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Thursday, 23 January 2020

買はない心がまへ

ものを大事にしない。
なので、芝居見物に行つても売店でものを買ふといふことはあまりない。
……と云ひきれないのは、去年は歌舞伎座の売店で印伝の小銭入れを二度ほど求めてしまつたからだ。
犬柄と猫柄で、それぞれ形も違ふ。
犬柄の方は小さい長方形で両脇にカードを入れるところがついてゐて、旅行の際にとても役にたつた。
猫柄の方は丸くてチェインでぶらさげられるやうになつてゐて、今はイヤホンを入れてゐる。
どちらもとても可愛く、どちらもとても便利だ。

でも最近はもう舞台写真も買はないし、筋書(番付)も滅多に買ふことはない。
一昨年ポール・マッカートニーのライヴに行つたときも、物販ではプログラムを買つたのみだ。

そのくせ、箸や歯ブラシ、フライパンその他日々使ふものをなかなか捨てられない。
世話になつたからだ。
愛着もあるからだ。
だつて毎日使つてきたんだもの。
この、ものを大事にしないやつがれによく耐へてくれた。
ありがたいことこのうへない。
そんなわけで、さうしたものを捨てる時は思はず「いままでありがたう」などと呟いてしまふことがある。
これまで邪険にあつかつてきて、なんだよそれ、と自分でも思ふ。
だがほかに感謝の念を表現するすべがない。
誰も見てゐないところでこつそり「いままでありがたう」と呟く。
さうしないと無駄な念が残りさうな気もするしな。

ものに魂が宿るといふのは本邦ではよくある考へ方で、ゆゑにロボット開発なども盛んなのだ、みたやうなことをもう二十年近くまへ英字新聞で呼んだ記憶がある。
記事にはお茶を運ぶからくり人形の写真が添へられてゐた。
人形に魂が宿るといふのはわりとどこにでもある考へ方なんぢやないかなあ。
だから偶像を作つてはいけないといふ文化もあるのではないかと思ふが、作つてはいけない理由は違ふのかもしれない。
また、空や海や山、竈や火などに神様がゐるといふのも本邦以外でも聞く話だ。
動くもの、畏怖の対象、日々使ふもの。
さうしたものに魂が宿るといふのは、少なくともはるか昔にはあたりまへなことだつたのかもしれない。

魂が宿つてゐるのだとしたら、余計にものを大事にする必要がある。
さう思ふのに、どうして大事にできないのだらう。
「感謝してゐる」と云ひながら、それは自分の勝手な sentiment で、自己満足でしかないからだらうか。
さうなんだらうなあ。

そんなわけで、ものを捨てる時にものすごくMPが削られる気がする。
お世話になつたものを手放すのだもの、精神的な負担が大きいのも宜なるかな、だ。

問題は、捨てられないのはそれだけではないといふことだ。

やはりものを増やしてはいけないのだ。

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