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Friday, 17 January 2020

手帳は読み物

手帳は読み物、といふ説がある。
SmythsonのいまはなきSCHOTT'S MISCELLANY DIARY(以下、SCHOTT'S)などはまさに読む手帳であつたし、ほぼ日手帳もさうかもしれない。
#今日のひとこととか、読みたくないよといふ向きもあるかもしれないが。

SCHOTT'Sを使つてゐるときに、自分で書き込むこともまたなにか読み返して楽しいことにしやうと思つた。
それで、手帳としてではなく、「おことば帳」すなはちcommonplace bookとして使ふことにした。
気になることばを書き付けていく手帳だ。
これが案外よくて、一年くらゐ平気で書き付けないときもあつたけれど、先頃一冊下記終はつた。
書き終はつても使ひ終はつたわけではない。
こののちも折にふれ読み返すことだらう。

また、手帳にはその日起こつたできごとを書いたりもしてゐる。高校野球でどこが優勝したとか、大きな騒ぎがあつたとか、読み返したときに未来の自分がおもしろいと思ふだらうやうなことをかきとめてゐる。

だが、「手帳は読み物」といふ説には、さういふことを云つてゐるのではない、といふ話もある。
読み返すのは、これからしたいこと、希望、野望、計画、さうしたことだといふ。
読み返して「自分はかういふことをしたかつたのだ」「これはやつておかなければ」といふことを思ひ出す、あるいは脳に焼き付ける、さうしたことをさして「手帳は読み物」といふのらしい。

どうも自分にはさういふ視点が欠けてゐて、これまでにもしたいことややりたいこと、しなければならないことなどを書き付けてはゐたけれど、さうしたことを見返すことはあまりなかつた。
でも、思ひ返してみれば、月曜日に職場で「あ、あれ忘れてた」と思ふときは、土日に先の予定を見返すのを怠つてゐたことが多い。
なるほど、手帳の読み物部分は過去の記録だけではない。
未来の予定についてもさうなんだな。

それにしても、手帳を読み物としてとらへたとき、仕事についてはあまり読み返したくないな、と思ふ。

働くことに向いてゐないから、仕方がないか。

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