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Friday, 06 December 2019

バディにならない熊さん八つつあん

先月、春風亭一之輔の「真一文字の会」で、一之輔がマクラで落語の登場人物について話してゐた。 オリジナル5とでもいふべき熊さん八つつあんご隠居さん大家さんに与太郎、みたやうな。
このうち熊さんと八つつあんはキャラがかぶるといふやうなことを云つてゐて、つねづねそんな気はしてゐたけれど、やはりさう思ふ人もゐるのか、思つたものだつた。 熊さんと八つつあんと、ふたりとも出てくるときにはちよつとばかり性格に違ひがあるやうには思ふ。
熊さんの方が腕つぷしにものを云はせるタイプで、八つつあんの方がおつちよこちよい、みたやうな。
そんなことないかな。 でもどちらかしか出てこない噺では、「これつて熊さんでも八つつあんでもどつちでもいいよね」と思ふことが多い。 一之輔はご隠居さんと大家さんも似たやうなもの、と云つてゐたが、ご隠居さんと大家さんの方が違ひがある気がするな。
ご隠居さんの方がやさしいといはうか寛大といはうかちよつと無関心な感じで、大家さんの方が口うるさくある意味身内な感じ(なにを云つても「大家といへば親も同然」だからか)がする。 熊さんと八つつあんがバディな感じがうすいのは、かういふところに原因があるのぢやあるまいか。
いや、別に、熊さんと八つつあんがバディである必要はないのだが、でもなんかさういふ噺があつてもよささうだ。 だつて「熊さん八つつあん」つて並び称されるやうな仲なのに。
単に語呂がいいからつなげて呼ばれるだけなのかな。 弥次さん喜多さんにはそれぞれ個性があるし、助さん角さんも全然違ふ。
熊さん八つつあんはなぜさうではないのだらう。 このときやはりマクラで上方では「きいやんせいやん」といふのだといふ噺があつた。
喜六と清八をそれぞれ「きいやん」「せいやん」といふらしい。
このふたりはどうなんだらう。
やはりキャラがかぶるのだらうか。 さう考へると、落語といふのは登場人物ひとりひとりの性格をはつきり描くといつたものではなく、類型的な登場人物がいろんな噺で活躍するといふものなのかもしれない。
それで「業の肯定」なんてな話になつていく、みたやうな。
圓朝の怪談とか、さうでもないのもあるけれども、怪談といふくくりで見ると類型的なのかもしれないな。 今度気をつけて聞いてみやう。

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