絵を見る旅
今年は例年に比べて旅をしてゐない。
咳が止まらなかつたりインフルエンザにかかつたりした結果、有給休暇を使ひすぎてしまひ、泊まりがけで出かける機会が少なかつたからだ。
さう云ひながら八月にロンドンには行つた。
このblogにも書いたやうに、いま行かなかつたら今後行く機会がないだらうと思つたからだ。
体力的なこともあるし、上記のやうに消費税率その他の自由で財力的な問題もある。
また、イギリス自体、Brexit後にどうなるかわからない。
行く前は、ほんたうに「やつぱりキャンセルしやうかな」と思ふことしきりだつた。
なにが心配つて、スリとかが異様に心配だつた。
旅券をiPhoneをクレジットカードを盗まれたらどうしやう、みたやうな。
対策として、なにもかもカバンに結びつけるやうにするとか、旅券であれば写真と戸籍謄本を用意するとか、iPhoneとクレジットカードについては連絡先を控へておくとか、できる限りのことはしたと思ふ。
それでも不安は消へなかつた。
予期せぬ事態に対処できないからだ。
旅行といふのは、本来予期せぬ出来事を期待して行くものだ。
だのに予期せぬ事態の発生することをおそれてゐる。
矛盾してゐる。
だからこれまで海外に行くことはほとんどなかつたし、国内旅行も芝居見物とか人形を見るとかなにか目的があれば行くがさうでなければ行かない。
観光地をめぐりたいとはあまり思はないし、スキーやダイヴィングのやうな山や海に行かなければできないやうな趣味もない。
そもそも出かけることがあまり好きではない。
芝居を見に行くから出かけるだけで、さうでなかつたら家にこもつてゐたい。
それではなぜロンドンに行つたのかといふと、有り体に云つて見たいものがあつたから、だな。
ブレッチリーパークとかね。
大英博物館のマンガ展も気になつてゐたし、背中を押してくれたのは大英図書館のWriting展だつた。
それに、中学生のころから一度は見たいと思つてゐた絵がナショナル・ギャラリーにある。
リシュリュー枢機卿の肖像画だ。
実際にナショナル・ギャラリーに行くと、リシュリューの肖像画の前にはソファがしつらへられてゐて、そこに座つて長いこと絵を眺めてゐた。
天井の壁際の方が明かりとりのやうな不透明のガラスになつてゐて、雲の動きによつて光線の加減が変はる。
それもおもしろかつた。
名画かと問はれると返答に困るが、絵としておもしろい部分はある。
背後のビロードのやうな地厚なカーテンが斜めに引かれてゐて、その線の延長線上にリシュリューの手があり、手は裾の長い衣装をすこしたくしあげるやうに持つてゐて、そのためにできる衣装の線が背後のカーテンの線とつながるやうになつてゐる、とかね。
むかつて左側の背後に外につながる出口があつて、外は明るいのが見てとれる。一方、右側の方は室内の暗さが描かれてゐる。そのコントラストの妙。
リシュリュー自身は呼び止められて声のする方を見てゐるといふやうなポーズにも見える。
ずつと見てゐるといろんなものが見えてきて立ち去りがたい。
行つてよかつたなあ。
そんなわけで、今後は是非フィラデルフィア美術館に行つて覗いて来たい。
二十歳のときからの念願なんだよ。
フィラデルフィアに用事がないからあきらめてゐたけれど、覗いたらきつとすばらしいと思ふのだ。
日本でもたまに覗けることがあるけれど、本物ぢやないしね。
フィラデルフィア美術館にはルノワールの「タティングする女」の絵もあるので、その前でおなじポーズを取つて写真を撮りたいといふ野望もある。
野望があるうちは、完全にひきこもることもなささうだ。
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