ゲーム掛取
寄席やホール落語に行くと、年末の噺のかかるやうになつてきた。
先日も大晦の噺である「睨み返し」を春風亭一之輔の真一文字の会で聞いたところだ。
掛け取りとはなにか。
いまでいへば、借金の取り立てといふことにならうか。
今月歌舞伎座で「市松小僧の女」といふ芝居がかかつてゐる。
芝居の中で、魚屋が主人公の家にやつてきて、この家のものの好みの魚をあれこれ置いてゆき、お勘定をといふ段になつて、「今日は急いでゐるので、また今度」と去つていく。
近頃自分の周囲では見かけないやりとりだ。
こんな感じで、あるいは客の方から「今日は手元不如意だから今度またまとめて払ふよ」などといつてその場では支払はずにおく。
この未払ひの分、「掛け」を一年の最後大晦日に取り立てることを「掛け取り」といふ。
落語では「掛け取り」とか「掛取万歳」とかいふ噺があつて、掛けを取りに来る商人の方も必死なら掛けを取られる客の方も必死といふ噺がある。
必死なのだが、どこかをかしい。
「睨み返し」を聞いてゐて、掛け取りといふのはある種のゲームでもあつたのか、と思つたのはそのせゐだ。
無論、取りに来る方も「今日はなにがなんでも掛けを取つて帰る」と決死の覚悟なら、取られる方は取られる方で「ない袖は振れない」。
噺のマクラにも「大晦日首でも取つてくる気なり」「大晦日首でよければやる気なり」といふ川柳が出てくるほどだ。
借金の取り立てはどちらも必死だらう。
実際はひどく苦しく悲惨なものだつたのに違ひない。
さう思ひながらも、噺に出てくる人々は、ちよつとしたやりとりを楽しんでゐる。少なくとも、どうにか取られまいとする客の方には、そんなやうな雰囲気がある。
だいたい、顔見知り同士だしね。
互ひに互ひをよく知つてゐることも多い。
幼なじみだつたりとかさ。
さうすると、噺にあるやうなのは大げさとしても、端から見たら冗談としか思へないやうな掛け取りといふのもあつたのではあるまいか。
実は悲惨なものを楽しく見せてゐるんだらうと思つてゐたが、さうばかりでもなかつたやうな気がする。
噺の妙か。
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