやあないか。

Monday, 24 February 2020

レッグウォーマ

Leg Warmers

レッグウォーマを編み終はつた。

パピーのシェットランド二玉を使ひ切るためといふのもあつた。
なので、足部分の長さがちがふのは毛糸だまの長さがことなるからだと思ふ。

4号針で60目、ゴム編みの作り目にして二目ゴム編みでひたすら編む。
毛糸の残り具合を見ながらかかとを伏せ留めし、次の段で作り目してまた二目ゴム編みで足の部分を編んだ。
足の部分は通常シェットランドくらゐの太さ、つまり並太毛糸でくつ下を編むときの標準目数にした。
すなはち48目だ。
最後はゴム編み留めにした。

なにも考へずに作り目をしたが、60は48の1.25倍だつた。
これくらゐ余裕があると、寝間着の上から履いても余裕がある感じだ。
その他の太さの毛糸で編む時に参考になるだらうと思ふ。

このあたたかいのにレッグウォーマなんぞを編んでも、と思はないでもない。
編み終へたあとも、「出番は次の冬かな」とか思つてゐた。

だが、夕べはそれなりに冷えたので履いて寝てみた。
いい感じだ。
しめつけないのがいい。
それでゐて脱げてくるほどゆるくもない。
つま先とかかとがないので最初はちよつと冷える気もするが、段々あたたかくなつてくる。
これ、普段出かけるときに履いてもいいよなあ。その場合は下に、だけど。

つま先もかかともないくつ下を編むのは案外つまらないものであつた。
でも履いてみると案外いい。
世の中、さういふものなのかもしれない。

つま先とかかとが編みたいので次はくつ下を編むつもりでゐたが。
なんだかかぎ針編みをしたい気分。
どうしたものだらう。

Friday, 21 February 2020

歌舞伎「風の谷のナウシカ」の主人公はナウシカであることについて

十二月に新橋演舞場で上演された歌舞伎「風の谷のナウシカ(以下「ナウシカ」)」が映画館で上映されてゐる。
いまは昼夜上演されたうち昼の部が上映されてゐて、東劇では日延べ興行が決まつたさうな。

「ナウシカ」の主人公はナウシカである。
それはもう「義経千本桜」の主人公が義経であるのと同様にさうである。

「義経千本桜」は、現行上演される部分を見てゐると、各段に主役がゐて、義経は脇役といふやうな印象があると思ふ。
知盛が権太が忠信が主役で、とくに忠信が主役で、義経は狂言廻しに過ぎない印象があるだらう。

でもこの狂言廻しこそが古典、とくに丸本物の芝居の主人公なのだ。
「義経千本桜」の義経がそれにあたる。

だいたい、義経でなかつたら「義経千本桜」は成り立たない。
義経の代はりに範頼をおいてみればわかる。
範頼は頼朝の勘気のせゐで大物浦に逃げたりしない。四天王もゐないし愛妾もゐない(作ればいいけれど)。自分の身代はりになつて死んだ家来もゐない(探してみてはゐないけれど)。
権太だけはなんとかなるかもしれないが、範頼が主役だと知盛と忠信の出番はない。
義経だから知盛も忠信も活躍できる。

丸本物ではないが「勧進帳」もさうだ。
ところは安宅でなくてもかまはない。
関守が富樫である必要はないし、関守とやりとりするのは鎌田正近とかだつていい。
ただ、義経だけは他人にすげかへることはできない。

TVドラマの「水戸黄門」もさうだ。
タイトルロールなのだから主人公は黄門様だらう。
でも実際にドラマを見てみると、毎回のゲストが主役となつて話が展開する。
黄門様の役割はゲストを助けることだが、立ち回りでさへ助さん格さんにまかせてしまふ。
だが、毎回のゲストは誰でもいいし、助さん格さんは黄門様だからついてきてくれてゐる。ところの悪代官も相手が黄門様だからいふこともきく。
黄門様は変へられないのだ。

「ナウシカ」のナウシカもさうでせう。
厳密にいふと、フィクションだからナウシカでなくてもいい。
でもナウシカのやうな役回りの人物が主人公だからこそ話が展開する。
原作と人物造形が違ふと非難する向きもあるが、だつて歌舞伎だもん。
歌舞伎とはさうしたものなんだもん。

新橋演舞場で「ナウシカ」を見たとき、ナウシカを演じる尾上菊之助を見て、「義経役者の家の人だなあ」としみじみ思つた。

歌舞伎「風の谷のナウシカ」の主人公は正しくナウシカ。

さう信じてゐる。

Thursday, 20 February 2020

素読をするには

「論語」の素読をちまちましてゐる。
休みの日、それも出かけない日にしかしないので、そんなにできてゐるわけではないが、これは想定内だ。
平日早起きしてだとか帰宅してからだとか、ムリだもの。
ムリなことはしないに限る。
続かないからだ。

とはいへ、いまの状況では続いてゐるといへるのかどうか甚だ心許ないことも確かではある。
でもまあ、やめてはゐない。
あとは自分の気持ちの問題だらう。

ところで、素読とは意味・内容を考へずに音読することだ、と辞書にはある。
これがなかなかむつかしい。
どうしても読むときは意味を考へてしまふ。
どうしたものかとWeb検索をかけてみると、まあ出るわ出るわ、なんだかいはゆるスピリチュアルな匂ひのする記事の数々。

やつがれはただ、昔の人がしてゐたといふことをやつてみたいだけなんだがなあ。
さういふ風に思ふといふことがすでに「スピリチュアル」への第一歩なのだらうか。

さういふ内容はとりあへずおくとして、記事の中には「素読といふのは先生の音読したことをそのままくりかへすこと」といふやうなことを書いてゐるものがある。
北白川幼稚園の記事などがさうだ。

なるほど、誰かの読み上げたものをアウム返しにするだけなら、意味や内容は考へずとも云へるかもしれない。
しかし、それには先生が必要だ。
あるいは誰か別の人。
それとも自分で読み上げたものを録音しておいて、そのあとにつづけてくり返すか。

案外めんどくさいな、素読。

Wednesday, 19 February 2020

早く云つてよ

鎌倉幕府がはじまつたのは1192年。
学校ではさう教はつた。
研究が進み、どうやら1185年といつた方が正しい、といふ話が出てきたのはいつごろだつたらう。

スリランカの首都はコロンボ。
こどものころ我が家にあつた地球儀ではさうなつてゐた。
いつのまにかスリジャヤワルダナプラコッテに変はつてゐた。
いまはどうなのか、よくわからない。

斯様に、学校で学んだことやこどものころ覚えたことは変はる。
研究の結果いままでの知識が間違つてゐたことがわかつたり、新たな発見によつて書き換へられたり、単に事実が変はつたり(首都移転とか地名変更とか)。

それについて、「あれこれ変へないでほしい」と云つてゐるのを聞いたことがあるが、まあ、それはムリな話だ。
だつて変はつちやつたんだもん。
学校で習ふことは、ここまでの発見・研究の成果でしかない。
学校で教はることはその時点では正しいかもしれないが、未来永劫正しいとはかぎらない。
そんなことは学校では教はらなかつたけれど、なんとなくわかつてゐたやうに思ふ。
ゆゑに「いい国作らう鎌倉幕府」が使へなくなつても、「世の中つてさういふもんだよな」と思つた。

しかし、最近さう思へないことがある。
いはゆるポリティカル・コレクトネス(以下PC)に関はることとかね。
いつのまにさうなつたの、と思ふ。
このまへちらつと見かけたPC関連の本が1997年出版と書いてあつたから、そのころにはもう取りざたされてゐたのだらう。

知らなかつた。
どうして教へてくれないんだよ。
いきなり聞いても受け入れられないぢやんよ。

また、TwitterのTime Lineで見かけることに、「自分の気分次第で相手にあたつてはいけない」といふことや「相手の容姿・身体的特徴に言及してはならない」などといふやうなことがある。

正論だ。
正しい。
でもさー、それ、いままでみんなやつてきたことぢやん。
「みんな」は主語が大きすぎるだらうか。
でも「自分の気分次第で相手にあた」り散らす親の元で育ち、就職してからもそんな上司ばかりで現在もさうとなると、「自分の気分次第で相手にあたつてはいけない」といふのは正しいかもしれないけど、万人に受け入れられてゐるわけぢやないし、常識ぢやないよね、と思ふ。

ぼんやり眺めてゐると、じわじわとだんだんさうなつてきてゐたのだらうとは思ふ。
でもなー、だつたらもつと早く教へてほしかつたよ。
なんでいまごろ、それももう「こういふことに決まつてゐるから」みたやうに押しつけられなければならないんだらう。
いいことなんだからさ、もつと早くに云つてよ。

と、学校で教はつたことがあれもこれも変はつてしまつて「あれこれ変へないでほしい」と云つた人も思つたのかもしれない。

Tuesday, 18 February 2020

整形も糸巻きも

タティングレースのドイリーはほぼできて、あとは整形するだけだ。
これができない。
なんでできないんでせうね。
またやつてもきれいにできないんだ。
さう思ふから余計にやりたくないんだらう。
いづれにしても、見るからに「タティングレース!」といふ感じのドイリーができた。
それだけは確かだ。

で、次になにを作るか、なのだが。
「今年はドイリーを作る!」と先月ここにも書いたやうな気がするが、これといつて作りたいドイリーがない。
RenulekのSpring Doily 2014に再チャレンジしてもいいのだが、といふのは一カ所みごとに間違へてしまつたところがあるからだが、どうしたものかなあと思つてゐる。
もともとこのドイリーは何枚か作りたいと思つてゐたからここでもう一枚といふ手もある。
でもなあ、結構糸を消費するしなあ。
つまり、タティングシャトルに糸をたくさん巻かねばならない。
いま、その気力がないのだつた。

いかんなあ。
整形もできない、シャトルに糸も巻けないではなにもできない。

そんなところにちよろつと「栞、作りたいかも」みたやうな気分になつたりもしてゐる。

Spring Doilyを作るのに使つてゐたシャトルにまだ糸が残つてゐるので、それで栞を作るかな。
で、その後新たな気分でなにかしらドイリーを作る。

それがいいかもしれない。

Monday, 17 February 2020

このあたたかいのに編んでゐる

二月だといふのにめうにあたたかい。
こんなにあたたかいのにレッグウォーマといはうか長めのヨガソックスを編んでゐる自分はなんなのだらうと思ひつつも編んでゐる。

編んでゐたらまたすこし寒さが戻つてくるといふので、このヨガソックスも無駄になることもあるまい。

パピーのシェットランドを4号五本針で編んでゐる。
作り目は60目。ゴム編みの作り目をして二目ゴム編みをひたすら編む。
寝間着の上からも履けるやうにかなりゆつたりめだ。
つま先とかかとは編まず、足の部分は通常のくつ下くらゐのサイズで編んでゐる。
もう片方はできあがつてゐて、普通に履くとふくらはぎをすつぽり包むやうな長さだ。
なかなかぬくい。

これも This-is-the-BBC Waistcoat を編んで余つた糸で編んでゐて、これで最後だ。
最後の二玉だつたので、片足一玉づつ編み切る感じだ。

ヨガソックスを編んでゐると、くつ下編みの醍醐味といふのはつま先とかかととにあるのだなあとしみじみ感じる。
ここのところくつ下を編んでゐないから次は久しぶりにくつ下を編むかなあ。
かうして五本針とか四本針でちまちまちまちま輪に編んでゐるのはとても楽しい。
でもつま先やかかとがあつたらもつと楽しいだらう。
そんな気がする。

五本針や四本針で編むときは針と針とのあひだにゆるみやすい。
これを防ぐには、各針にかかつてゐる最初の二目をきつめに編むことだ。
一目だけだとゆるみやすい。
二目きつく編む。これだけで仕上がりが全然違ふ。
三目きつく編んでもいいけど、このあたりはもう好みになつてくるかな。
二目だけでは足りなくて三目きつく編んでゐた時期もある。
手がゆるいからだらう。
最近は二目だな。

そんなわけで、せつせと編んでるし、まだ冷える日もあるだらうけれど、なんかもう毛糸であみものつて無理なのかな、とも思ふ。
世の中、どんどんあたたかくなつてゐるしね。
だつたら綿や麻を編めばいいぢやない、といふかもしれない。
でも羊毛の糸が一番編みやすい気がするんだよなあ。

Friday, 14 February 2020

KPTは和製英語?

KPTといふことばがある。
Keep, Problem, Tryの頭文字を取つたものださうな。
主に、仕事の場でなんらかのタイミングで来し方をふり返る際に用ゐられる手法だといふ。
これからもつづけたいことはK、うまくいかないとかなんとか問題だと思つたことはP、この先かういふことをしやうといふことはTとする。

これね、なんで品詞がバラバラなんでせうね。
とても気持ちが悪い。
keepやtryは名詞としても用ゐるが、keepは意味が違ふよね。
その三つを並べることで、ものすごく違和感がある。
ほかの人はさうぢやないのかな。
違和感はあつてもいいものだから(多分)つづけてゐるのだらうか。

似たやうなものに Fun, Done, Learnといふのもあつて、これもやつぱり背筋のぞはつとするところがあることばだ。
うーん、なんでかうなつてしまふんでせうね。

さう思つてゐたら、YWTといふのもあるんださうな。
「やつたこと」「わかつたこと」「つぎやること」の頭文字をとつたものだといふ。

やつぱり「KPTつてなんか気持ち悪いよね」と思つた人がゐるんぢやないかなあ。

Thursday, 13 February 2020

カバンの中身の棚卸 文具篇

荷物を減らしたい。

部屋の中や家の中の荷物もさうだけれども、カバンの中の荷物も減らしたい。
重たいからだ。

文房具好きは荷物の多くなりがちなもの、とわかつてはゐても減らしたい。

それでも減らしてはゐる。
現在持ち歩いてゐるノートは四冊。
Lサイズ(B6にリング製本部分がくつついたくらゐの大きさ)のRollbahn 2020、B6サイズの薄いRollbahn 2020、SmythsonのPanama、測量野帳だ。
LサイズのRollbahnはBullet Journalとして使つてゐる。
B6サイズの方は年間の記録を書き留める用。読んだ本・見た芝居・聞いた落語・見た映画を記録してゐる。
Panamaはたくさん書きたいとき用。
測量野帳はぱつと取り出してメモしたい時に使ふ。
かう書くと、B6サイズのRollbahnは持ち歩かなくてもいいやうな気もするな。薄いからといふので見過ごしてゐるけれども。

紙の手帳で困ることといつて、過去に書いたことを見返すには自宅に帰らないといけないことだ。
持ち歩いてゐる手帳に書いてあることならいい。
自宅(もしくは職場もありうるか)においてある過去の手帳を見返すには、その場にゐなければならない。
これがもどかしいことがあつてね。

ペンは以前にくらべたらだいぶ減らした。
つくしペンケースの中にボールペン、シャープペンシル、三色ボールペンが一本づつと万年筆が二本入つてゐる。
あとはナガサワ文具センターの三本差しのペンシースに万年筆が三本と、かばんのあいてゐるところにペンシースに入つた万年筆が三本、ペンジャケットに入つたブラマンが一本。
それとRollbahn 2020にさしてゐるキャップレスデシモ。
併せて一ダース+一といつたところか。

多いかー、一ダースだと。
どれも使ふから持ち歩いているし、持ち歩かないと使はなくなるといふこともある。
自宅にゐる時間が少ないからね。
ちよつと前まではさらに三本差しのペンシースをもう一つ持ち歩いてゐたのだが、それはやめた。

全部B6サイズ用のバッグ・イン・バッグにおさまつてはゐるので、そんなに多くはないと思ふんだけどなー。
欲を云つたら5×3の情報カードも入れたい。
入らないこともないんだが。
むう。

かうして棚卸しをしても減らせないといふことは、全部必要といふことだらう。
自宅で過ごす時間が長くなれば、自然と荷物も減る気はする。

それまではこんな感じかな。

Wednesday, 12 February 2020

その後のトラッカー

今月から Bullet Journal でトラッカーを採用してゐる。
トラッカーでつけることにしたことは、つける前とおなじやうにしない日もあつてでもその後も続けてゐる。
すなはち、トラッカーをはじめる前といまとではなにも変はつたことはないといふことだ。

ではトラッカーは意味がないのか。
前回はさう思つてやめてしまつた。
今回はちよつと違ふ。
トラッカーをつける前といまとで違ふ点は、意識的に取り組むことが増えた、といふことだ。

それまではもう半ば習慣化したことばかりだし、慣れのやうなものがあつて、ただこなすことが多かつたやうに思ふ。
「思ふ」といふのは、これまではそんなこと考へたことがなかつたからだ。
やることに決めてゐるのでやる。
それ以上でもそれ以下でもない。
さういふ感じだつた。

たとへばNHKのラジオ講座だ。
これまでは放映のある日はほぼ毎回聞いてゐて、講座によつては復習をしてゐた。
復習には反訳トレーニングを取り入れてゐる。テキストに載つてゐるダイアローグやヴィニエットなどを和訳したものを見ながら外国語をひねり出すといつた方法だ。
この復習に意識的に取り組むやうになつた。
トラッカーには聞いたら「L」と書き込み、反訳トレーニングをしたらさらに「反」と書き込むやうにしてゐる。両方やると一見「返」といふ字に似たやうなマークになる。
トラッカーをつけるやうになつて、放送のない日にも反訳トレーニングをする日が増えた。
それも、どれくらゐできるか確認しながらやつてゐる。
和訳を見ながらリヴァースした訳を録音し、元の文章と照らし合はせる、とかね。かうすると発音のまづいところもわかつて一挙両得といつた気分にもなる。

トラッカーといふのは習慣化のためのものだと思ふが、習慣となつてしまつたことを意識的に行ふのにも役立つのかもしれない。
もうちよつとつづけて見ないとわからないけどね。

Tuesday, 11 February 2020

完成させなきや意味がない

「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」を見てきた。
構想25年、何度も製作中止の憂き目を見ながらの公開だ。
原題は「The Man Who Killed Don Quixote」。作中でアダム・シンガー演じるトビーが学生時代に撮影した映画の題名にもなつてゐる。

 

もう上映も最後といふことで見に行つて、ほんたうによかつたと思つた。
名の知れた映像監督のトビーがドン・キホーテを撮りにスペインに渡り、でもなにもかもうまくいかない。
そんな時に学生時代にもドン・キホーテを題材にした映画を撮つたことを思ひ出し、撮影した村を訪れて、といふやうな内容で、現在と過去とがなんの説明もなく切り替はる、「いだてん」を見られなかつた人には到底見ることのできないやうな映画だ。なにしろ現実と幻想とも切り替はつてゐるやうに見えるしね。

 

しかしながら、かう書くと誤解をまねくかもしれないが、「ラ・マンチャの男」のやうなむなしさの向かうの希望とでもいふやうなものがこの映画にもある。
決して「ラ・マンチャの男」に似てゐるといふわけではないのだが、なんだらうね、ドン・キホーテの力なのかね。

 

そんなわけで、見てゐてとても切なく、でも最後には抱きしめたいやうないとほしさのある映画で、見に行つてよかつたと思つたし、まづは完成させて、さらには公開してくれて、ほんたうにありがたうといふ気持ちだつた。

 

完成させることに意味があるんだな。
いま作つてゐるドイリーもあと少しで完成する。
まづは完成させやう。
公開するか否かは、映像作品ではないからまづはおくとして、とにかく完成させやう。

 

いいものを見た。

 

Monday, 10 February 2020

ニットの日ださうな

土曜日に歌舞伎座から帰つてきて、「レッグウォーマかヨガソックスでも編むか」と思ひたつた。
This-is-the-BBC Waistcoat を編んだ毛糸がまだ二玉残つてゐる。
これでヨガソックスかな。

さう思つてRavleryでなにかおもしろいものがないかと検索したところ、なぜかネックウォーマを編み始めてしまつた。
eye of partridge のすべり目の部分を裏編みにする模様で、ちよつとおもしろさうだつたからだ。
でも昨日もちよつと編んでみて思つたやうな柄にならないので、やはり初心に従つてヨガソックスにしやうかな、といま考へてゐる。

This-is-the-BBC Waistcoat といへば、昨日は友人とそのお嬢さんと会食をした。
といへば聞こえがいいが、友人とは昼飲みといふのをした。
この時にはじめて他人に This-is-the-BBC Waistcoat を披露した。
二人とも「再現性が高い」と評価してくれた。
お世辞とわかつてゐてもうれしい。

This-is-the-BBC Waistcoat とは、映画「ボヘミアン・ラプソディ」のBBCの場面で本物のブライアン・メイがカメオ出演してゐる部分で着てゐるヴェストを模したものだ。
いはゆる「ヲタ編み」である。
編んで満足してはふつておいたのを、昨日出してきた。

なんの変哲もないヴェストだが、一応、ほんものとは襟刳りと袖刳りの深さを合はせたつもりでゐる。

この場面にはロジャー・テイラーも出てゐて、こちらの灰色のカーディガンも編みたいのだが、パターンを起こすところからはじめないといけないのでまだ着手できずにゐる。
灰色の毛糸はあるから試し編みをしつつパターンを起こす……といきたいところだが、いまあまり気力がない。

とりあへず今日はネックウォーマをほどき、ヨガソックスを編み始めることにしたい。

ニットの日だしな。

Friday, 07 February 2020

色メガネの色を薄くする

アキラ効果」といふことばがある。
blog「わたしが知らないスゴ本はきっとあなたが読んでいる」の「アキラ効果を確認する「知的トレーニングの技術」といふ記事に出てくる。

C4Dbeginnerさんといふ人の2015/5/6のTweetから生まれたことばだといふ。
つぶやき主は大学生の漫画好き男子に「大友克洋の何が凄いのか全然わからない」といはれたといふ。「「AKIRA」も「童夢」も他の漫画によくあるシーンばかりじゃないですか」と。

これもTwitterで知つた話に、先輩から「ドラゴンボール」が最高だと吹き込まれて読んだ若者がどこが最高なのか全然わからなかつたといふやうなことをWebに書いてゐたといふのがある。
これも「アキラ効果」なのかな。

当時は画期的でそれまでなかつたやうなことが、いま見るとありふれたものに見える。
ドラゴンボール」に関していふと、毎週「今回はどうなつてゐるんだらう」と連載を読んでゐたのとまとめて読むのとでは違ふんぢやないかといふ気もするけれど、なんか、まあ、そんな感じ。

これもちよつと違ふかもしれないが、映画好きといふ若い子(二十代くらゐだらうか)がヴィスコンティを知らないことに中野翠が驚いてゐたことがある。
そのときは、ヴィスコンティからこつち数多の映画があるわけし、なかなかそこまで手が届かないよね、と思つたわけだが。

さうかー。
史記」の「淮南侯列伝」を、「出た! 国士無双!」だとか「待つてました、背水の陣!」だとか、それこそかけ声をかけんばかりに読んでゐるからなー、やつがれは。
ちよつとわかんない感覚だな、と書き掛けて、だが待てよ、と思ふ。

大友克洋やヴィスコンティのの作品がまんがや映画、あるいは歴史の中でどういふ位置を占めるのか。
それを理解してゐないと読んだり見たりしてはいけないといふことだらうか。
それはないと思ふんだよな。

作品を鑑賞するにあたり、作者の為人や生ひ立ち、時代的背景などを前提にするのはよくないことだと思つてゐる。
分析するだとか学問として読むとかいふのならそれは必須だらうが、単に好きで読み好きで見聞きするだけなら、そんな情報は邪魔でしかない。

作品だけで勝負したい。
さう思ふ。

だとしたら、先駆者の作品にふれるときも、それが後世に如何に影響を及ぼしたものかなどを知る必要はない。

おそらく、さういふ知識なしで読んだり見たりしても、大友克洋のまんがもヴィスコンティの映画もすばらしいものだと思つてゐる。
あ、まあ、ものによつてはそれほどでもないもののもあるだらうけどさ。

読み見る前に「大友克洋も知らずにまんがを語るな」だとか「え、映画好きなのにヴィスコンティも見てないの?」だとかといふ余分なことばが鑑賞眼をくもらせることもあるだらう。

ありとあらゆる情報を遮断した状態でまんがや映画、小説や芝居を味はふことは無理なことだ。

そのうへで、できるだけ偏見のない目で見聞きしたいな、と、たまに思ひ出したやうに考へるのだが、その境地に達するのはむつかしいな。

Thursday, 06 February 2020

ありふれた備忘録ではあるけれど

ここのところ、また commonplace book に心惹かれてゐる。

commonplace book の日本誤訳は「備忘録」ださうな。
これに違和感がある、とは以前も書いた。

commonplace を辞書で引くと「ありふれた」とか「平凡な」とかといふ意味が出てくる。
「ありふれた本」?
あまりありがたみがない。

名前はどうあれ、commonplace book はなかなかいい、といふ話もここに何度か書いた。

commonplace book には、気になることばを書きとめてゐる。
本で読んだものはもちろん、映画やTVで見聞きしたことや、ブログやTwitterなどで見かけたことばも書き留める。

commonplace book のいいところは、一種の日誌・日記として使へるといふことだ。
日付をきちんと記すことで、「あのころ自分はこんな本を読んでゐたのかー」だとか「こんなこと考へてたんだなー」といふことがよくわかる。
普通の日誌・日記よりもわかりやすいかもしれない。
系統立てて読書をしてゐる人ならもつとさうだらう。

また、さまざまなソースから集めてきたことばをつらつら眺めるだけで通常だつたらつながらないはずのことばや考へがふしぎとつながつたりもする。
たまたまやつがれは、かういふ「全然違ふもの同士が出会つたことで生まれる事柄」に目がないもので commonplace book に入れあげてゐるのかもしれないが、自分が楽しいからそれでいいのだ。

現在は、美篶堂のB6ノートを commonplace book にしてゐる。ノートカヴァーつきのノートだ。
消費税が8%になる直前、日本橋丸善で開催されてゐた万年筆祭で注文したものだ。
受け渡しが四月になるから消費税があがつてますけどいいですか、と確認されたから間違ひない。

このときは特別にバンクペーパーを選べたので、それにした。
受け取つて、長いことそのままにしてゐた。
なにを書いていいかわからなかつたからだ。
普段の美篶堂にバンクペーパーは選択肢にない。
使つてしまつたらこれで最後だ。
さう思ふと使へなくてなー。

そんなわけでカキモリに行つたときもノートを作れなかつた。
作つたところで使へないからだ。
世界でたつた一つのノートだよ。
使つたらそれで最後。
そんなものを使へるだらうか。

美篶堂のノートが使へるやうになつたのは、なにも自分でかいたものをかきつらねなくてもいいといふことに気がついたからだ。
他人のことばを書きつらねればいいではないか。
かくして、読んだ本や見た映画・TV番組その他から気に入つたことばを書き写してゐる。

もつたいなくて使へないノートを抱へこんでゐる人にも commonplace book は最適だ。
すてきなノートを開くと、さまざまな人のさまざまなことばが並んでゐる。

いいんぢやあるまいか。

Wednesday, 05 February 2020

歌舞伎の新作どうなるの

昨今、歌舞伎では「ONE PIECE」や「NARUTO」、「風の谷のナウシカ」などまんがやアニメで有名な作品をとりあげて舞台にあげてゐる。
これまでの歌舞伎の流れに沿つたやり方だ。
誰もが知つてゐるものを芝居に仕立てる。
古典のやり方となにも変はるところがない。

浄瑠璃・歌舞伎は、誰もが知つてゐることから作り上げた話を上演することが多かつた。

際物なんてのはつひ最近起こつた事件を題材にしたものだからもちろん誰でも知つてゐるし、時代物の源平合戦や戦国時代に関はる人々とその逸話は、浄瑠璃や歌舞伎を見に来る人なら誰でも知つてゐる、さうしたものが多い。
まつたく元ネタのない芝居といふものもあつたらうが、いまちよつとぱつとは思ひ出せない。

いまの世の中、誰もが知つてゐる話といふのはあまりない。
以前だつたら印籠を取り出す所作をして「控へおらう!」と呼ばはれば「水戸黄門だな」とわかつたし、「殿中でござる殿中でござる」は忠臣蔵といふのは説明する必要のないものだつた。
子どもが「殿中つてなに?」と訊けば親が忠臣蔵を教へることができた。

「ONE PIECE」も「NARUTO」も「風の谷のナウシカ」も海外でも好評を博してゐる。
大道具その他舞台機構等をどうするかを考へる必要はあるだらうが、海外上演も視野に入れた選択だつたのだらうと思つてゐる。

いまはまだ初演からそれほど時間がたつてはゐないけれど、この先再演をくり返すことで内容もどんどん練られていくだらう。

ただ、その先にはこれまでの流れはない。

近松門左衛門が「碁盤太平記」をものし、それが「仮名手本忠臣蔵」につながり、やがてそこから派生して「東海道四谷怪談」が誕生する、といふやうな流れは、いまは期待できない。

「ONE PIECE」や「NARUTO」、「風の谷のナウシカ」が再演をくり返して大人気となつたら、江戸時代の流れでいふと、この先待つてゐるのは悪のルフイやナウシカの芝居やこの三つの話をなひまぜにした、あるいはほかの作品となひまぜにしたやうな芝居だ。

しかし、いまはさうはならない。
著作権があるからだ。

宮崎駿やジブリは悪のナウシカなんて絶対許可しないだらうし、そもそもナウシカから派生した話を作ることも許さないだらう。
集英社がうんといへば「ONE PIECE」と「NARUTO」とのコラボレーションはあるかもしれないが、江戸の芝居にあるやうな、そこからとんでもない内容の芝居を作るのはむつかしい。
「隅田川」から「桜姫東文章」や法界坊が生まれたやうな、そんな離れ業はもう不可能なのだ。

さうすると、新作を作るには今後も人気のあるもの世に知られたものを探してきて芝居にするしかない。

宝塚歌劇団は新作と再演をくり返してとても魅力的な劇団になつてゐる。これを手本とするやうなのではあるまいか。

Tuesday, 04 February 2020

ドイリーその後

Renulek の Spring Doily 2014 はだいぶ完成形が見えてきた。
あと二回ほどくり返すと完成だ。
最初から三段目までしか作らない予定だつたからな。

見れば見るほどタティングレースらしいドイリーだ。
まだできあがつてゐないけれど。
だが、もつと大きくしたいといふ気にはならない。
三段目までで、ほかの色で作つてみたいなあとは思ふ。

大きいドイリーで作つてみたいといふと、「華麗なるレース タッチングレース(いまは「タティングレース」になつてゐるだらうか)」に掲載されてゐたドイリーだ。
外側の七宝模様の部分を別に作つてあとからつけるといふものだつたと思ふ。
DMCのおそらくコルドネスペシャルの40番で作り始めてほぼ完成までこぎつけた、と記憶してゐるのだが、当時いろいろあつてどうなつてしまつたか記憶にない。
中央部分も七宝部分もできあがつてゐた。
あとはつなぐだけだと思つてゐたんだがな。

あのドイリーをもう一度作つてみやうか。
さういふ野望にかられることもある。
でもなあ、あれ、もう「ドイリー」といふよりは「テーブルセンター」だよね。
我が家の食卓は大きいが、長方形なのであのドイリーだと端が垂れてしまふ。
80番とかで作ればいいのかもしれないが……うーん。

DMCもどんどん既存のレース糸を切り捨ててるやうだしなあ。
気のせゐ?
セベリアとかコルドネスペシャルとかスペシャルダンテルとか大好きなのに。
などといひつつ今使つてゐるのはLisbethの40番なんだけれどもね。
Lisbethは20番、40番、80番を使つたことがあるが、20番が一番いいやうな気がしてゐる。

Spring Doily 2014を20番で作るといふのも一興か。

Monday, 03 February 2020

ほどきながら編む

Moebius Cowl

Moebius Cowl を編み終へた。

編み終はつたのは水曜日のことだが、もうずいぶん昔のことに感じられる。

をかしいな。

Moebius Cowl in Progress

デザインしたのはCat Borhdi、糸はHand Maiden の Casbah は Twilight colourway、針は11号針を使つた。


かせから玉にしやうとしたら糸がもつれて出てこなくて、といふ話は先週ここに書いた。

ほどいては編みほどいては編みのくり返しだつた。

前回も書いたやうに、おそらくスーパーウォッシュ加工をしてあるので、糸同士が絡み合ふことはなく、思つてゐたよりは楽に糸をほどくことができた。


でもまあ、途中でいやになつたし、途中もなにも自分がいいと思つたところで終はる感じだつたので(実際にはちやんと何段編むと書いてあるのだが、ゲージが違ふのでそこは無視した)、頃合ひをみはからつて終はりにした。


からみあつたままのかせが残つてしまつてねえ。

これをどうしたものだらうか。

まだヘアバンド的なものは編めるくらゐの量が残つてゐる。


これ、ほどくのかなあ。

ほどくとして、どれくらゐ時間がかかるだらう。


このMoebius Cowlは17日の金曜日に編み始めた。

すすみ具合からいくと次の週の半ばにはできあがつてゐたものと思はれる。

でもそれは、ほどきながら編むからいつもよりせつせと編んでゐたせゐかもしれない。

さうも思ふ。


いづれにしても、やはらかくて気持ちのいいネックウォーマになつたので、まあよしとしたい。


次に編むものが決まつてゐない。

決めたいのだが、目の前のもつれたかせが気になつてどうも。

Saturday, 01 February 2020

1月の読書メーター

1月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1796
ナイス数:22

セレクション関口存男 和文独訳漫談集セレクション関口存男 和文独訳漫談集感想
ゲーテのことばに「Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen. 」というのがある。「外国語を知らぬ者は母国語についても何も知らない」という意味だそうで、この本を読むと「そういうことなのか!」と合点がいく。日本語をそのまま訳すのではなくドイツ語にしやすいように云い変えてから訳す。そのためにはドイツ語として自然な表現を知らねばならぬし、日本語の特徴も知る必要がある。ドイツ語の部分が多いけれど、他の言語にも通じることが多い。
読了日:01月04日 著者:関口 存男
The Big Over Easy: An Investigation with the Nursery Crime Division (Nursery Crimes)The Big Over Easy: An Investigation with the Nursery Crime Division (Nursery Crimes)感想
去年この著者の本が翻訳された(「雪降る夏空にきみと眠る」)のが嬉しくて再読。ナーサリー・クライム課の刑事ジャック・スプラット (could eat no fat) が配属されたばかりのメアリー・メアリーや異星人のアシュリーその他変わった同僚たちとともにハンプティ・ダンプティ殺害事件に挑む。事件を横取りしようとするエリート刑事の邪魔にあったり娘がプロメテウスと恋に落ちたりジャックは忙しい。登場人物やイヴェントがマザー・グースや童話と関連あったりするから翻訳はされないかなあ。相変わらず世界がよくできている。
読了日:01月09日 著者:Jasper Fforde
ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)感想
役割語はダニエル・カーネマンいうところの「システム1」で処理できるということか。ことば遣いによって差別が発生する理由もなんとなくわかった気がする。「ドラゴンボール」に登場する孫悟飯が両親とはまるでことば遣いが違うのは、読者に受け入れてもらえるようにという考えもあったのかな、と思った。
読了日:01月12日 著者:金水 敏
だから、何。だから、何。感想
数年ぶりに手にした中野翠のコラム集は、やはりおもしろかった。中野翠のいいところは「自慢だけど」とはっきり書くところかな。普段TLで「人知らずして呟く」という感じの呟きをいくつも目にしているからかもしれない。旅行の手配をしてくれる妹夫婦に「いちおう」感謝、なんてのもいい。毎年楽しみにしていたのだが、どこか気に触る部分が増えてきてしばらく読んでなかった。読まずにきた分も読んでみようかな。
読了日:01月13日 著者:中野 翠
The Fourth Bear: A Nursery Crime (A Nursery Crime Novel)The Fourth Bear: A Nursery Crime (A Nursery Crime Novel)感想
三匹のくまのベッドが三つの理由がそれだったとは……とか、読み返してなおおもしろい。前作同様不死身といおうか無敵の相手に命を狙われる主人公ジャック・スプラット。今回はちょっとターミネーター風味かな。この本では続きがあることになっているが、いまのところ出る気配がないのがさみしい。
読了日:01月29日 著者:Jasper Fforde
桃尻語訳 枕草子〈中〉 (河出文庫)桃尻語訳 枕草子〈中〉 (河出文庫)感想
「枕草子」は「をかしの文学」かについて「ただあたしは、単純に「あはれなり」の人間じゃなくて、「いみじうあはれにをかしけれ」って言っちゃう人間なのよね(p126)」と云っちゃうところが「メチャクチャジーンときてすてき」だ。自分が「すてき」と思っていることも他人から見たらどーってことないんだろうなって見てるっていうのがね、すっごくすてき。
もうあれから一年なんだな。早いね。
読了日:01月30日 著者:橋本 治
ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-感想
柴田元幸のことばを集めたcommonplace bookといった趣。余白がたっぷりあるのでmarginaliaを書き込んで自分だけの一冊にもできる。大半はどこかで読んだことがあるが、バラク・オバマの演説を訳すときに「humble」を「謙虚」とは訳したくない、抽象語や漢語よりもっと平易なことばを使いたいという旨の発言を読んで購入を決めた。
読了日:01月31日 著者:柴田 元幸

読書メーター

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