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Wednesday, 25 December 2019

今年見た芝居 2019

今年は颱風の影響で十月中一度も芝居見物に行かなかつた。
あとから買ひ足す余裕もなかつた。
これは個人的に特記すべき内容である。

今年一番気に入つたのは「けむりの軍団」かな。
古田新太と池田成志と、こんなバディものらしからぬバディものもありなのか、と思つた。
早乙女太一がコメディ寄りの演技をするのもおもしろかつた。

歌舞伎には「これ!」といふものがない、と思つてゐたが、ありましたね。
二月歌舞伎座昼の部は「暗闇の丑松」の市村橘太郎の湯屋番。
配役が発表になつてからずつと楽しみにしてゐた。
以前見たときに、橘太郎の湯屋番が大変すばらしかつた。
その後、ほかの人で見てもあのグルーヴ感を感じることができず、また橘太郎ももうあの湯屋番を演じることはないだらうと思つてゐた。
それが、来たんですよ。
なんだらう、あのかろやかさ。
ムリがまるで感じられない。
鼻歌なんぞ歌ひつつ湯桶を運んで積み上げて、その一連の動きと歌の絶妙な合はせ技。
いいもん見た。
また見られてうれしい。
ちよつと忘れられない演技だ。

この月は夜の部の「名月八幡祭」の片岡仁左衛門の三次の「クズ・オヴ・ザ・クズエスト・クズ」も印象深い。
あのクズ男つぷりのすばらしさよ。

次が九月歌舞伎座の秀山祭は「寺子屋」。
これまで、中村吉右衛門の芝居に若手が組み込まれると、どうしてもそこだけ見劣りして「幹部に任せればもつといい舞台になるのに」と思ふことが多かつた。
この「寺子屋」は違つた。
源蔵の松本幸四郎、戸浪の中村児太郎、千代の尾上菊之助、みなすばらしかつた。
ことに菊之助の千代は吉右衛門の松王の妻をしつかり演じてゐたと思ふ。
菊之助には尾上梅幸に似たところがあつて、「今日の菊之助は梅幸にそつくり」と思ふときは大抵いい。
このときもそうだつた。

ただ、秀山祭自体にはちよつとどうかと思ふ点がある。
三代目中村歌六の百回忌追善を掲げた演目に、三代目歌六の係累が少なかつた。
中村梅枝が戸浪で、中村萬太郎が松浦侯の取り巻きの一人だつたらまだよかつたのに。
五十回忌のときは、十七代目中村勘三郎が中心になつて、三代目歌六につながる役者をずらりと並べ、それは壮観だつたと聞く。
豊竹咲太夫はそれを見て、自身の父の五十回忌追善興行もおなじやうにしたいと思つてゐたと語つてゐた。
それに比べて百回忌追善はなんだかお寒い状態だつた。
いろいろ(おとなの)事情があるから仕方がないのだらうが、まあ、去る人は日々に疎しといふことなのだらう。

百回忌追善のもう一つの興行だらう歌舞伎座三月の「新版歌祭文」もよかつた。
普段かからない幕が出て、「かからないだけのことはあるよね」と言外につまらないといふ感想もあるが、中村錦之助と市川門之助の趣のことなるクズ男対決が実におもしろかつた。
錦之助も門之助も、もとは先代の市川猿之助の下にゐて、猿之助からさんざんに叱られた三人のうちの二人だといふ。
#残る一人は市川笑也。
その二人が、立派になつてねえ……といふ感慨ももちろんあるが、「クズ男」にもいろいろあるんだなあといふことがわかつて見てゐて楽しかつた。
特に門之助は襲名披露のときの猿之助のことばを思ひ出すとしみじみとしてしまふ。
よかつたねえ。

「野崎村」にも普段出ない部分があつて、この場は三代目歌六の血を引くものばかりの芝居でねえ。
三月と九月と、三代目歌六の追善は二度あつた。
自分の中ではさういふことになつてゐる。
あと中村屋が出てゐれば云ふことなかつたんだけどねえ。

そんなわけで今年は「これ!」と思ふ芝居が歌舞伎には乏しかつた。
来年はどうなるだらう。

團十郎襲名もあるし、なにかいいものが見られるといいなあ。

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