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Tuesday, 31 December 2019

タティングレース 2019

今年はなにかしらずつとタティングをしてゐたのだが、なにひとつ形にならなかつた。
からうじて栞に使へるかなといふものはいくつかある。そんな感じ。

でも作つてゐて楽しいのはドイリーといふことがわかつたので、来年は意味もなくドイリーを作つてゆきたいと思つてゐる。

糸はたくさんあるんだよね。
シャトルも。
さういへば今年はクロバーのタティングシャトルをよく使つた。
これまではボビンがついてゐて先がかぎ針になつてゐるシャトルばかり使つてきたのだが、なぜか黒バーのシャトルに回帰した。
クロバーのシャトルは使ひやすい。
タティングをはじめてばかりのころはクロバーのシャトルばかり使つてゐたからかな。
来年は手持ちのいろんなシャトルを使へたらいいな。


2019年はタティングレース的にはお寒い状況だつた。
来年はどうなるかな。

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Monday, 30 December 2019

今年編んだものとか 2019

せつせと指なし手袋を編んでゐる。
左手はできあがつて、現在右手を編んでゐる。

Erebor Gloves

今年編んで完成させたのは以下の四点。


  1. パピーのハスキーで編んだネックウォーマ

  2. くつ下毛糸で編んだデンマーク風ショール

  3. パピーのシェットランドで編んだ This-is-the-BBC Waistcoat

  4. アクリルたはし×5

アクリルたはしは五つ編んだが、まあまとめてひとつ、かな。

年々編めなくなつてゐる。
もうこのまま編まなくなるのかもと思ふこともしばしばだ。
編み始めると楽しいんだけどね。

楽しく編みながら、しかし思ふ。
これはほんたうに自分のしたいことなのだらうか。
ほんたうにしたいことが見つからない、ほんたうにしたいことから目を背けてゐる、ゆゑに楽しいことに逃げてゐるのではあるまいか。

あるまいか、ぢやなくて、そのとほりなんだらうけどね。

でもまあ編む毛糸があるうちは編むだらう。
だいたい今年はウェアものを完成できてゐるし、「もう編めないのかも」とか、そんなに心配することもないのかもしれない。
アフガン編みでもなにか大物を作つてみたいしな。

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Friday, 27 December 2019

絵を見る旅

今年は例年に比べて旅をしてゐない。
咳が止まらなかつたりインフルエンザにかかつたりした結果、有給休暇を使ひすぎてしまひ、泊まりがけで出かける機会が少なかつたからだ。

さう云ひながら八月にロンドンには行つた。
このblogにも書いたやうに、いま行かなかつたら今後行く機会がないだらうと思つたからだ。
体力的なこともあるし、上記のやうに消費税率その他の自由で財力的な問題もある。
また、イギリス自体、Brexit後にどうなるかわからない。

行く前は、ほんたうに「やつぱりキャンセルしやうかな」と思ふことしきりだつた。
なにが心配つて、スリとかが異様に心配だつた。
旅券をiPhoneをクレジットカードを盗まれたらどうしやう、みたやうな。
対策として、なにもかもカバンに結びつけるやうにするとか、旅券であれば写真と戸籍謄本を用意するとか、iPhoneとクレジットカードについては連絡先を控へておくとか、できる限りのことはしたと思ふ。

それでも不安は消へなかつた。
予期せぬ事態に対処できないからだ。

旅行といふのは、本来予期せぬ出来事を期待して行くものだ。
だのに予期せぬ事態の発生することをおそれてゐる。
矛盾してゐる。
だからこれまで海外に行くことはほとんどなかつたし、国内旅行も芝居見物とか人形を見るとかなにか目的があれば行くがさうでなければ行かない。
観光地をめぐりたいとはあまり思はないし、スキーやダイヴィングのやうな山や海に行かなければできないやうな趣味もない。
そもそも出かけることがあまり好きではない。
芝居を見に行くから出かけるだけで、さうでなかつたら家にこもつてゐたい。

それではなぜロンドンに行つたのかといふと、有り体に云つて見たいものがあつたから、だな。
ブレッチリーパークとかね。
大英博物館のマンガ展も気になつてゐたし、背中を押してくれたのは大英図書館のWriting展だつた。
それに、中学生のころから一度は見たいと思つてゐた絵がナショナル・ギャラリーにある。
リシュリュー枢機卿の肖像画だ。

実際にナショナル・ギャラリーに行くと、リシュリューの肖像画の前にはソファがしつらへられてゐて、そこに座つて長いこと絵を眺めてゐた。
天井の壁際の方が明かりとりのやうな不透明のガラスになつてゐて、雲の動きによつて光線の加減が変はる。
それもおもしろかつた。

名画かと問はれると返答に困るが、絵としておもしろい部分はある。
背後のビロードのやうな地厚なカーテンが斜めに引かれてゐて、その線の延長線上にリシュリューの手があり、手は裾の長い衣装をすこしたくしあげるやうに持つてゐて、そのためにできる衣装の線が背後のカーテンの線とつながるやうになつてゐる、とかね。
むかつて左側の背後に外につながる出口があつて、外は明るいのが見てとれる。一方、右側の方は室内の暗さが描かれてゐる。そのコントラストの妙。
リシュリュー自身は呼び止められて声のする方を見てゐるといふやうなポーズにも見える。
ずつと見てゐるといろんなものが見えてきて立ち去りがたい。

行つてよかつたなあ。

そんなわけで、今後は是非フィラデルフィア美術館に行つて覗いて来たい。
二十歳のときからの念願なんだよ。
フィラデルフィアに用事がないからあきらめてゐたけれど、覗いたらきつとすばらしいと思ふのだ。
日本でもたまに覗けることがあるけれど、本物ぢやないしね。
フィラデルフィア美術館にはルノワールの「タティングする女」の絵もあるので、その前でおなじポーズを取つて写真を撮りたいといふ野望もある。

野望があるうちは、完全にひきこもることもなささうだ。

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Thursday, 26 December 2019

今年読んだ本 2019

今年読んだ本の総括は
1. 橋本治を読む
2. 思はぬ本を勧められる
3. ジャスパー・フォードの翻訳本が出版される!
4. ジョン・クリーズの「Professor at Large」が楽しかつたな
といつたところだ。

今年は、橋本治の本を八冊読んだ。
うち六冊は再読である。
橋本治は、折りにふれ読んでゐるが、なるべく読まないやうにしてゐた。
影響を受けやすいからだ。
読むと、自分の考へのあれもこれも橋本治由来であつたかといふことを思ひ知る。
とくに歌舞伎に関することがさうだ。
どうして世の中の人と相容れないんだらうと思つて橋本治の本を読んでみるとそこにさう書いてあつたりする。

もちろん、中には「それつてどうなのよ」と思ふこともないわけではない。
今年読み返した「橋本治歌舞伎画文集 かぶきのよう分からん」に、現在の歌舞伎がよくわからないのは役者が下手だからだ、といふ旨のことが書いてある。
以前読んだときには「さうなのかなあ」と半信半疑でゐた。
いまは「さういふ面もあるね」だ。
だつて昔の役者の映像とか見ると、「なんてわかりやすいんだらう」と思ふもの。
映像でこれだけわかりやすいんだから、実際に見たらもつとわかつたらう。

そんなわけで、橋本治はなにも考へずに読むととても危険なのだが、かといつてなにかを考へながら読むこともむつかしく、それでいままでできるだけ敬して遠ざけてきた。
でも、橋本治はゐなくなつてしまつた。
追悼といふのではなけねども、「ああ、もうゐないんだなあ」と思ふと、つひ読んでしまふ。
そんな感じだつた。

今年は思はぬ本を勧められる年でもあつた。
アンソニー・ホロヴィッツの「Magpie Murder」、F・スコット・フィッツジェラルドの「The Great Gatsby」、マルクス・アウレリウスの「自省録」、秋田麻早子の「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」が勧められた本だ。
ホロヴィッツはジャスパー・フォードからかなあ、といふのと、「グレート・ギャツビー」はおそらくアイザック・アシモフの本を検索してゐる途中、英米文学に興味があると思はれたのだらうといふ気がするくらゐか。
「自省録」は MUSIC LIFE のジョン・ディーコンの本を、「絵を見る技術」は同ブライアン・メイの本を検索したところ勧められた。
いづれもおもしろかつたけど、ホロヴィッツとフィッツジェラルドは翻訳版を勧めてくれたらよかつたのに、と思はずにはゐられない。

さう、ジャスパー・フォードの「Eary Riser」を読んだらなんと翻訳版が出版されたではないですか!
喜ばしい。
「雪降る夏空にきみと眠る」といふ「どうにかならなかつたのか」としか思へない題名とどう見ても内容にそぐはない表紙の絵といふ問題はあるものの(そして案の定「表紙にだまされた」といふ感想がたくさんあるものの)、サーズデイ・ネクストの第三巻以来(だと思ふ)の翻訳出版は快挙だしほんとにうれしい。
このあと、ほかの本も翻訳されるらしいし、フォードは「Shades of Grey」の続篇も書くらしいし、楽しみだなあ。

今年おもしろかつた本にはジョン・クリーズの「Professor at Large」もあげたい。

この本についてはblogにも二度ほどとりあげたと思ふので、ここでは書かないが、一年のまとめとして「おもしろかつた」と書いておく。

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Wednesday, 25 December 2019

今年見た芝居 2019

今年は颱風の影響で十月中一度も芝居見物に行かなかつた。
あとから買ひ足す余裕もなかつた。
これは個人的に特記すべき内容である。

今年一番気に入つたのは「けむりの軍団」かな。
古田新太と池田成志と、こんなバディものらしからぬバディものもありなのか、と思つた。
早乙女太一がコメディ寄りの演技をするのもおもしろかつた。

歌舞伎には「これ!」といふものがない、と思つてゐたが、ありましたね。
二月歌舞伎座昼の部は「暗闇の丑松」の市村橘太郎の湯屋番。
配役が発表になつてからずつと楽しみにしてゐた。
以前見たときに、橘太郎の湯屋番が大変すばらしかつた。
その後、ほかの人で見てもあのグルーヴ感を感じることができず、また橘太郎ももうあの湯屋番を演じることはないだらうと思つてゐた。
それが、来たんですよ。
なんだらう、あのかろやかさ。
ムリがまるで感じられない。
鼻歌なんぞ歌ひつつ湯桶を運んで積み上げて、その一連の動きと歌の絶妙な合はせ技。
いいもん見た。
また見られてうれしい。
ちよつと忘れられない演技だ。

この月は夜の部の「名月八幡祭」の片岡仁左衛門の三次の「クズ・オヴ・ザ・クズエスト・クズ」も印象深い。
あのクズ男つぷりのすばらしさよ。

次が九月歌舞伎座の秀山祭は「寺子屋」。
これまで、中村吉右衛門の芝居に若手が組み込まれると、どうしてもそこだけ見劣りして「幹部に任せればもつといい舞台になるのに」と思ふことが多かつた。
この「寺子屋」は違つた。
源蔵の松本幸四郎、戸浪の中村児太郎、千代の尾上菊之助、みなすばらしかつた。
ことに菊之助の千代は吉右衛門の松王の妻をしつかり演じてゐたと思ふ。
菊之助には尾上梅幸に似たところがあつて、「今日の菊之助は梅幸にそつくり」と思ふときは大抵いい。
このときもそうだつた。

ただ、秀山祭自体にはちよつとどうかと思ふ点がある。
三代目中村歌六の百回忌追善を掲げた演目に、三代目歌六の係累が少なかつた。
中村梅枝が戸浪で、中村萬太郎が松浦侯の取り巻きの一人だつたらまだよかつたのに。
五十回忌のときは、十七代目中村勘三郎が中心になつて、三代目歌六につながる役者をずらりと並べ、それは壮観だつたと聞く。
豊竹咲太夫はそれを見て、自身の父の五十回忌追善興行もおなじやうにしたいと思つてゐたと語つてゐた。
それに比べて百回忌追善はなんだかお寒い状態だつた。
いろいろ(おとなの)事情があるから仕方がないのだらうが、まあ、去る人は日々に疎しといふことなのだらう。

百回忌追善のもう一つの興行だらう歌舞伎座三月の「新版歌祭文」もよかつた。
普段かからない幕が出て、「かからないだけのことはあるよね」と言外につまらないといふ感想もあるが、中村錦之助と市川門之助の趣のことなるクズ男対決が実におもしろかつた。
錦之助も門之助も、もとは先代の市川猿之助の下にゐて、猿之助からさんざんに叱られた三人のうちの二人だといふ。
#残る一人は市川笑也。
その二人が、立派になつてねえ……といふ感慨ももちろんあるが、「クズ男」にもいろいろあるんだなあといふことがわかつて見てゐて楽しかつた。
特に門之助は襲名披露のときの猿之助のことばを思ひ出すとしみじみとしてしまふ。
よかつたねえ。

「野崎村」にも普段出ない部分があつて、この場は三代目歌六の血を引くものばかりの芝居でねえ。
三月と九月と、三代目歌六の追善は二度あつた。
自分の中ではさういふことになつてゐる。
あと中村屋が出てゐれば云ふことなかつたんだけどねえ。

そんなわけで今年は「これ!」と思ふ芝居が歌舞伎には乏しかつた。
来年はどうなるだらう。

團十郎襲名もあるし、なにかいいものが見られるといいなあ。

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Tuesday, 24 December 2019

失敗への対処

タティングレースのドイリーは、三段目の途中で失敗してしまつた。

RenulekのSpring Doily 2014を作つてゐるのだが、糸接ぎのあと、つなぎ方を間違へてしまつたのだつた。
三段目とそれまでとがねぢれてしまつた。

糸接ぎには気をつけねば、とわかつてはゐても、糸が四本くらゐ出てゐる状態だつたりするので、なかなか気が回らないのだつた。
さういふ人間はタティングをするべきではない?
さうなのかもしれない。

ほどかうとしてまた失敗して、結局切つてしまつた。
糸を接ぐときに糸端を始末しながら進めるからいけないのかもしれない。
潔く糸端同士を結びあはせてしまへばいいのかも。
でも結んだ時に結び目をうまく始末できないからスティッチに糸端を編み込むやうにしてるんだけどなー。

いづれにしても、今回は結ぶしかなささうだ。
切つたときに、残つた糸端が短すぎるからだ。

このドイリーは練習用で、本番はまたあらためて作る予定なのだが。
失敗すると気持ちが途切れるのがいかんなあ。

失敗はするもの、あたりまへのこと、と割り切つていかないと。

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Monday, 23 December 2019

指なし手袋を編むわけ

指なし手袋はまづ左手を編んでゐて、親指を編んで編み終はつた。
すかさず右手を編みはじめた。
手袋やくつ下、セーターなどの袖を完成させるときの定法だ。
これまで、片方だけ編んでそのまま完成させずに終はつたくつ下や手袋はない。
なぜか片方の途中ではふりだしてしまつたものはある。
あ、マジックループで同時編みのくつ下などはその限りではないけれど。

指なし手袋はereborといふものを編んでゐる。
映画の「ホビットの冒険」や「指輪物語」を見てデザインしたものだといふ。
さういふ手袋だから、縄編みが入つてゐて編んでゐて楽しい。
それまでひたすらメリヤス編み地獄のヴェストを編んでゐたせゐもあらう。

毛糸はパピーのシェットランドで、四号針で編んでゐる。
かなりしつかりつんだ目で編めてゐて(注: やつがれ比)、手にはめるととてもあたたかい。

なぜ指なしの手袋ばかり編んでゐるのか。
有り体に云つて、指を編むのがめんどくさいからだ。
穴が開くしね。その始末がまた面倒だ。
それに、最近は外でスマートフォンを使ふことが多く、指は出てゐた方がなにかと便利だ。

でも、編むときは必ず親指はあるものを編んでしまふ。
親指の編みだしの地が好きだからだ。
編んでゐるときはそんなに楽しくないが、編み上がつたあとの編み地を見ると、斜めに突き出してくる親指のあたりの編み目がとてもいい。
英語でも指なし手袋のことは「fingerless glove」などといふ。
fingerがless、すなはち、thumbはある、といふことだ。
英語の「fingers」には親指は含まれないからね。

手袋のいいところは、くつ下に比べて見せびらかすのが容易、といふことか。
「これ、編んだの〜」と人に見せるとき、手を突き出すのと足を突き出すのとどちらが様子がいいか考へてみればわかる。

そんなわけで、もつと手袋も編みたいのだが、くつ下も編みたい。
アフガン編みもしたいし、普通のかぎ針編みもいいなあと思つてしまふ。

心千々に乱れたまま、年末の休みに突入する予感。

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Friday, 20 December 2019

「アナと世界の終わり」

現在は別の「アナ」の映画が上映されてゐるかもしれないが、いまさらながら「アナと世界の終わり(Anna and the Apocalypse)」である。

ホラー映画は苦手だ。
怖いからだ。

それなのに、なぜ見てしまつたのか。
別の映画に通つてゐるあひだ、何度もこの映画の予告篇を見たからだ。
云ふでせう、ゴキブリだつて毎日見てゐるうちに平気になつてくるつて。
予告篇にはゾンビはほとんど出てこないが、とにかくこの映画を見たくなつてしまふくらゐ何度も見た。

予告篇を見るうち、主役のアナが気になつてねえ。エラ・ハントが演じてゐる。
また、ともにゾンビと戦ふらしいボーイッシュな子もよかつた。ステフといふ名前で、サラ・スワイヤーが演じてゐる。
さらに、アナが決意の表情で云ふ「YOU are my best friend.」といふせりふにぐつときてしまつた。
「ボヘミアン・ラプソディ」とか見てるころだつたからさ。

で、見に行つてよかつたと思つたけれど、でももう二度とホラー映画は見に行かないな、と思った。

なぜといつて、ホラー映画の予告篇はやつぱりホラー映画だからだ、といふのがまづ一つ。
予告篇が怖い映画ばかりなんですよ。

あと、やはりゾンビは怖い。
見てくれが怖いし、動きは緩慢なのになかなか倒せないのも怖い。

でも映画はおもしろかつた。
過去のゾンビ映画へのオマージュがそこかしこにちりばめられてゐたといふ、そのおもしろさは残念ながらわからなかつたけど(見てゐないからね、過去のゾンビ映画を)、ゾンビ映画なのにミュージカル、といふのがとても奇妙でよかつた。
歌もひとつひとつとてもいい。

イギリスのどこか郊外の街で暮らす高校三年生の、先行きの見えぬ状況、見えぬなりに「ああしたい」「かうしたい」といふことはある、さういふ希望と不安と不満とにゆれ動く感じ。
ゾンビだらけのこの街を出て行つたとして、世界中がゾンビだらけかもしれないといふおそろしさ。
なにしろジャスティン・ビーヴァーもゾンビになつてしまふんだからね、この映画の中では。
しかも世の中はクリスマスなのに。

登場人物も魅力的だ。
予告篇で気に入つたアナとステフとは、やつぱりすてきだつた。
ステフはおそらくLGBTなんだと思ふ。親がフリーダムで、その結果娘が生活苦の人々などを助ける運動に邁進してゐて学校と衝突する、といふやうに見えておもしろい。

アナは、魅力的だ。
ちよつとした表情がとてもチャーミングだし、歌も踊りも演技もいい。
振り付けはステフを演じたサラ・スワイヤーが担当したといふ。
アナは、母を亡くして父と二人暮らしで、父には大学に行くといふ話をしてゐるが、密かに海外に出やうとしてゐる。いはゆる gap yaer といふものだと思ふのだが、映画の冒頭でその計画が父にバレて反対される。

父との軋轢、学校での満たされぬ日々、元カレや友人との関係、将来への期待と不安、そこにゾンビ、ですよ。

ほかの登場人物もいいんだけど、中でも悪役な教頭のサヴェッジが「日本でやつたら粟根まこと」といふ感じでよかつたなあ。
ひどい奴なんだよ、このサヴェッジが。名前も名前だけどさ。

サウンドトラックを買ふつもりで買へてゐない。
最近はCDとか出ないんですね。

クリスマスの時期でもあるし、ダウンロードしてみるかな。

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Thursday, 19 December 2019

今年聞いた落語 2019

今年の落語はあと柳亭市馬の「お歌の会」を残すのみとなつた。

今年はめづらしく九月を除き毎月落語を聞きに行つてゐる。
いろいろおもしろいものを聞いたうち、強く印象に残つたのは、
1. 4月横浜にぎわい座 落語教育委員会 昼の部の三遊亭兼好の「片棒」
2. 3月鈴本余一会 柳家さん喬一門会 夜間部の柳家喬太郎の「ハワイの雪」
3. 8月大手町落語の三遊亭白鳥の「豆腐屋ジョニー」
といつたところか。

噺家で印象に残つたのは柳家小太郎。
あと柳家さん助つてちよつとフラがあるよね。
聞くものがかたよつてゐるので、そんなところだ。

4月の落語教育委員会は、にぎはい座の二階の下手袖から見た。
あまりいい席ではないものの、ゆゑに兼好の「片棒」が印象に残つたので、禍福はあざなへる縄の如し、とはこのことか。

兼好の持ち味は「明るくにぎやかでブラック」だと思つてゐる。
「片棒」はそんな兼好にぴつたりの噺だと思ひながら聞いてゐたのだが、ふと見るとあれだけ「てんつくてんつく」「ぴーひやらぴーひやら」やつてゐるのに座布団の上の膝が微動だにしない。
二階からだからさう見えたというふこともあるのかもしれないが、あれはちよつとすごかつた。

10月の大手町落語で「ラグビーをやつてゐて」といふ話をしてゐたので、さういふのも影響してゐるのかな。このときの「大安売り」もよかつた。

三遊亭兼好ははじめて聞いたときから気にはなつてゐて、「でも独演会とか行つて、あのテンションで三題ももつか知らん」といふのが気にかかつてゐたのだが、来年はチケットが取れるやうなら一度は独演会に行つてみやうと思つてゐる。

「ハワイの雪」ははじめて聞いた。
思ひ返せば辻褄の合はないところがあるやうに思ふのだが、聞いてゐるときはまつたく気にならなかつた。
噺といふか語りの芸といふのはさういふものなのかもしれない。
芝居にもさういふところがある。
聞いたあと、そんなことをあれこれ考へる、そんな噺だつた。

「豆腐屋ジョニー」については聞いてきた直後にもちらつと書いた。 かういふ噺に弱い。
実在する店・三平ストアを舞台に、「ゴッドファーザー」や「ウェストサイド物語(多分ね)」、「柳生一族の陰謀」等々をなひまぜにした噺。
最高ぢやんね。

なひまぜといふのはもつぱら歌舞伎芝居のものといふ印象があるが、新作歌舞伎にはまつたくさういふものがない。
思ふに、「みんなが知つてゐるもの」がなくなつてしまつたからだ。
世の中の人は「忠臣蔵」を知らない。
源平の合戦についても知らない。
古いことばかりではない。
歌謡曲にしてもさうで、「国民的歌手」と呼ばれる人々を見て「え、この人たち、歌を歌つてたの?」と思ふ始末だ。
映画やTVドラマもさう。
これでは、なひまぜの芝居は作れない。

ではなぜ白鳥の「豆腐屋ジョニー」は成り立つのかといふと、それはおもしろいからですね。
おもしろいから、なひまぜの元を知らなくても楽しめる。
楽しんだ人の中には元を知りたいと思ふ人もあらう。
さうして世界がひろがつてゆく。
だから、なひまぜの世界をもつ「豆腐屋ジョニー」は成り立つ。

白鳥も高座で聞くのはこれがはじめてだつた。
「任侠流山動物園」とか、全篇聞いてみたいなー。

むつかしいか。

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Wednesday, 18 December 2019

一年用の手帳を三ヶ月で使ひ切る

Rollbahn 2020をBullet Journalとして9/20から使ひはじめて、そろそろページが尽きやうとしてゐる。
一年(月間予定表は2019/10-2020/12までだが)使ふはずの手帳を約三ヶ月で使ひきる。
なんだか割が合はない気もするが、使つてみた感じだとそれが限界かなといふ気もする。
といふのは、表紙がすでによれてきてゐるからだ。

Rollbahnはスパイラル綴ぢの手帳だ。
リングがある方の上下の角が表紙・裏表紙とも折れてきてゐる。
表紙は紙を重ねた厚紙でできてゐて、紙を一枚一枚はがせさうな状況になつてもゐる。

これには理由がある。
最初、Rollbahn用の透明カヴァを使つてゐたからだ。
Rollbahnの透明カヴァは、手帳(Tagebuch+Notizbuch)にもノート(Notizbuch)にも使へるといふふれこみだつた。
実際、ノートにはちよつと大きいくらゐで、でも支障は感じなかつた。
手帳につけてみると、これがかなり小さい。
開いたり閉ぢたりすると、表紙と裏表紙のリング側がすれることが多い。
それで手帳に透明カヴァをつけることはあきらめた。
あきらめたが、どうもこのときの影響で表紙の紙が弱くなつてしまつたやうだ。

また、十二月は文楽・芝居・落語とあちこち行くせゐもあるが、チケットの半券を入れてゐる透明のポケットがふくらみつつある。
ふくらみ過ぎかな、と思ふほどだ。
半券の整理は別のものですればいいのだが、この手帳を使つてゐた時期に見聞きしたもの、といふことでひとつにまとめておきたいのだつた。

Rollbahnの手帳の細長いタイプのものや、ほぼ日手帳 weeks MEGAなどもいいなと思ふのだが、RollbahnのLサイズを三ヶ月で使ひきるとなると、一年に何冊使ふのかと考へてちよつと気が遠くなる。
測量野帳と組み合はせる手もあるなとは思ふのだが、どうしたものかな。

いづれにせよ、来年は買ひおきしてあるRollbahn 2020を使ふ予定だ。
ねづみの表紙のものを買つておいたが、三ヶ月くらゐで使ひ切ることを想定して、土星の表紙のものも買つてしまつた。
二冊はつづくわけだ。
その先のことは、おそらく四月はじまりの手帳も出るだらうから、のころになつたらまた考へるつもりでゐる。

書き込む内容や形式を変へるといふ手も考へてはゐるのだが、それはまた別の話。

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Tuesday, 17 December 2019

レースのドイリーの劣化(エイジング)

タティングレースのドイリーを作つてゐる。
RenulekのSpring Doily 2014だ。
糸はLisbeth #40を使つてゐる。

二段目がちやんと円になるだらうかと心配してゐたが、最後は波打たずに円になつた。
よかつたよかつた。
といふことで、三段目に入つたところだ。

まあ、とにかく楽しいね。
デザインがいいから、先週も書いたとほり「レースを作つてゐる!」といふ気分になる。
なんかもうこの先ドイリーばかり作つて暮らさうかと思ふくらゐだ。

はじめてスウェーデンはストックホルムに行つたとき、古い家を利用した喫茶店につれて行つてもらつたことがある。
この店では各席にかぎ針編みのレースのドイリーを敷いてゐた。
ちよつと太めの糸、本邦でいふところのオリムパスのエミー・グランデとおなじくらゐの太さの糸で編んだドイリーだつた。
中にはコーヒーか紅茶だらう染みの残つたドイリーもあつて、日常使用されてゐる感じがあつてとてもよかつた。

タティングレースをはじめたばかりのころ、こんな話を聞いたことがある。
国産のレース糸は使つてゐると色が褪せてくるが、DMCのレース糸は褪せない。
DMCの糸も褪色はするのかもしれないが、もつと長い時間がかかるといふことだらうと理解した。

そんなわけで、その後可能であればDMCのレース糸を使ふやうにしてゐたが。

ストックホルムの喫茶店のドイリーを見て、褪色してもいいぢやない、といふ気になつた。
使つてゐれば劣化するのは当然だ。
手を入れて修復できるものならもとの状態に戻すこともできるかもしれないが、レースのドイリーはさうしたものではない。
ちよつとした部分なら編みなほすといふ手もあるけれど、さうするとそこだけ新しくなつてちよつと妙なんではないか。

革の鞄はエイジングを楽しむといふ。
エイジングとは、すなはち劣化にほかならない、と、ある革細工職人の人が云つてゐた。
レースのドイリーもまた、「劣化」を楽しんでもいいのぢやあるまいか。

ドイリーをどんどん作つて、どんどん使つていくといふのも楽しいかもしれない。

問題は、我が家ははドイリーのふさはしいたたずまひをしてゐないといふことだが、さて。

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Monday, 16 December 2019

アフガン編みのアクリルたはし

アクリルたわし
アフガン編みをはじめてしまつた。

はじめてしまつた、といつても大きなものを作つてゐるわけではない。
アクリルたはしを編んでゐる。

大掃除にアクリルたはしを使はうと思ひ、100円ショップでアクリル毛糸を買つてきた。
最初に編んだのが、写真の丸いたはしだ。
かぎ針でうね編みもどきを編んで作つた。
糸がまだあまつてゐたので、ふと思ひついてアフガン編みのたはしを編んでみた。
おもしろいぢやあないか。

どうやらはまつてしまつたらしい。

実はヴェストを編んであまつたパピーのシェットランドで指なし手袋を編んでゐた。
まづは左手を編んでゐて、あとは親指を編めばできあがりといふところまできて止まつてゐる。
先週は月曜日から帰りが遅く、なんだか疲れてしまつたからだ。
あみものだけぢやなくて、ほかのこともなにもしたくない。
帰宅するとさういふ状態だつた。

これではいけないと思つて、アフガン編みでたはしを編んだのが運の尽き。
楽しい。
編み地もワッフル地のやうになつて、アクリルたはしに向いてゐる。
アクリルたはしは表面に凹凸があるといいつていふもんね。

なにもする気がしなかつたはずなのに、実際それ以外のことはなにもしたくないのに、なぜかアフガン編みのたはしだけはぼちぼち作つてゐる。
ほぼ編むだけでいいんだもんね。
最後に糸の端を始末する必要はあるが、それ以外は編むだけ。
なにもしたくない時はかういふ単純作業がむいてゐるのかもしれない。

アフガン編みは編み地が楽しい。
単に編んだだけでもワッフル地のやうになるし、模様編みをすればまたさらに表情が変はつてくる。

楽しいなあ。

アフガン編みでは以前マフラーを編んだことがある。
ちよつとストールといつてもいいやうな幅と長さのものだ。
アフガン編みはあみものにしては編み地があまり伸縮しないし、着るものも編んでみたいとつねづね思つてゐる。
時間と糸がかかるのでやつたことはないが。
糸はね、アフガン編みつて棒針編みや普通のかぎ針編みに比べて糸を消費するやうな気がするんだよね。

うーん、楽しい。アフガン編み。

問題は、なにか大きいものを作らうとしたらアフガン編みもまた負担に思へてくるだらう、といふことか。

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Friday, 13 December 2019

今年見た映画 2019

討入りイヴともなると、もう今年も終はりだなあと思ふ。

夕べは「今年最後の満月」などといつてもりあがつてゐたが、かういふのはあまり好きではない。
満月なんていつだつてこの世で最後かもしれないぢやあないか。
「今年最後」だとかいふ人は、あまり死を思ふことはないのだらう。
思つたからといつていいことがあるわけではないが。
あまり思はない方があつさり死ねるのかもしれないしな。
死のことばかり考へてゐると、去り際が意地汚くなる可能性もある。
よくわからないけれど。

とはいへ、今年一番おもしろかつた本だとか芝居だとか落語だとか映画だとかをあげるのはいいと思つてゐる。
なにかの区切りを設けて、その期間、自分がどうしてゐたのかをふり返るのはよいことだ。
たぶんな。

しかし、本はまだ読むし、芝居はまだ歌舞伎座も国立劇場も新橋演舞場も残つてゐる。落語会にもまだ行く予定だ。
映画は「カツベン!」を見に行くつもりでゐるが、年内はそれくらゐかな。

でも今年見た新作映画はいまのところ四本だけだ。
・映画 刀剣乱舞
・翔んで埼玉
・アナと世界の終わり
・ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

映画館(上映会も含む)には四十回以上行つてゐるんだけどねえ。
そんなわけで、リヴァイヴァルといふか再上映でおもしろかつたのは「ベン・ハー」とか「雄呂血」とか「聖なる酔っ払いの伝説」とかだらうか。
あ、今年は「仁義なき戦い」の一挙上映も見たのだつた。これはおもしろかつたけれどさすがに疲れた。来年はちよつと考へたい。

新作映画でいふと、「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」が圧倒的におもしろかつた。
ドキュメンタリなので別枠かもしれないが、おもしろいものに境界はない。

図書館とはなにか。
資料を保存するところか。
利用者に本をはじめとする知識・情報を提供するところか。
それはさうなのだけれども、それを端緒にさまざまなことを行つてゐるのがニューヨーク公共図書館だ。
目指すところは人々の幸せ、といふと抽象的か。
如何に自立して生きていけるか。
その手助けをしてゐるところだ。

本邦の図書館もかうなのか。
あるいはかういふ取り組みをしてゐる図書館もあるのか。
不明にして知らない。
本邦では司書の地位がさがるばかりで、といふ話がある。
かつて、図書館といふのはおそろしいところだつた。
かつて、本の貸し借りをするカウンタにゐる司書はひどく無愛想だつた。
それがいまは違ふ。
カウンタにゐる人は明るい人ばかりだ。心なしか依然よりも腰が低いやうな気さへする。
委託の業者から派遣されてゐる人たちなのだ、といふことをのちに知つた。
では以前ゐた司書の人々はどうしてゐるのだらう。

また、数年前から民間の企業が図書館の運営を司るといふ事例が取り沙汰されてゐる。
その結果、重要な資料が大量に廃棄されてしまつたといふニュースも見かけた。

図書館つてなに?
「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を見て、あらためて考へてしまふ。

ほかの映画についても書きたいが、とくに「絶対見ることはない」と思つてゐたゾンビ映画の「アナと世界の終わり」については書きたいのだが、機会があればまた。

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Thursday, 12 December 2019

God Rest Ye Merry Gentleman

この時期「クリスマス・キャロル」を読むのは、さういふ季節だからといふこともあるけれど、スクルージのクリスマスに対する態度がうらやましいと思ふからといふこともある。

クリスマスを一緒に過ごさうと誘ふ甥にスクルージは云ふ。
「お前はお前のやり方でクリスマスを楽しむがいい。わしにはわしのやり方がある」的なことを。

また、本邦でいふところの歳末助け合ひ運動のやうな感じで寄付を募りに来た男たちにはかういふ。
「クリスマスだからといつて楽しく過ごすやうなことはしないし、なまけものを楽しませる余裕もない」といつたやうなことを。

物語冒頭のスクルージは「クリスマス? はっ、くだらん!」と思つてゐる。
いいなあ。
やつがれもさうしたい。
世の中至るところ赤や緑や金色で、なんかもうささういふのに疲れちやふんだよねえ。
それでなくても師走だのに。

「クリスマス・キャロル」といふのは、スクルージといふ意固地な老人が自身の過去をふり返り現在を知りこのままだとお先真つ暗だといふことを見せつけられて改心する、といつた話だと思つてゐる。

スクルージだつてこどものころから「クリスマス? はっ、くだらん」と思つてゐたわけぢやない。
若いころには若いころにふさはしい恋慕の情を抱いたこともある。
でも、いろいろうまくいかなくて、それで「スクルージ」といふ名前を聞いた時に人が思ひ描くやうなヤな爺さんになつてしまつた。

過去につらい経験を重ねたヤな爺さんは、周囲にも負の連鎖を押しつける。
このままいくとボブ・クラチェットとその家族はやはりヤな人間になつていくだらうし、甥とその家族だつてどうなるかわからない。

三人の幽霊に出会つてみづからの過去・現在・未来を見つめることでスクルージは改心し、負の連鎖を断ち切る。
物語はめでたしめでたしで幕を閉ぢる。
この時期にかういふ物語は実にふさはしい。

さう思ふ一方で、どうにも意固地だつたころのスクルージがうらやましくて仕方がない。
クリスマスなんてどーでもいいぢやん。
だいたい、24日が過ぎたら終はつてしまふクリスマスなんて、ほんとのクリスマスぢやないでせう。
Bah, humbug!
さうではないだらうか。

スクルージについては、みづからの最期はみぢめなものになると思つてゐなかつたといふのがちよつと驚きではある。
さうした覚悟もなくあんなにヤな爺さんをやつてゐたのか。
それとも、過去を見返し現在を知るうちに、段々考へが変はつていつたのか。

今度読み返すときはそこんとこに気をつけて読むことにしたい。

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Wednesday, 11 December 2019

来年の手帳について 2019

Bullet Journal として使用してゐるRollbahnの透明のポケットに、芝居などの半券を入れてゐる。

Rollbahnの透明ポケットはノート用紙の後ろにあり、間には厚紙のしきりがある。
だから、多少半券をたくさん入れても書くときには影響しない。
そのはずなのだが、遣ひはじめて二ヶ月近くたつとさすがに気になり始める。
それでも十月は颱風で芝居が見られなかつた日もあるので少ないはずなんだけどなあ。
十月、予定してゐた芝居をすべて見てゐたら、つととんでもないことになつてゐたのぢやあるまいか。
さう考へると、三ヶ月ほどでRollbahnを使ひ終はるのは悪いことでもない。

いま使用してゐるのはRollbahn 2020のTagebuch+Notizbuchだ。
九月の下旬から使つてゐる。
ここにも以前書いたやうに、来年一月からおなじ手帳を使ふにあたり、どれくらゐもつものなのかためしてみやうと使ひはじめたものだ。
見込みでは今月どこかで使ひ終はる。
その分は、Rollbahn 2020のB6サイズの綴ぢ手帳を使ふ予定だ。
新しい手帳へは一月一日に切り替へるつもりでゐる。

Tagebuch+NotizbuchはNotizbuchよりノートのページ数がちよつと多い。
それでも三ヶ月か。
一年に四冊必要といふことか。
どうしたものかな。もう一冊買つておくべきか。
それとも四月はじまりの手帳が出るまで待つか。
悩むところである。

一方、やつぱり一年まとめて見られる方がいいかなあと思ふこともある。
とくに読んだ本・見た芝居・行つた映画などだ。
今年はRollbahn 2019のB6サイズの綴ぢ手帳を本や映画、落語や展覧会、芝居の一覧用に使つてゐた。
これだと、この綴ぢ手帳とBullet Journal用の手帳と二冊持ち歩かなければならない。
実際のところ、Bullet Journal用の手帳のゴムに綴ぢ手帳をはさんで持ち歩いてゐるので、いふほど不便ではないが、しかし、なにかのときには綴ぢ手帳はおいていく。

来年は、一覧用の手帳は作らずにすませるつもりでゐるのだが、早晩ほしくなりさうな予感もする。
しかし、途中から一覧を作るのも手間だ。
さうするとやはり最初から用意しておいた方がいいのかなあ。

と、この期に及んでまだ来年の手帳についての悩みは尽きないのだつた。

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Tuesday, 10 December 2019

レースを作つてゐる気分

Spring Doilyの二段目をせつせと作つてゐる。 タティングレースでドイリーを作るのはひさしぶりだ。 タティングレースにかぎらないか。 かぎ針編みでも棒針編みでもドイリーなんて久しく編んでゐない。 円形になるのだらうかと不安にかられつつ結んでゐる。 先日、中央のモチーフがゆがんでゐると書いた。 そのせゐもあるのかもしれないが、どちらかといふと二段目の手加減が間違つてゐるやうだ。 中央のモチーフの花びらの中央にあるピコとつなぐ大振りのリングが小さすぎるのかもしれない。 それでちよつとつれてしまつてゐるものと思はれる。 円形になるかなあ。 三段目は問題ないと思ふのだが。 しかし、ドイリーはいい。 なにしろ「レースを作つてゐる!」といふ気分になるからだ。 栞だとかうはいかない。 モチーフも、大きいものならともかく、小さいものだと「レースを作つてゐる!」といふ気分は稀薄だ。 そこへいくとドイリーは「ああ、ヲレはいま、レースを作つてゐる!」といふ喜びにあふれた気分で作ることができる。 なぜなのかなあ。 思ふに、ボビンレースだとなにを作つても、「レースを作つてゐる!」といふ気分になるのぢやあるまいか。 クッサンがあつて、その上にピンをさして、細い糸がその上を這ひ、その先にはボビンがあつて、そのボビンを右へ左へ操作する。 それだけで「レースを作つてゐる!」といふ気分になれるのぢやああるまいか。 たとへ作つてゐるものがちいさなモチーフだつたり細いエジングであつたとしても。 タティングレースだつて、針の動かし方も独特だし、特にタティングシャトルを使へばもつと「タティングしてゐる」といふ気持ちにあふれてもをかしかない。 をかしかないけど、あまりさういふ気分にならないのは、タティングをすることが日常になつてしまつてゐるからなのかもしれない。 いづれにせよ、Spring Doily がちやんと円形になりますやうに、と祈らずにはゐられない。

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Monday, 09 December 2019

ベルンド・ケストラーの手袋

ベルンド・ケストラーの手袋をはめてみた。
以前も使用後の感想を書いたが、あらためて思つたことを書いてみる。

ベルント(なのではないかと思ふ)・ケストラーの手袋は、輪にして親指の先から編み始める。
付け根まで編めたら、毎段四目または一段おきに八目増やし目をしながらちやうどよい大きさまで編み、指先を伏せ止めしつつ脇を閉ぢて、最後に手首部分を編む。
とぢ針を使ふのは糸端の始末のときだけ(手首をゴム編みにしてゴム編み止めする場合はそのときも)といふ、とぢはぎの苦手なやつがれにはうつてつけの手袋だ。

が、この「ちやうどよい大きさまで編み」といふのが問題だ。
やつがれは手がぼつてりしてゐて縦に短い。
ぼつてりした分にあはせて編むと、指先がほぼ隠れるやうな大きさの手袋になる。
それはそれであたたかくていいかもしれないが、だつたら指なし手袋にする必要はあまりない気がするんだよね。
指先をとぢてもいいかな、と思はないでもないのはそのせゐだ。

また、ぼつてりしてゐるから気をつけないと手首がきつくなる傾向がある。

本が出たときに、まづはくつ下毛糸でメリヤス編みの手袋を一対、ダイヤエポカでもこもこした編み地の手袋を一対、ローワンフェルテッドツイードで縄編みの手袋を一対編んだ。

最初のくつ下毛糸で編んだ手袋は、そんなわけでちよつと手首の部分がきつい。
その後の二対は気をつけて編んだけれど。

逆に、手が薄くて縦に長い人は、手の幅にあはせると指がたくさん出てしまふことになる。
かといつて、指の長さにあはせると今度は幅がぶかぶかになつてしまふ。

なんにでも一長一短あるといふことか。

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Friday, 06 December 2019

バディにならない熊さん八つつあん

先月、春風亭一之輔の「真一文字の会」で、一之輔がマクラで落語の登場人物について話してゐた。 オリジナル5とでもいふべき熊さん八つつあんご隠居さん大家さんに与太郎、みたやうな。
このうち熊さんと八つつあんはキャラがかぶるといふやうなことを云つてゐて、つねづねそんな気はしてゐたけれど、やはりさう思ふ人もゐるのか、思つたものだつた。 熊さんと八つつあんと、ふたりとも出てくるときにはちよつとばかり性格に違ひがあるやうには思ふ。
熊さんの方が腕つぷしにものを云はせるタイプで、八つつあんの方がおつちよこちよい、みたやうな。
そんなことないかな。 でもどちらかしか出てこない噺では、「これつて熊さんでも八つつあんでもどつちでもいいよね」と思ふことが多い。 一之輔はご隠居さんと大家さんも似たやうなもの、と云つてゐたが、ご隠居さんと大家さんの方が違ひがある気がするな。
ご隠居さんの方がやさしいといはうか寛大といはうかちよつと無関心な感じで、大家さんの方が口うるさくある意味身内な感じ(なにを云つても「大家といへば親も同然」だからか)がする。 熊さんと八つつあんがバディな感じがうすいのは、かういふところに原因があるのぢやあるまいか。
いや、別に、熊さんと八つつあんがバディである必要はないのだが、でもなんかさういふ噺があつてもよささうだ。 だつて「熊さん八つつあん」つて並び称されるやうな仲なのに。
単に語呂がいいからつなげて呼ばれるだけなのかな。 弥次さん喜多さんにはそれぞれ個性があるし、助さん角さんも全然違ふ。
熊さん八つつあんはなぜさうではないのだらう。 このときやはりマクラで上方では「きいやんせいやん」といふのだといふ噺があつた。
喜六と清八をそれぞれ「きいやん」「せいやん」といふらしい。
このふたりはどうなんだらう。
やはりキャラがかぶるのだらうか。 さう考へると、落語といふのは登場人物ひとりひとりの性格をはつきり描くといつたものではなく、類型的な登場人物がいろんな噺で活躍するといふものなのかもしれない。
それで「業の肯定」なんてな話になつていく、みたやうな。
圓朝の怪談とか、さうでもないのもあるけれども、怪談といふくくりで見ると類型的なのかもしれないな。 今度気をつけて聞いてみやう。

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Thursday, 05 December 2019

英単語にかなをふる

英単語にかなでふりがなをふることの是非といふのがある。

講談社のブルーバックスに「怖いくらい通じるカタカナ英語の法則」といふ本がある。
読んだことはない。
推測するに、まとまつた文章を聞こえたとほりにカタカナにする方法なのではないか。
いはゆる「What time is it now?」を「掘つた芋いぢるな」と云ひ返るやうな方法だ。
それはおそらく通じるのではないかと思ふ。
全部は通じなくてもある程度は。
ただこの方法には限界がある。
すべての文にこの方法でかなをふることはできないといふ点だ。
まつたく聞いたことのない英文には対応できない。
本の方は「法則」といふくらゐだから、未知の文章にも対応できるやうなきまりがあるのだらうとは思ふけれど。

ではやつがれが英語にかなをふることに反対なのかといふとさにあらず。
こどものころ、はじめて手にした英和辞典には各単語にひらがなカタカナまぢりのふりがながついてゐた。
発音記号の横についてゐたやうに記憶する。
これが便利だつた。
実際に声に出して発音するには向いてゐないのかもしれない。この場合は「掘つた芋いぢるな」方式の方がずつと役に立つ。
だが、文章を読むことを考へたらどうだらうか。

最近は文章を読むときは黙読するのが一般的だ。
だが、母国語でもとくにわけのわからない文章を読むときは、脳内で音読してゐないだらうか。
やつがれは読むのが遅くて、といふのは脳内で音読しながら読んでゐるからだ。
目だけで文章を追ふことができないのだつた。

英語にしてもさうで、読むときは脳内で発音しながら読んでゐる。
だからだらう、第一次世界大戦の本を読んでゐたときに、セルビアの人の名前がどうにも発音できなくて何度もひつかかつた。

つまり、読むときに単語の発音がわからないと読みづらいといふことだ。
読めないといふこともあるかもしれない。
漢字だつて読み方がわからないと黙読するにもつかへつかへになるのぢやあるまいか。

また、ふりがなと実際の発音とは違ふといふことがわかつてくると、ふりがなではああなつてゐるけれど実際はかう、みたような関連づけが脳内にできあがる。

といふわけで、英語にかなをふるのは悪くないと思つてゐる。
世の中にはかなをふることでネイティヴ(だけぢやないのにね、英語を使ふのは)に通じない英語を喋ることになるといつて反対してゐる人もゐるけどさ。
でも、たぶん、やつがれの口から出る英語はまつたくのカタカナ英語でもないと思ふので、さういふ心配は無用な気もするのだが、さて。

個人差はある、といつたところか。

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Wednesday, 04 December 2019

Kindleで読んで手で書き抜きをする

Kindleで本を読むとあまり記憶に残らない。
さういふ話はある。
研究してゐる人もゐるのらしいと風の噂に聞く。

Microsoft Word や同Excelなどで作成した文書の誤字チェックをするときに、画面上で確認するだけだと紙に印刷して確認するときに比べて見逃すことが多い。
これと原因はおなじなのかな。

外国語の本の場合は、Kindleで読んでも記憶に定着しやすいといふ話も聞いた。
おそらく母国語に比べてよくわからないからじつくり読むのではあるまいか。
それで記憶にも定着しやすいのではないかなあ。
より記憶に残るものといふ前提で、の話だけれども。

ぢやあ外国語の本はKindleで読んでもいいかな、とも思ふ。
わからない単語を辞書で即調べることもできるしね。
それに、自分が読みたいと思ふ本はKindleで読めないものが多いといふ話もある。
橋本治の「窯変 源氏物語」なんて電子書籍で出てゐればいいのに。

どうしたらより記憶に定着するかを模索する意味で、ジョン・クリーズの「Professor at Large」からハイライトをつけた場所を手で書き抜くといふことをやつてみた。
試行的にではあるものの、これが案外楽しい。

「Professor at Large」といふのはコーネル大学の仕組みで、学外から「教授」を選んで一定の期間講義をしてもらふといふものだ。
そこにジョン・クリーズが呼ばれて講義の記録が「Professor at Large」といふ書籍になつた。

ジョン・クリーズといへばモンティ・パイソンだ。
ときにモンティ・パイソンについてふれることもあるが、講義では主に創造性や宗教について語つてゐる。

本を読んだのは二月の半ばで、書き抜きをはじめたのは七月の終はりごろだ。
期間があいてゐるからつひつひ読みなほしてしまふのでなかなか進まない。
でもおかげで記憶が蘇ることもあるし、「こんなこと云つてたつけか」といふこともある。

あひだをあけるのも、ほんたうだつたら一週間とかせいぜい一ヶ月がいいところだらうな。
読みながら書き抜くとか読んですぐ書き抜くより、ちよつと「熟成」させた方がいいといふ話も聞く。

書き抜きながら、思ふところもあるのでそれも書きつけてみたりもする。

書き抜きには以前は5×3の情報カードを使つてゐたが、「Professor at Large」は手帳に書き出してゐる。
手帳の方が持ち歩きやすい。それで見返す回数も増えるだらうと思つてのことだ。

いづれ図書館生活をするやうになつたらまた情報カードに戻るのだらうけれど、しばらくは手帳でいいかな。

これで記憶に定着するといいんだがな。
楽しいのでつづけたいところだけれど、時間がかかるといふのも確かだ。

土日、時間のある時の飲酒をやめるしかないかなあ。

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Tuesday, 03 December 2019

やりなほさない

Spring Doily

タティングレースでは、Spring Doily を作りはじめた。

糸はLisbeth #40を使用してゐる。
たまたま手元にあつたのがこれ、といふだけだけれども。

まづは真ん中のモチーフを作つてみたのだが。
どうにもゆがんでゐる。
作り方を掲載してゐるblog「Frywolitki, Tatting, Chiacchierino」で写真を見ると、リング同士をつなぐピコはできるだけ小さく作る必要があるらしい。
途中で気がついてさうしてゐるが、うーん、どうにもいびつだ。

作りなほすことも考へたが、今後もおなじやうな失敗をする可能性が高い。
一度作つてみて、もう一度作つた方が完成度は高くなるだらう。
さう思つて、とりあへず三段目までは作つてみるつもりだ。

こんな感じでしばらくはドイリーを作るつもり。
ドイリーなんてなににするの、といふ話もあるが、最近Rollbahnの透明のカヴァを買つたことだし、内側に入れてもいいんぢやないかなと思つてゐる。

ドイリーのサイズ次第だけどな。

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Monday, 02 December 2019

This-Is-The-BBC Waistcoat

This_Is-The-BBC Waistcoat

スチームアイロンをあてるのはあきらめて(我が家にはもう霧吹きはない。「いだてん」を見て「捨てるのではなかつたか」と思ふことしきり)、とりあへずヴェストを仕上げてみた。

その名も「This-Is-The-BBC Waistcoat」だ。

説明しやう!
このヴェストは映画「ボヘミアン・ラプソディ」でほんものの方のブライアン・メイが着てゐたヴェストをモデルに編んだものだ。

BBCの「トップ・オブ・ザ・ポップス」といふ番組でクイーンが「Killer Queen」を披露する場面に、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーをはじめとする関係者がモブ的に出演してゐる。

出演してはゐるけれど、人によつてはScreenXでないと確認できないやうだ。
映画のBlu-rayを見てもわからないんぢやないかな。Blu-rayは見てゐないからわからないけれど。

そんなわけで、形もメンズのヴェストを参考にして、色はできうるかぎりモデルに近いものを選んだ。
名前も英国風にwaistcoatだ。全然正装向きぢやないけれど。
でも、ワイシャツにネクタイをしめた上にこれを着て職場に行つても全然問題ないと思ふ。ヴェスト禁止といふことさへなければ。

おなじ場面でほんものの方のロジャー・テイラーの着てゐたカーディガンも編みたいと思つてゐる。
灰色のちよいとへちまカラーみたやうなカーディガンで細い縄編み模様が入つてゐる。
なにもないところが編みはじめることを考へると、かなりの大作だ。すくなくともやつがれにとつては。
また、背中がどうなつてゐるのかわからないといふのも痛い。
いづれにせよ、この冬のあひだに完成することはないと思つてゐる。
まづモデルとおなじ模様が編めないといけないしねえ。

この場面のブライアンのヴェストの色とロジャーのシャツの色とがほぼおなじだつたりするのもおもしろい。

そんなわけで、久しぶりのヲタ編みだつた。

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Sunday, 01 December 2019

11月の読書メーター

11月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1519
ナイス数:23

The Sign of the Four (Sherlock Holmes Book 2) (English Edition)The Sign of the Four (Sherlock Holmes Book 2) (English Edition)感想
なんだかちょっとタイムリーだったろうか、薬物的に。「緋色の研究」につづいて後半「こういうことだったんです」という話がある。犯人が語る形になっている今回の方が進化しているとは思うが、ちょっと退屈と思ってしまうのはいけないことかな。
読了日:11月07日 著者:Sir Arthur Conan Doyle
窯変 源氏物語〈1〉 (中公文庫)窯変 源氏物語〈1〉 (中公文庫)感想
以前ある女優のことが好きだった。幸薄そうな役が似合う、はかなげなようすが気に入っていたのだが、同性からは好かれていないという話を聞いて不思議に思っていた。その答えの一片がここにある。かつて「桃尻娘」の続編を読んでものすごくイヤな気分になったことがあった。それとまたおなじ感覚を味わうことになろうとは。人間関係が濃密過ぎるのかな、「桃尻娘」にしても「源氏物語」にしても。
読了日:11月14日 著者:橋本 治
観察力を磨く 名画読解観察力を磨く 名画読解感想
絵画の分析は欧米ではよく行われているのかと思っていたが、国によるんだな。不快な絵を冷静に表現するようにすると不快なできごとを客観的に取らえられるようになるのだそうで、これは試してみたい。ミケランジェロのダヴィデ像を向かって右側から見たらどうなるかというシミュレーションの絵もおもしろかった。ただ、個人的には観察力を発揮してよかったと思ったことはない。伝え方が悪いのだろう、とこの本を読んで思った。
読了日:11月22日 著者:エイミー・E・ハーマン
The Word Is Murder: The bestselling mystery from the author of Magpie Murders – you've never read a crime novel quite like this (Detective Daniel Hawthorne 1) (English Edition)The Word Is Murder: The bestselling mystery from the author of Magpie Murders – you've never read a crime novel quite like this (Detective Daniel Hawthorne 1) (English Edition)感想
犯人はサイコパスなのか? 被害者はサイコパスではないのか。「Magpie Murders」を勧められて読み、おもしろかったのでこの本も読んでみた。正解だった。語り手につらくあたるタイプなのだろうか。ジャスパー・フォードもそういうところあるから、最近の流行りにあるのかな。個人的には夏にロンドンに行って土地勘がちょっと残っていて地名を見ると旅の記憶が思い出された。サウス・ケンジントンとかハマースミスとかその他もろもろ。
読了日:11月27日 著者:Anthony Horowitz
いとも優雅な意地悪の教本 (集英社新書)いとも優雅な意地悪の教本 (集英社新書)感想
「内容がない」をそのまま受け取る人もいるのかもしれないけれど、それこそ著者の意地悪なのではないか。橋本治からは「他人はそう思わなくても自分はこう思う」ことはなんら問題がないということを学び、この本を再読してまたその思いを強くした。黄表紙のところで「著作権だのなんだのといううるさいことを言わない昔は、とても素敵で平和です」(pp.205-206)なんて何気なく書いていて、「げにもっとも」と思うことしきり。
読了日:11月30日 著者:橋本 治

読書メーター

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