字が読めない
保険の約款等が読めない。
機能的非識字なのだらう。
読んでもよくわからないんだよね。
わからないといふか、頭が理解することを拒否してゐる。
そんな感じ。
家電製品などの取扱説明書が読めない人がゐる。
積極的に読まないといふ人もゐるだらうが、読んでもわからない人も相当数ゐるのぢやあるまいか。
もちろん、取扱説明書自体がよくわからない書き方になつてゐるといふこともある。
文章がなつてないとかね。
文章はよくても、説明の並んでゐる順番がをかしいとか。
さういふ取扱説明書に悩まされた結果読まないといふ人もゐるだらうな、と思ふ。
そして、中には機能的非識字の人もゐるのだらう。
かんたんな読み書きができるとそこらへんのところが見過ごされてしまふのださうな。
実際、やつがれも「機能的非識字」といふものを知るまでは、保険の約款が読めないことにとくに問題を感じてゐなかつた。
ことばが生まれると問題も生まれる。
さういふことなのかもしれない。
機能的非識字はどうしたら克服できるのか。
いまのところ、それがよくわからない。
じつくり読めばいいのか。
保険の約款を?
いやー、それはしたくないな。
理解しないとろくでもない保険に加入させられることになるとわかつてゐても、読んでも楽しくないものを読む気にはならない。
だいたい、保険の外交員だつてどこまで約款を理解してゐるのかアヤシい。
めんどくさいことは可能な限り避けて生きていきたい。
読んでもわけのわからないものも同様だ。
取扱説明書もまた、さういふ理由で避けられてしまふのだらう。
そして自身の能力不足に気づかぬままになつてしまふ。
それはそれでいいのか。
でも加入しやうといふ人が約款をちやんと読んでゐたら読めてゐたら、かんぽ生命による被害はあそこまで大きくはならなかつたんぢやあるまいか。
かんぽ生命の被害にあつた人の話を聞いてゐると、明日は我が身としか思へない。
字が読めない文章が読めないといふのは、さういふことだ。
読解力さへあれば読めるやうになるとして、その読解力も本を読めば力がつくといふものでもない、と、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」にはある。
そりやさうか。
自分は読める読めてゐると思つてゐるんだものな。
保険の約款等は読みたくなくても読むしかない。
さう腹をくくるしかないのかもしれない。
« 買はない心がまへ | Main | もつれた糸はさらにもつれるの法則 »
Comments