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Monday, 11 November 2019

手編みの究極の姿とは

ひたすらメリヤス編みばかりしてゐると、ときどき編み地の中に思はぬ模様が浮かび上がる。
手がゆるんだりきつくなつたりするせゐで、編み目が不規則になるからだ。

編みなほした方がいいのかなあと思ひつつ、そのままにしてゐる。
広げて針を打ちスチームアイロンをかけたらなんとかなるんぢやあるまいかとも思ふし、こんなことを云つてはいけないのかもしれないけれど、そのままでもいいぢやあないかとも思ふ。

以前、「毛糸だま」の特集でデビー・ブリスがテスト・ニッターについて語つてゐたことがある。
コットンの糸できれいなメリヤス編みが編めること、といふやうな話だつた。
手編みといふと、人の手によるものならではの不揃ひな編み目や編み地がいはゆる「味」といふことで認められることもある。
しかし、デビー・ブリスの意見は異なるのらしい。
手編みならではのそろつたきれいな編み目編み地を追求する、といふやうなことを語つてゐた。

それだつたら機械で編んだものでもいいぢやあないか。
さういふ意見もあらう。
機械で編んだものと手で編んだものとは違ふ、といふのは、スピンハウス・ポンタで知つた。
手で編んだものの方がやはらかいし、糸もまた手で紡いだもので編んだ方がやはらかいのだといふ。

では目をそろへるためにきつきつに編んだらどうか。
三國万里子作品のやうに、ギッチギチのゲージで編めば、目はそろふだらう。
でもそれだと楽しくないんだよね、といふことは以前ここにも書いた。
Elizabeth Zimmermannも云つてゐる、さうやつてきつきつのゲージで編んだつて楽しくないだらう、と。
そこは人によるのだらう。
ギッチギチのゲージが楽しい人と、EZのやうに1号くらゐ編み針が違つたつて問題ないといふ人と。

デビー・ブリスはギッチギチ派でもないと思ふ。
以前作品を編んだときにそんなにきつい手で編んだ記憶はない。

いづれにせよ、普通に編んで目がそろふ。
それが手編みの究極の姿なのだらう。

残念ながら、その域には全然達してゐない。
こんなに段によつて目の大きさが変はつていいのか知らんと思ふくらゐだ。
なにしろ妙な模様が浮かび上がつてくるくらゐだからね。
前身頃になつてすこしマシになつてきてゐる気はする。
このまま編み続けたらすこしはまともに編めるやうになるのかな。

でも次に編む予定のものは縄編みや地模様の入つた作品なのだけれど。
メリヤス編みがきちんと編めるやうにならなければ、さういふ作品に取り組んぢやいけないかな。

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